置かれた場所で咲く

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「みんな、素敵な人なのよ」【3】

2007-08-27 19:59:45 | インド旅行記
別れ際、ギリギリまで迷っていた言葉を、わたしは伝えてしまった。

「わたし、正直ちょっとインドで・・・その、うまく自分を出せずにいたんです。でも・・・あなたに逢えて、良かった。インド、とってもすばらしい国です。」


「・・・。」

穏やかな目。


「みんな・・・・ね。」

包み込むような口調で彼女は続けた。

「とっても、素敵な人なのよ。本当に、インド人はとっても素敵な人ばかり。」


「あなたたちの旅を、楽しんでね。」

いつまでも、握手をしていたかった。
わたしたちの新たな旅は、ここから始まる気がした。



「みんな、素敵な人なのよ」【2】

2007-08-27 18:00:37 | インド旅行記
・・・。


声をかけられないヘタレなわたしを見兼ね、友が声をかけた。


「もし良かったら、食べますか?」

差し出すキャンディー。コミュニケーションのきっかけは、些細なことでいいのだ。
・・・物怖じしない彼女のように話しかけるには、もう少し時間を割かないと厳しいが。


「・・・ありがとう。日本人?」


にっこり笑う大統領、たったそれだけだったが、受け入れられている気がした。
嬉しかった。


わたしたちは、いろいろな話をした。
家族のこと、仕事のこと。
国のこと、環境のこと。
簡単な会話で、些細な内容だったが、内容以上に満ち足りた空間がそこにはあった。

一瞬でも、足が・・・と思ってしまった自分の小ささに、少し恥じた。

銀行員。5歳と8歳と12歳の子どもがいる。夫が鉄道会社の社員だから、この列車もフリーなのよ、と彼女は加えた。


同じ味のキャンディーが溶けてなくなっても、わたしたちの会話は続いた。
駆け引きのない、普通の会話。
インドに来て、初めての経験だった。
初めてだったんだ。





「みんな、素敵な人なのよ」

2007-08-27 00:04:16 | インド旅行記
次の駅で、男は列車を降りていった。

入れ違いで入ってきたのは、30代くらいの小綺麗な女性だった。フィリピン共和国のアロヨ大統領に、どことなく似ていた。
手にはハードな鞄にパンジャビードレスという、若干妙な姿。柔らかい笑みを湛えてわたしの前に座ると、荷物の整理を始めた。


いい加減疲れた足を折り曲げ、悪いことをして拗ねた子どもみたいに縮こまって、膝を抱えて体育座りをしながらぼーっと窓の景色を眺めていた。ゆっくりと、時が流れていった。


いつしか眠ってしまったわたしは、電車の大きな揺れで目を覚まし、自分の目の前に伸びる何かに気づいた。


にゅっと伸びる、二本の足。


目の前の大統領の足だった。サンダルを床に散らばせ、わたしの座るシートに裸足でかけている。

こんな状況下、自分の足を伸ばしたくなるのはわたしだけだろうか。



流石に、初対面で言葉を交わす前に、足を跨いで偉そうに座るのは心苦しすぎる。
初対面でなくても、どうなのだ、そのような格好は。
しばらくもぞもぞとお尻を動かしながら、大人気なく儚い抵抗を試みたが、相手のあっけらかんとした様子に、2分ももたずに諦めた。


横では、またもや友がちっちゃな蟹になっていた。


またうとうとして、はっと目が覚めた。
足が自由になっている。

目の前の、大統領の視線を感じた。
・・・・・・声をかけてみようか・・・?

先刻の男のとき散々だっただけに、躊躇は大きかった。


・・・失敗しても、いいじゃない。
いざ。





30センチ前の男【3】

2007-08-26 23:58:54 | インド旅行記
「!!!!!」



声にならない声を上げると、男は何事もなかったように、すたすたと列車の奥へと向かっていった。

彼は、わたしの頭上のベッドのサッシを掴み、勢いよく立ち上がったのだ。
おそらく、トイレに向かうために・・・。
向かい合うベッドの間隔は、そのくらい狭かった。


・・・・・・そりゃ、何事もないわ・・・。

横を見ると、声を殺して笑う、蟹のような彼女がいた。



戻ってくると、またもやごろりと横になる男。
ガイドブックを読みふける、女二人。


そして、沈黙は再び破られた。


「・・・ぷぅ・・・・・・。」

音とともに、微かな異臭。

「・・・ぷぅ、ぶぅぅぅぅ・・・。」



今、彼女の顔を見てはいけない。絶対にダメだ。
幸運にも、彼女も同じ思いを抱いていたようだった。

心穏やかでないまま、静寂を迎えてしまった。
時はどんどん流れ、事実は色褪せてゆく。




・・・・・話したい・・・・・・。


図らずも極々シンプルな思いを胸に、列車は次の駅までの距離を着々と縮めていた。
アグラに向かう、二つ目の駅まででの出来事だった。



30センチ前の男【2】

2007-08-26 16:09:58 | インド旅行記
確認するようにまわりを見回すと、彼はわたしたちの前の席にどかっと座った。手には大きなトランク、ちょっとよれたグレーのスーツを着ている。50くらいの、背の高い痩せた男だった。

女二人、言葉少なくフルーツを頬張る姿は、誰の目から見ても異様だったに違いないが、とにかく頻繁に視線を感じた。

一つバナナをちぎり、おずおずと男の方に差し出した。
「・・・良かったら、どうぞ?」

「・・・・・・。」

言葉ひとつ発することなく、要らない、と断られた。

目の前で食べ続けるのはあまりにもばつが悪くて、わたしたちはガイドブックを見ながら、明日一日のプランの検討を始めた。今日の夜9時には、アグラに到着する予定だった。


しばらくすると、毛布とシーツ、そして小さな枕を一つ、乗務員の男の人、数人が配りにきた。
ちょっとあの人、○○さんに似てたよね・・・と、アグラそっちのけでしばし盛り上がった。
女同士の話は手品のように鮮やかに、どんどん話題が移ってゆく。

そのとき。
横に寝かせたトランクの上にさらに枕を乗せ、目の前の男はごろりと横になった。顔をやや壁側に向け、すやすやという寝息は数分後には小さないびきに変わった。


「チャイ、チャイ・・・。」

寝台車の中で飲み物やお菓子を売るのは、少年のような若者から今にも倒れそうなおじいさんまでさまざまで、バラエティに富んでいた。

唯一の共通点が声のトーンだった。
ヒンディー語で呼びかける彼らの発する音は、皆揃って抑揚がなく、無表情。


「・・・チャイ、チャイ・・・。」

おじいさんがわたしたちの寝台の前を通り過ぎようとしたまさにそのとき、いびきをかいていた目の前の男が、勢いよく起き上がった。

チャイを買い、飲み終わると、男は再び座り、周囲に視線を撒き始めた。
懲りないわたしはキャンディーを差し出したが、またもや首をふられた。




突然。
座っているわたしの視界を、グレーのスーツが覆った。
目の前の男が、わたしに覆い被さってきたのだ。