置かれた場所で咲く

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一人のリクシャーワーラー【4】

2007-08-28 23:50:44 | インド旅行記
約束の時間になり、名残惜しさを残しながらガンガーを離れて遅めの昼食をとった。
インドのいわば定食と呼ばれる、ターリー。一皿175ルピー(600円ちょっと)と、やや高め。観光客向けのレストランだ。



ガンガーの流れをもう一度見たい、あの場所にいきたい。契約外の、そんな急で勝手な要望を、おっちゃんは快く受け入れてくれた。
今日はフェスティバルでお休みの郵便局にも、明日連れていくよ、と加えた。

ちょっとした我が儘を許されると、その人への信頼は一気に増す。


許してくれた、受け入れてくれた。それだけで、インドという不可思議な国に受け入れられている気がして、わたしは嬉しかったんだ。

彼は笑顔だった。彼女も、あたしも笑顔だった。



ホテルに戻ってから、わたしたちはたわいのない話をして、笑った。


地球の歩き方に記載されていた、ボラれるパターンの会話がそのまま出てきたことや、ニセツーリストの交渉術、トラブル回避できて良かったねー、とか、今日読み返したら実はあのときの会話の流れが危なかったことに今気づいたよー、とか。

インドでの想いを共有したあとは、自分の奥底の感情の動きや本音、同性ならではの話も飛び出して、今までの言葉足らずだった時間を埋めるように、たくさん話し、たくさん笑った。



シアワセだった。こんな些細なことが本当に、幸せだった。



一人のリクシャーワーラー【3】

2007-08-28 23:07:37 | インド旅行記
一番端のガート(堤)に着き、一杯のチャーイをいただく。

朝が弱いあたしたちにとって、朝4時半起き5時出発のスケジュールは若干きつくて、夜明けとともに飲んだ温かいチャーイは極上の一品だった。
舌を包み込む甘さが、空腹の胃袋に嬉しい。



このチャーイ、大抵は土でできたカップで売られていて、飲み終わるとポイッと投げられる。
当然、その場で割れる。

これはいわばリサイクルの一環となっていて、カップが土に還るとまた水を含めて練り直し、再利用できる。街では何度もポイ捨て現場を目にしたが、これは何も彼らのマナーがなっていないというわけではなく、古からの慣習に違いないと思った。

5000年もの歴史を持つ彼らにとって、土に還らないもの、自然に還らないものが生活のなかに入ってきたのは、ごくごく最近のことなのだから。



同時に歯ブラシを購入。歯ブラシ、もとい木の枝である。下のほうに見える、白っぽい部分は、枝をほぐした状態のもの。噛んでみると少し辛く、ひどく苦い。
田舎から出稼ぎにきた人たちは、わたしたちが普段使っているような歯ブラシには馴染めず、都会ではなかなか見られないという、このニーブと呼ばれる木の枝を、今でも使っていると聞いた。

地元民の値段は一本50パイサ。2円もしない。観光客でも1ルピー(約3.5円)。二倍程度の値段だった。地方にはたくさん生えている木だそうで、使い捨て。磨き終わると、ポイ。
でもその枝は土に還り、木々を育てる。

目の前で展開されていたのは、一昔前の循環型社会だった。






一人のリクシャーワーラー【2】

2007-08-28 22:04:49 | インド旅行記
おっちゃんは優しかった。今まで出会った、どのリクシャーワーラーよりも優しくて無理強いしなくて、どのリクシャーワーラーよりも、日本人慣れしているようだった。土産物の説明をするときは、いつもティーのことをコウチャー、と笑いながら話した。

ちょっと汚れた青いシャツが、陽に焼けたおっちゃんの濃い肌の色にぴったりだった。

強引な客引きや挨拶だけでの“トモダチー”にちょっと疲れたあたしたちにとって、おっちゃんがいるここはとても居心地がよかった。



英語堪能な彼女との会話に、あたしは相槌を打つことくらいしかできなかったけど、それでも何度か振られた話を受け、それだけで満足だった。

彼女の笑顔とややオーバーなリアクション、独特の仕草は、会話への潤滑油となっていて、異国の言葉でうまく自分を表現できないことに、いらいらして彼女に気を遣わせていたことに、ちょっとの間、恥じた。

そんなことは、ほんのちっぽけなことなんだよ。みんないずれは土に還るんだ。
どんなものも受け入れ、どんなものも呑み込んでゆく。
そんなふうに思える大きな大地のうねりが、ここにはあった。

わたしたちのすべてを包み込む優しさと、すべてを破壊する狂気を孕む、この大河。

そうだ、わたしたちの身体の大半は、水でできているんだ。



この、ガンガーの悠久な流れを、ずっと見つめていたかった。
それは彼女も同じだったらしく、あたしたちはただ、無言で白々と明るくなっていく聖なる河を見つめていた。

今日8月15日はインドの独立記念日、今年は60周年とあって、ガンガーの近くの露店も、活気に満ちていた。
岸辺を埋め尽くすたくさんの人、人、人・・・。
これでもまだ、この時間は少ないほうなんだよ?と、彼は加えた。



一人のリクシャーワーラー

2007-08-28 07:38:03 | インド旅行記


昨晩、ホテル前で声をかけてきたリクシャーワーラー(リクシャーの運転手さん)のおっちゃん、サンガさんは現在30代後半、育ち盛りの子ども二人を抱える、一家の大黒柱だ。

30代、と聞いて驚いたのは、彼の頭と口元の白髪混じりの髪と髭、そして顔全体に深く刻まれた皺を見た後だったからだ。どう見ても50代、60代と聞いても納得する風貌だった。


笑いながら話す彼の目尻からは、今までのたくさんの苦労とともに、普段からよく笑うのだろうという彼の人柄を垣間見ることができた。


子どもたち二人は学校に行っていない。とにかくお金がないのだそうだ。

このリクシャーも借り物でね、一日150ルピー(=およそ500円超)会社に払わなきゃいけないんだよ、その日にお客を乗せても、いなくてもね。
苦笑いしながら、おっちゃんはそう、話してくれた。


それでも、ほぼ毎日、ガンガーで沐浴をしているという。






約束

2007-08-28 00:39:21 | インド旅行記
アグラで一日観光を終えたわたしたちは、聖なる河ガンガー(※)の流れる都市、バラナスィーに移動した。

到着したときは7時をまわっていた。日はとっぷりと暮れているにもかかわらず、駅のまわりは果物や野菜、生活用品を売る露店で明るく賑わっていた。


四日間共に過ごしてきた友人、寝台列車で出逢った彼女、わたしの中でのインドの見方は大きく変化していた。
心地よい変化だった。


ホテルに向かいながら、わたしたちは明日の予定を立てていた。
泊まるホテルは、ガンガーから直線距離でも2kmは離れた場所に位置していた。
この辺りは夜もさほど治安が悪くなく、比較的安全とのことだった。

しかし、ガンガーまではどう行こうか・・・。


ほんの少し、不安が胸を過ぎったが、わたしたちはホテル前にいたリクシャーワーラーと交渉することにした。
明日はどうしても、日の出を見たかった。見るには、少なくともホテルを5時に出なければいけなかったのだ。

相手はすぐに決まった。ガンガーに行って、帰ってくるコースで150ルピーで行ってくれる、という。

じゃあ5時に。短い挨拶だけ交わし、わたしたちは別れた。


※“ガンジス”(Ganges)は英語での発音。ヒンディー語では“ガンガー”(Ganga)と呼ぶのだそう。最近では、現地の言葉に近づけて発音する風潮が高まっているため、ここでもガンガーと表記する。