なんちゃってレモン

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木屋瀬宿・村商屋跡(松尾家)

2009年09月29日 | Weblog


高崎家のすぐ西にあります。
村商屋跡の”松尾家”、があります。
宿場祭りでは中も観られるのでは!?
松竹梅は縁起の良い名とされ大名の子供にも良く付けられましたが。
商人も同じように付けられたのでしょうか!??
松尾家の先には”まる彦”(鮨屋)の旗も観えます。

高崎家のボランチティアの方は「声を掛けると見せてくれるかかも知れません」とのことでした。
戸が閉まっていました。
建物前にはそれぞれ案内の看板があります。


高崎家前の建物は”のーていす”(喫茶・器・衣)のお店です。
この日は前に立て看板もなく休みのようです。
突き当りには西構口の石垣があります。
高崎家の右横には船商屋の梅本家です。
写真はありませんが木屋瀬祭りでは中を観られると思います。

横断歩道を渡り川沿い進み遠賀川のほうから駐車場へと向かいます。

大銀杏が見えます。

木屋瀬宿もゆっくり廻ると半日以上かかります。
まだ扇天満宮や輿玉神社は観ていません、もやいの家も休みでした。
また次が楽しみです。

木屋瀬宿は長崎街道筑前六宿の一つで黒崎宿~(木屋瀬宿)~飯塚宿~内野宿~山家宿~原田宿へと続きます。


木屋瀬宿・高崎家住宅

2009年09月29日 | Weblog
 

木屋瀬宿で記念館などの公共の建物以外で唯一常時開放しているのは高崎家のみ。
木屋瀬祭りではそのほかの建物の公開もあり中の展示物も観ることが出来ます。
西構口の少し前にあります。
高崎家手前に木屋瀬図の看板があり、その前は広い駐車場になっています。
高崎家住宅・・・『江戸時代末期の宿場建築物で極めて貴重であることから、北九州市は平成6年に、市の文化財に指定しました。平成7年11月から修復工事にかかり、平成9年3月に寸竣工しました。』


この高崎家住宅は”伊馬春部”生家でもあります。
伊馬春部(いまはるべ)本名:高崎英雄・・・放送作家で戦後のラジオドラマ「向う三軒両隣」「本日は晴天なり・・・他多くの学校の校歌も手がけています。
幾つかの校歌を聴くことが出来ます。
 

ここは遠賀川のすぐ横でたびたび川が氾濫したそうです。
2階は荷物置の倉庫になっていって、川の氾濫時は滑車を使い2階に荷物を上げたそうです。
今は荷物置の部屋はありませんが、この窓は2階の明り取りの窓になっています。
部屋の奥には箱階段があります・・・生活の工夫と無駄がありません。
 

雨戸も家の角もをうまく通すような工夫があります。
出隅、入隅で雨戸を斜めにして通すことが出来ます・・・良く考えたものです。
ボランティアの方が詳しく説明してくれました、見学者が少なく詳しく聞けました。
 

川の氾濫に備え蔵の下に3段の石垣が築かれていました。木屋瀬図には5ヶ所蔵が描かれていますが今は2ヶ所の蔵石の跡が残されています。
ここから見える建物の2階は天井がカーブし船底のようになっています。
これ階級の低い商人が建物を高くすることを禁じられたため、天井が低くなるのを防ぐ工夫です。
当時2階からは遠賀川を行き交う船の様子を観ることが出来たそうです
 

建物右横には6角の井戸があります『内部は瓦質(がしつ)で当時の状態を保存しています。』
縁側の畳はヘリがありません、畳のヘリを付けるのは武士にしか許されていませんでした。「へりくだる」の語源はここから来たものです。
 

大戸口・・・『通り土間の広い出入口で、通常は全体を吊り上げて出入りし、夜間は全体を閉めてくぐり戸から出入りします。』これは吊り上げた状態です。
同じように右横の窓(写真右)も吊り上げになっています。
 

摺り上げ戸・・・『道路側に面するところなどに用いられる建具で、溝に沿って上げておきます。昼間は開き口の上に吊るします。』
大きな荷物の時はこの建具をはずすことも出来るようです。
溝に沿ってキッチリ閉まるので防犯にもなります、雨戸も溝があり外からの進入を防ぎます。