湘南平塚での約4年勤務・やはり波乱万丈
おはようございます。
神奈川県愛川町は曇りで避暑地を思わせる涼しさです。
脳卒中片麻痺歴6年,前立腺ガン全摘出術後歴1年半、片麻痺の生活自助具の楽々歯磨きップを開発したロマンシニアの原田太郎が元気印で、今日も脳卒中障害者や高齢者のご本人はもとより、ご家族の悩み、苦しみを和らげ、明日への希望、未来への活力となっていくようなお話をします。
2009年5月22日より新連載「原田太郎の義と仁」の子供の時代からの人生小さな武勇伝と小さなロマンスから大人のロマンスまでも交えながら「ケンカ太郎」の記憶をたどり多少ランダムな綴り方出来事の自分史です。
【ガキの武勇伝Vol.32】
<湘南平塚での約4年勤務>
前任地の藤沢でも営業所内草野球チームを作って休日には近隣の営業所と親善試合を楽しんだものです。
新任地の平塚営業所の草野球チームは強いほうのレベルにあり、メンバーにいれてもらい毎週の休日を楽しんだものです。
野球の後の反省会と称するする乾杯ビールの美味しかった事。
物流会社としての仕事環境は土地面積も狭く片面ホームで劣悪なほうでした。
大きな営業成績の目標をクリアーすることで施設の増改築の許可を本社から取り付けました。
所員一丸となって目標をクリアして、隣の地主さんと交渉して借受け土地面積が約2倍ほど使用可能となり、増改築をし両面プラットホームに作業環境がよくする事ができました。
管轄支店が川崎から厚木支店に変わり、仕事を進めるにあたっては比較的順調でした。
営業所長会議ではいつも叱られ役でしたが信頼関係に基づいた「あうん」の呼吸でした。
昭和52年私が37歳のとき九州にいる父親が胃ガンで入院10日ほどであっけなく逝ってしまった時はショックでした。
上司が東京へ移動になり、新任の支店長が何と豊川時代ケンカした管轄支店の課長がやってきたんです。
やがてじわりじわりと何かに付けて、、、、、言うまでもありませんでした。
40歳目前にして親父の分もと一人残した九州の母親と一緒に住みたいと,小さいながらも戸建ての家を作ることにして骨組みが出来たころでした。
上司である支店長から「あんた家を建て始めたんだったね言う事を聞かなければ北日本方面に転勤させますよ」といわれ「やれるものならやってみろい」といって電話をガチャンと切ってしまいました。
しばらく鳴りを潜めていたケンカ太郎の虫が出たんです。
多分これが原因でしょうが昭和54年7月夏の休日の或る日、しかも午後遅くに突然に転勤命令、内示も何もなし、本社で2週間超ハードなカンズメ研修、家にもそれまでの職場にも連絡とれずじまい。
本社の営業課長は「リフレッシュしてこい」とあとでいわれたぐらいですからまたまた悪評がたっていたんでしょうね。
営業所の所員は所長が行方不明になったと一時大騒ぎだったようです。
続きは又明日、、、、、。
さ~さ~今日も片麻痺なんかに負けないで
一つの動作でも自分で出来るように
無理せず日々コツコツと一つ上のちょうど良か爺・良か婆の生活リハビリを頑張りましょう
心と身体のバランスが大切です。
健康維持の為には「食べる事が生きること」です。
美味しく食べる為には口腔ケアを疎かにできませんね。
歯磨きはしっかり続けましょう。
片手で楽々片麻痺専用歯磨きパラリンコップParalymcup
脳内出血や脳梗塞による片麻痺障害において大事な事は自分の出来ることをひとつずつ自立をするという強い意志を持つことです。
リハビリテーション病院入院中の急性期回復期は改善も顕著ですが退院後の慢性期に入ると改善するスピードは畳みの目を数えるほどですが必ず改善はします。
あきらめずに日々強い意志と希望を持って努力を積み重ねましょう。
脳卒中片麻痺としっかりと向き合って日々を楽しめるようになるともうしめたものですよ。
そこに行き着くまでがこの病気の大変さでrといえるでしょうね。
片麻痺で戦ってるかた、原田太郎の体験がお役に立つのであれば左のメ~ル相談室をご利用下さい。
福祉ものづくり集団【NPO法人たくみ21の店】もオープンしましたよ~。
【ブログポリシー】
■前立腺ガン全摘出の経過発信と片麻痺に関する元気情報の執筆を心がけます。
■守秘義務がある情報は一切執筆いたしません。
【片麻痺ゲンさんのあとがき】
一昨日から腰痛がひどくベットへの寝起きも大変でした。
仕事柄ギックリ腰は昔何度もやっていますが今回は腰に鉛を背負ったような感覚で鈍痛もあります。
いつもの事ですが医者には行かず、日々のストレッチをしながら生活の中で直すつもりです。
しばらくサボっていたストレッチを再開します。
ストレッチをサボるとテキメンから打破正直です。特に片麻痺になってからはです。
し~ゆ~
神奈川県愛川町は曇りで避暑地を思わせる涼しさです。
脳卒中片麻痺歴6年,前立腺ガン全摘出術後歴1年半、片麻痺の生活自助具の楽々歯磨きップを開発したロマンシニアの原田太郎が元気印で、今日も脳卒中障害者や高齢者のご本人はもとより、ご家族の悩み、苦しみを和らげ、明日への希望、未来への活力となっていくようなお話をします。
2009年5月22日より新連載「原田太郎の義と仁」の子供の時代からの人生小さな武勇伝と小さなロマンスから大人のロマンスまでも交えながら「ケンカ太郎」の記憶をたどり多少ランダムな綴り方出来事の自分史です。
【ガキの武勇伝Vol.32】
<湘南平塚での約4年勤務>
前任地の藤沢でも営業所内草野球チームを作って休日には近隣の営業所と親善試合を楽しんだものです。
新任地の平塚営業所の草野球チームは強いほうのレベルにあり、メンバーにいれてもらい毎週の休日を楽しんだものです。
野球の後の反省会と称するする乾杯ビールの美味しかった事。
物流会社としての仕事環境は土地面積も狭く片面ホームで劣悪なほうでした。
大きな営業成績の目標をクリアーすることで施設の増改築の許可を本社から取り付けました。
所員一丸となって目標をクリアして、隣の地主さんと交渉して借受け土地面積が約2倍ほど使用可能となり、増改築をし両面プラットホームに作業環境がよくする事ができました。
管轄支店が川崎から厚木支店に変わり、仕事を進めるにあたっては比較的順調でした。
営業所長会議ではいつも叱られ役でしたが信頼関係に基づいた「あうん」の呼吸でした。
昭和52年私が37歳のとき九州にいる父親が胃ガンで入院10日ほどであっけなく逝ってしまった時はショックでした。
上司が東京へ移動になり、新任の支店長が何と豊川時代ケンカした管轄支店の課長がやってきたんです。
やがてじわりじわりと何かに付けて、、、、、言うまでもありませんでした。
40歳目前にして親父の分もと一人残した九州の母親と一緒に住みたいと,小さいながらも戸建ての家を作ることにして骨組みが出来たころでした。
上司である支店長から「あんた家を建て始めたんだったね言う事を聞かなければ北日本方面に転勤させますよ」といわれ「やれるものならやってみろい」といって電話をガチャンと切ってしまいました。
しばらく鳴りを潜めていたケンカ太郎の虫が出たんです。
多分これが原因でしょうが昭和54年7月夏の休日の或る日、しかも午後遅くに突然に転勤命令、内示も何もなし、本社で2週間超ハードなカンズメ研修、家にもそれまでの職場にも連絡とれずじまい。
本社の営業課長は「リフレッシュしてこい」とあとでいわれたぐらいですからまたまた悪評がたっていたんでしょうね。
営業所の所員は所長が行方不明になったと一時大騒ぎだったようです。
続きは又明日、、、、、。
さ~さ~今日も片麻痺なんかに負けないで
一つの動作でも自分で出来るように
無理せず日々コツコツと一つ上のちょうど良か爺・良か婆の生活リハビリを頑張りましょう
心と身体のバランスが大切です。
健康維持の為には「食べる事が生きること」です。
美味しく食べる為には口腔ケアを疎かにできませんね。
歯磨きはしっかり続けましょう。
片手で楽々片麻痺専用歯磨きパラリンコップParalymcup
脳内出血や脳梗塞による片麻痺障害において大事な事は自分の出来ることをひとつずつ自立をするという強い意志を持つことです。
リハビリテーション病院入院中の急性期回復期は改善も顕著ですが退院後の慢性期に入ると改善するスピードは畳みの目を数えるほどですが必ず改善はします。
あきらめずに日々強い意志と希望を持って努力を積み重ねましょう。
脳卒中片麻痺としっかりと向き合って日々を楽しめるようになるともうしめたものですよ。
そこに行き着くまでがこの病気の大変さでrといえるでしょうね。
片麻痺で戦ってるかた、原田太郎の体験がお役に立つのであれば左のメ~ル相談室をご利用下さい。
福祉ものづくり集団【NPO法人たくみ21の店】もオープンしましたよ~。
【ブログポリシー】
■前立腺ガン全摘出の経過発信と片麻痺に関する元気情報の執筆を心がけます。
■守秘義務がある情報は一切執筆いたしません。
【片麻痺ゲンさんのあとがき】
一昨日から腰痛がひどくベットへの寝起きも大変でした。
仕事柄ギックリ腰は昔何度もやっていますが今回は腰に鉛を背負ったような感覚で鈍痛もあります。
いつもの事ですが医者には行かず、日々のストレッチをしながら生活の中で直すつもりです。
しばらくサボっていたストレッチを再開します。
ストレッチをサボるとテキメンから打破正直です。特に片麻痺になってからはです。
し~ゆ~
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昭和50年ゴロのやり甲斐!希望・信念!
おはようございます。
神奈川県愛川町は曇りですが予報ではあつくなるそうです。
脳卒中片麻痺歴6年,前立腺ガン全摘出術後歴1年半、片麻痺自助具の楽々歯磨きップを開発したロマンシニアの原田太郎が元気印で、今日も脳卒中障害者や高齢者のご本人はもとより、ご家族の悩み、苦しみを和らげ、明日への希望、未来への活力となっていくようなお話をします。
2009年5月22日より新連載「原田太郎の義と仁」の子供の時代からの人生小さな武勇伝と小さなロマンスから大人のロマンスまでも交えながら「ケンカ太郎」の記憶をたどり多少ランダムな綴り方出来事の自分史です。
【ガキの武勇伝Vol.31】
<昭和50年ゴロのやり甲斐!希望・信念!>
藤沢へはいうなればデモドリであり主任当時の従業員もほとんどいてくれたし皆は仲間がもどってきたと喜んでくれたが同僚であっても営業所の所長としての本文は遂行しなければならないことは当然でした。
赴任当時業績はどん底状態で何としても業績を浮上させねばいけない事と,残業管理などマネージメントの部分がかなり改善の必要がありました。
そんな事で心を鬼にして日々の管理コントロール厳しくした事で、組合の分会長はじめ従業員がかなり反発して不満が大きくなりました。
反発や不満の原因は自分の損得から出ているものです。
赴任して直ぐころには職場の雰囲気を変えるためのエネルギー消費で自律神経をやられたほどでした。
神経戦の戦いです。
業績が上がっていないのに月々の経費は業績花盛りのときのままです。
早い話が仕事の量に見合った勤務計画を立て,最初は窮屈であっても厳しさをしってもらうために,それに皆が月々の給料のが増える為にはしごとを増やす事のこの1点ですよと、毎日の朝礼昼礼には30分かけて説明。
なぜこうするのかの「目標」「目的」「なぜそうせねばならないか!」をはっきり述べて「一つの目標」のために全員の力を結集すれば必ず結果がついてくことを
毎日話し続けました。
最初のうちは露骨に反発したり渋々仕事をしたりの職場の雰囲気でしたが徐々に変わってきました。
所長としての自分の損得ではありませんので皆に通じ賛同してくれたんです。
仕事を開拓するのは営業マンだけではなくドライバー一人ひとりも営業マンであることの自覚が出てきて,其の効果が見え始めると目の色が違ってきて日々の仕事に輝きが出てきました。
昭和50年当時は会社で「ZD運動」を取り入れ(トヨタの看板方式に多少にています)
「ZD運動」の基本は人間は間違いを起こすものであり其の間違いの原因分析対策をどうすればよいかなどグループごとに別れ効果を挙げていく方法です。
仕事もスポーツも全員が一つのチームになったとき効果は予想以上に相乗効果を挙げるものです。
業績はぐんぐん伸びる事故は無くなる。仕事が楽しくて会社に出てくることが喜びとなる。
良いことづくめです。
藤沢4年間の勤務中仕事が大幅に増えたことで仕事の環境充実をして欲しいと従業員の要望で施設の拡張を図る事になり、増改築をしました。
4年目を迎えるころ,目標も達成できてちょいとゆっくりできるカナと思ったとき隣の平塚へ転勤の事例です。
続きは又明日、、、、、。
さ~さ~今日も片麻痺なんかに負けないで
一つの動作でも自分で出来るように
無理せず日々コツコツと一つ上のちょうど良か爺・良か婆の生活リハビリを頑張りましょう
心と身体のバランスが大切です。
健康維持の為には「食べる事が生きること」です。
美味しく食べる為には口腔ケアを疎かにできませんね。
歯磨きはしっかり続けましょう。
片手で楽々片麻痺専用歯磨きパラリンコップParalymcup
脳内出血や脳梗塞による片麻痺障害において大事な事は自分の出来ることをひとつずつ自立をするという強い意志を持つことです。
リハビリテーション病院入院中の急性期回復期は改善も顕著ですが退院後の慢性期に入ると改善するスピードは畳みの目を数えるほどですが必ず改善はします。
あきらめずに日々強い意志と希望を持って努力を積み重ねましょう。
脳卒中片麻痺としっかりと向き合って日々を楽しめるようになるともうしめたものですよ。
そこに行き着くまでがこの病気の大変さでrといえるでしょうね。
片麻痺で戦ってるかた、原田太郎の体験がお役に立つのであれば左のメ~ル相談室をご利用下さい。
福祉ものづくり集団【NPO法人たくみ21の店】もオープンしましたよ~。
【ブログポリシー】
■前立腺ガン全摘出の経過発信と片麻痺に関する元気情報の執筆を心がけます。
■守秘義務がある情報は一切執筆いたしません。
【片麻痺ゲンさんのあとがき】
藤沢での4年間は営業所を管轄する川崎支店長の支持のもと大変良いムードで神奈川県内業績が上がったようです。
リーダー次第で部下は良くも悪くもなるの見本みたいでした。
平塚ではそれなりの苦労がはじまることに、、、、、。
平塚の従業員の間ではとんでもない厳しい所長が移動してくると相当身構えていたようです。
し~ゆ~
神奈川県愛川町は曇りですが予報ではあつくなるそうです。
脳卒中片麻痺歴6年,前立腺ガン全摘出術後歴1年半、片麻痺自助具の楽々歯磨きップを開発したロマンシニアの原田太郎が元気印で、今日も脳卒中障害者や高齢者のご本人はもとより、ご家族の悩み、苦しみを和らげ、明日への希望、未来への活力となっていくようなお話をします。
2009年5月22日より新連載「原田太郎の義と仁」の子供の時代からの人生小さな武勇伝と小さなロマンスから大人のロマンスまでも交えながら「ケンカ太郎」の記憶をたどり多少ランダムな綴り方出来事の自分史です。
【ガキの武勇伝Vol.31】
<昭和50年ゴロのやり甲斐!希望・信念!>
藤沢へはいうなればデモドリであり主任当時の従業員もほとんどいてくれたし皆は仲間がもどってきたと喜んでくれたが同僚であっても営業所の所長としての本文は遂行しなければならないことは当然でした。
赴任当時業績はどん底状態で何としても業績を浮上させねばいけない事と,残業管理などマネージメントの部分がかなり改善の必要がありました。
そんな事で心を鬼にして日々の管理コントロール厳しくした事で、組合の分会長はじめ従業員がかなり反発して不満が大きくなりました。
反発や不満の原因は自分の損得から出ているものです。
赴任して直ぐころには職場の雰囲気を変えるためのエネルギー消費で自律神経をやられたほどでした。
神経戦の戦いです。
業績が上がっていないのに月々の経費は業績花盛りのときのままです。
早い話が仕事の量に見合った勤務計画を立て,最初は窮屈であっても厳しさをしってもらうために,それに皆が月々の給料のが増える為にはしごとを増やす事のこの1点ですよと、毎日の朝礼昼礼には30分かけて説明。
なぜこうするのかの「目標」「目的」「なぜそうせねばならないか!」をはっきり述べて「一つの目標」のために全員の力を結集すれば必ず結果がついてくことを
毎日話し続けました。
最初のうちは露骨に反発したり渋々仕事をしたりの職場の雰囲気でしたが徐々に変わってきました。
所長としての自分の損得ではありませんので皆に通じ賛同してくれたんです。
仕事を開拓するのは営業マンだけではなくドライバー一人ひとりも営業マンであることの自覚が出てきて,其の効果が見え始めると目の色が違ってきて日々の仕事に輝きが出てきました。
昭和50年当時は会社で「ZD運動」を取り入れ(トヨタの看板方式に多少にています)
「ZD運動」の基本は人間は間違いを起こすものであり其の間違いの原因分析対策をどうすればよいかなどグループごとに別れ効果を挙げていく方法です。
仕事もスポーツも全員が一つのチームになったとき効果は予想以上に相乗効果を挙げるものです。
業績はぐんぐん伸びる事故は無くなる。仕事が楽しくて会社に出てくることが喜びとなる。
良いことづくめです。
藤沢4年間の勤務中仕事が大幅に増えたことで仕事の環境充実をして欲しいと従業員の要望で施設の拡張を図る事になり、増改築をしました。
4年目を迎えるころ,目標も達成できてちょいとゆっくりできるカナと思ったとき隣の平塚へ転勤の事例です。
続きは又明日、、、、、。
さ~さ~今日も片麻痺なんかに負けないで
一つの動作でも自分で出来るように
無理せず日々コツコツと一つ上のちょうど良か爺・良か婆の生活リハビリを頑張りましょう
心と身体のバランスが大切です。
健康維持の為には「食べる事が生きること」です。
美味しく食べる為には口腔ケアを疎かにできませんね。
歯磨きはしっかり続けましょう。
片手で楽々片麻痺専用歯磨きパラリンコップParalymcup
脳内出血や脳梗塞による片麻痺障害において大事な事は自分の出来ることをひとつずつ自立をするという強い意志を持つことです。
リハビリテーション病院入院中の急性期回復期は改善も顕著ですが退院後の慢性期に入ると改善するスピードは畳みの目を数えるほどですが必ず改善はします。
あきらめずに日々強い意志と希望を持って努力を積み重ねましょう。
脳卒中片麻痺としっかりと向き合って日々を楽しめるようになるともうしめたものですよ。
そこに行き着くまでがこの病気の大変さでrといえるでしょうね。
片麻痺で戦ってるかた、原田太郎の体験がお役に立つのであれば左のメ~ル相談室をご利用下さい。
福祉ものづくり集団【NPO法人たくみ21の店】もオープンしましたよ~。
【ブログポリシー】
■前立腺ガン全摘出の経過発信と片麻痺に関する元気情報の執筆を心がけます。
■守秘義務がある情報は一切執筆いたしません。
【片麻痺ゲンさんのあとがき】
藤沢での4年間は営業所を管轄する川崎支店長の支持のもと大変良いムードで神奈川県内業績が上がったようです。
リーダー次第で部下は良くも悪くもなるの見本みたいでした。
平塚ではそれなりの苦労がはじまることに、、、、、。
平塚の従業員の間ではとんでもない厳しい所長が移動してくると相当身構えていたようです。
し~ゆ~
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昭和49年降格も又楽し!
おはようございます。
神奈川県愛川町は曇りです。
脳卒中片麻痺歴6年,前立腺ガン全摘出術後歴1年半、片麻痺自助具の楽々歯磨きップを開発したロマンシニアの原田太郎が元気印で、今日も脳卒中障害者や高齢者のご本人はもとより、ご家族の悩み、苦しみを和らげ、明日への希望、未来への活力となっていくようなお話をします。
2009年5月22日より新連載「原田太郎の義と仁」の子供の時代からの人生小さな武勇伝と小さなロマンスから大人のロマンスまでも交えながら「ケンカ太郎」の記憶をたどり多少ランダムな綴り方出来事自分史です。
【ガキの武勇伝Vol.30】
<降格も又楽し!>
昭和49年オイルショックの後、豊川での二年弱の勤務の後,営業所所長から営業所次長に降格になって神奈川県の厚木ターミナル営業所に移動しました。
このときの上司は川崎相模原時代から何かと面倒見てくれた先輩でしたので,気心が知れていましたのでターミナル営業所のNO2として先輩所長の下存分にのびのびと仕事が出来ました。
仕事の面も休日のレクレーションのことなど先頭に立って所内の雰囲気を盛り上げる役に徹しました。
そんな快適な次長職も一年で、移動になりました。42年から約4年、ヒラ~主任時代元いた藤沢の営業所の所長としてでした。
この移動はもう一度営業所の所長として再生して本文を発揮するようにとの先輩所長と管轄である川崎支店の支店長の配慮でした。
ケンカ太郎の名前はすっかりなりを潜めました。
続きは又明日、、、、、。
さ~さ~今日も片麻痺なんかに負けないで
一つの動作でも自分で出来るように
無理せず日々コツコツと一つ上のちょうど良か爺・良か婆の生活リハビリを頑張りましょう
心と身体のバランスが大切です。
健康維持の為には「食べる事が生きること」です。
美味しく食べる為には口腔ケアを疎かにできませんね。
歯磨きはしっかり続けましょう。
片手で楽々片麻痺専用歯磨きパラリンコップParalymcup
脳内出血や脳梗塞による片麻痺障害において大事な事は自分の出来ることをひとつずつ自立をするという強い意志を持つことです。
リハビリテーション病院入院中の急性期回復期は改善も顕著ですが退院後の慢性期に入ると改善するスピードは畳みの目を数えるほどですが必ず改善はします。
あきらめずに日々強い意志と希望を持って努力を積み重ねましょう。
脳卒中片麻痺としっかりと向き合って日々を楽しめるようになるともうしめたものですよ。
そこに行き着くまでがこの病気の大変さでrといえるでしょうね。
片麻痺で戦ってるかた、原田太郎の体験がお役に立つのであれば左のメ~ル相談室をご利用下さい。
福祉ものづくり集団【NPO法人たくみ21の店】もオープンしましたよ~。
【ブログポリシー】
■前立腺ガン全摘出の経過発信と片麻痺に関する元気情報の執筆を心がけます。
■守秘義務がある情報は一切執筆いたしません。
【片麻痺ゲンさんのあとがき】
厚木ターミナル営業所は支店に昇格、所長が支店長に昇格。
伸びる事業所は何かが違うものです。
其の何かはチームワークなんですよね。
スポーツも会社に仕事もチームワークなんです。
全員野球とよく言ったものです。全員が一つの方向を目指すことです。
ベンチワークも立派な仕事なんですよね。
勤務期間は一年でしたけど多くを学びました。
し~ゆ~
神奈川県愛川町は曇りです。
脳卒中片麻痺歴6年,前立腺ガン全摘出術後歴1年半、片麻痺自助具の楽々歯磨きップを開発したロマンシニアの原田太郎が元気印で、今日も脳卒中障害者や高齢者のご本人はもとより、ご家族の悩み、苦しみを和らげ、明日への希望、未来への活力となっていくようなお話をします。
2009年5月22日より新連載「原田太郎の義と仁」の子供の時代からの人生小さな武勇伝と小さなロマンスから大人のロマンスまでも交えながら「ケンカ太郎」の記憶をたどり多少ランダムな綴り方出来事自分史です。
【ガキの武勇伝Vol.30】
<降格も又楽し!>
昭和49年オイルショックの後、豊川での二年弱の勤務の後,営業所所長から営業所次長に降格になって神奈川県の厚木ターミナル営業所に移動しました。
このときの上司は川崎相模原時代から何かと面倒見てくれた先輩でしたので,気心が知れていましたのでターミナル営業所のNO2として先輩所長の下存分にのびのびと仕事が出来ました。
仕事の面も休日のレクレーションのことなど先頭に立って所内の雰囲気を盛り上げる役に徹しました。
そんな快適な次長職も一年で、移動になりました。42年から約4年、ヒラ~主任時代元いた藤沢の営業所の所長としてでした。
この移動はもう一度営業所の所長として再生して本文を発揮するようにとの先輩所長と管轄である川崎支店の支店長の配慮でした。
ケンカ太郎の名前はすっかりなりを潜めました。
続きは又明日、、、、、。
さ~さ~今日も片麻痺なんかに負けないで
一つの動作でも自分で出来るように
無理せず日々コツコツと一つ上のちょうど良か爺・良か婆の生活リハビリを頑張りましょう
心と身体のバランスが大切です。
健康維持の為には「食べる事が生きること」です。
美味しく食べる為には口腔ケアを疎かにできませんね。
歯磨きはしっかり続けましょう。
片手で楽々片麻痺専用歯磨きパラリンコップParalymcup
脳内出血や脳梗塞による片麻痺障害において大事な事は自分の出来ることをひとつずつ自立をするという強い意志を持つことです。
リハビリテーション病院入院中の急性期回復期は改善も顕著ですが退院後の慢性期に入ると改善するスピードは畳みの目を数えるほどですが必ず改善はします。
あきらめずに日々強い意志と希望を持って努力を積み重ねましょう。
脳卒中片麻痺としっかりと向き合って日々を楽しめるようになるともうしめたものですよ。
そこに行き着くまでがこの病気の大変さでrといえるでしょうね。
片麻痺で戦ってるかた、原田太郎の体験がお役に立つのであれば左のメ~ル相談室をご利用下さい。
福祉ものづくり集団【NPO法人たくみ21の店】もオープンしましたよ~。
【ブログポリシー】
■前立腺ガン全摘出の経過発信と片麻痺に関する元気情報の執筆を心がけます。
■守秘義務がある情報は一切執筆いたしません。
【片麻痺ゲンさんのあとがき】
厚木ターミナル営業所は支店に昇格、所長が支店長に昇格。
伸びる事業所は何かが違うものです。
其の何かはチームワークなんですよね。
スポーツも会社に仕事もチームワークなんです。
全員野球とよく言ったものです。全員が一つの方向を目指すことです。
ベンチワークも立派な仕事なんですよね。
勤務期間は一年でしたけど多くを学びました。
し~ゆ~
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波乱万丈も本格的に悪名は東京まで
おはようございます。
神奈川県愛川町は雨です。
脳卒中片麻痺歴6年,前立腺ガン全摘出術後歴1年半、片麻痺自助具の楽々歯磨きップを開発したロマンシニアの原田太郎が元気印で、今日も脳卒中障害者や高齢者のご本人はもとより、ご家族の悩み、苦しみを和らげ、明日への希望、未来への活力となっていくようなお話をします。
2009年5月22日より新連載「原田太郎の義と仁」の子供の時代からの人生小さな武勇伝と小さなロマンスから大人のロマンスまでも交えながら「ケンカ太郎」の記憶をたどり多少ランダムな綴り方出来事自分史です。
【ガキの武勇伝Vol.29】
<最低の設備施設からの脱却と移転計画>
波乱万丈も本格的に悪名は東京まで聞こえてきたそうです。
相模原勤務時代の上司の所長が心配して豊川まで訪ねてきてくれて,
「原田君は福岡の支店長の机をひっくりかえしたんだって~関東では大評判だよ」
「いえいえ、、机を10センチ移動しただけです」と事情を説明したら、なんだ~そんな事だったのか~「皆は原田君だったらやりそうなことだとって言ってたんだよ~」と大笑いでした。
なにせ,藤沢営業所時代の営業主任から福岡支店の営業課長代理というのは昭和45年当時,東京大阪名古屋福岡は4大支店といわれた重要な拠点の支店だったわけで周りから見たらとんでもない出世だったようですが自分ではそれほど意識はありませんでした。
その福岡から豊川の営業所はおそらく東京から九州までの全営業所の中で,もっとも小さい規模も設備もお粗末なところへの転勤ですからきっと上の人間は逆らうとこうなるんだ~と見せしめにしたんでしょうけどこちらはせいせいしていて歯牙にもかけていませんでした。
これではここで仕事をする従業員もやる気が出ないだろうし将来的発展はないだろうと高速道路のインターチェンジ脇の長距離トラック用の広い土地に移転するべく
支店や本社にも交渉し,移転が決定しました。
決定したところで,神奈川県の厚木ターミナル営業所次長に降格となり又転勤です。
理由は簡単です。相変わらず、身の保身をする支店の管理職に徹底的に逆らったからです。
この豊川での勤務は一年8ヶ月ほどでした。
所長なんてのは直ぐ移動するわけで従業員はよほどの事情がない限り転勤はありえないわけで従業員の職場環境を良くることに徹しました。
豊川営業所では右腕の業務主任の家庭の事情を優先し、
交代要員なきまま移動希望をかなえてやったり、人で不足の時代大変な決断でした。
この業務主任は仕事のできる人間でしたが前任者の影響が強かったせいか私には反発ばかりしていました。
それでも坊主と袈裟を一緒にすることはしませんでした。
会社にとって優秀な人間はきちんと評価するべきでいくら逆らってこようとも上司の好き嫌いの問題ではありませんから。
転勤した後何年も経ったころ,私の従業員に対する真の気持ちがわかってくれたみたいで私の下で仕事をしたいので呼び寄せて欲しいといってきたほどでした。
自分のやってきた事が間違いなかったんだと嬉しくもありました。
続きは又明日、、、、、。
さ~さ~今日も片麻痺なんかに負けないで
一つの動作でも自分で出来るように
無理せず日々コツコツと一つ上のちょうど良か爺・良か婆の生活リハビリを頑張りましょう
心と身体のバランスが大切です。
健康維持の為には「食べる事が生きること」です。
美味しく食べる為には口腔ケアを疎かにできませんね。
歯磨きはしっかり続けましょう。
片手で楽々片麻痺専用歯磨きパラリンコップParalymcup
脳内出血や脳梗塞による片麻痺障害において大事な事は自分の出来ることをひとつずつ自立をするという強い意志を持つことです。
リハビリテーション病院入院中の急性期回復期は改善も顕著ですが退院後の慢性期に入ると改善するスピードは畳みの目を数えるほどですが必ず改善はします。
あきらめずに日々強い意志と希望を持って努力を積み重ねましょう。
脳卒中片麻痺としっかりと向き合って日々を楽しめるようになるともうしめたものですよ。
そこに行き着くまでがこの病気の大変さでrといえるでしょうね。
片麻痺で戦ってるかた、原田太郎の体験がお役に立つのであれば左のメ~ル相談室をご利用下さい。
福祉ものづくり集団【NPO法人たくみ21の店】もオープンしましたよ~。
【ブログポリシー】
■前立腺ガン全摘出の経過発信と片麻痺に関する元気情報の執筆を心がけます。
■守秘義務がある情報は一切執筆いたしません。
【片麻痺ゲンさんのあとがき】
会社は従業員あっての会社従業員は会社あっての従業員です。
部下の評価は「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の理屈でやってはいけないと思っています。
自分が上司に受けた仕打ちで嫌だった事は絶対に部下にしないというのが原田太郎の信条です。
これは娘が生まれたときから自分が子供のときに親は良いと思っていても子供の立場からは嫌だった事は自分の娘にしない、これも守りました。
其の都度理由を理解できるまで説明する事にしました。
し~ゆ~
神奈川県愛川町は雨です。
脳卒中片麻痺歴6年,前立腺ガン全摘出術後歴1年半、片麻痺自助具の楽々歯磨きップを開発したロマンシニアの原田太郎が元気印で、今日も脳卒中障害者や高齢者のご本人はもとより、ご家族の悩み、苦しみを和らげ、明日への希望、未来への活力となっていくようなお話をします。
2009年5月22日より新連載「原田太郎の義と仁」の子供の時代からの人生小さな武勇伝と小さなロマンスから大人のロマンスまでも交えながら「ケンカ太郎」の記憶をたどり多少ランダムな綴り方出来事自分史です。
【ガキの武勇伝Vol.29】
<最低の設備施設からの脱却と移転計画>
波乱万丈も本格的に悪名は東京まで聞こえてきたそうです。
相模原勤務時代の上司の所長が心配して豊川まで訪ねてきてくれて,
「原田君は福岡の支店長の机をひっくりかえしたんだって~関東では大評判だよ」
「いえいえ、、机を10センチ移動しただけです」と事情を説明したら、なんだ~そんな事だったのか~「皆は原田君だったらやりそうなことだとって言ってたんだよ~」と大笑いでした。
なにせ,藤沢営業所時代の営業主任から福岡支店の営業課長代理というのは昭和45年当時,東京大阪名古屋福岡は4大支店といわれた重要な拠点の支店だったわけで周りから見たらとんでもない出世だったようですが自分ではそれほど意識はありませんでした。
その福岡から豊川の営業所はおそらく東京から九州までの全営業所の中で,もっとも小さい規模も設備もお粗末なところへの転勤ですからきっと上の人間は逆らうとこうなるんだ~と見せしめにしたんでしょうけどこちらはせいせいしていて歯牙にもかけていませんでした。
これではここで仕事をする従業員もやる気が出ないだろうし将来的発展はないだろうと高速道路のインターチェンジ脇の長距離トラック用の広い土地に移転するべく
支店や本社にも交渉し,移転が決定しました。
決定したところで,神奈川県の厚木ターミナル営業所次長に降格となり又転勤です。
理由は簡単です。相変わらず、身の保身をする支店の管理職に徹底的に逆らったからです。
この豊川での勤務は一年8ヶ月ほどでした。
所長なんてのは直ぐ移動するわけで従業員はよほどの事情がない限り転勤はありえないわけで従業員の職場環境を良くることに徹しました。
豊川営業所では右腕の業務主任の家庭の事情を優先し、
交代要員なきまま移動希望をかなえてやったり、人で不足の時代大変な決断でした。
この業務主任は仕事のできる人間でしたが前任者の影響が強かったせいか私には反発ばかりしていました。
それでも坊主と袈裟を一緒にすることはしませんでした。
会社にとって優秀な人間はきちんと評価するべきでいくら逆らってこようとも上司の好き嫌いの問題ではありませんから。
転勤した後何年も経ったころ,私の従業員に対する真の気持ちがわかってくれたみたいで私の下で仕事をしたいので呼び寄せて欲しいといってきたほどでした。
自分のやってきた事が間違いなかったんだと嬉しくもありました。
続きは又明日、、、、、。
さ~さ~今日も片麻痺なんかに負けないで
一つの動作でも自分で出来るように
無理せず日々コツコツと一つ上のちょうど良か爺・良か婆の生活リハビリを頑張りましょう
心と身体のバランスが大切です。
健康維持の為には「食べる事が生きること」です。
美味しく食べる為には口腔ケアを疎かにできませんね。
歯磨きはしっかり続けましょう。
片手で楽々片麻痺専用歯磨きパラリンコップParalymcup
脳内出血や脳梗塞による片麻痺障害において大事な事は自分の出来ることをひとつずつ自立をするという強い意志を持つことです。
リハビリテーション病院入院中の急性期回復期は改善も顕著ですが退院後の慢性期に入ると改善するスピードは畳みの目を数えるほどですが必ず改善はします。
あきらめずに日々強い意志と希望を持って努力を積み重ねましょう。
脳卒中片麻痺としっかりと向き合って日々を楽しめるようになるともうしめたものですよ。
そこに行き着くまでがこの病気の大変さでrといえるでしょうね。
片麻痺で戦ってるかた、原田太郎の体験がお役に立つのであれば左のメ~ル相談室をご利用下さい。
福祉ものづくり集団【NPO法人たくみ21の店】もオープンしましたよ~。
【ブログポリシー】
■前立腺ガン全摘出の経過発信と片麻痺に関する元気情報の執筆を心がけます。
■守秘義務がある情報は一切執筆いたしません。
【片麻痺ゲンさんのあとがき】
会社は従業員あっての会社従業員は会社あっての従業員です。
部下の評価は「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の理屈でやってはいけないと思っています。
自分が上司に受けた仕打ちで嫌だった事は絶対に部下にしないというのが原田太郎の信条です。
これは娘が生まれたときから自分が子供のときに親は良いと思っていても子供の立場からは嫌だった事は自分の娘にしない、これも守りました。
其の都度理由を理解できるまで説明する事にしました。
し~ゆ~
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遂にその日はやってきました!三角トレード
おはようございます。
神奈川県愛川町は梅雨独特の晴れ間です。暑くなってきましたね~
脳卒中片麻痺歴6年,前立腺ガン全摘出術後歴1年半、片麻痺自助具の楽々歯磨きップを開発したロマンシニアの原田太郎が元気印で、今日も脳卒中障害者や高齢者のご本人はもとより、ご家族の悩み、苦しみを和らげ、明日への希望、未来への活力となっていくようなお話をします。
2009年5月22日より新連載「原田太郎の義と仁」の子供の時代からの人生小さな武勇伝と小さなロマンスから大人のロマンスまでも交えながら「ケンカ太郎」の記憶をたどり多少ランダムな綴り方出来事自分史です。
【ガキの武勇伝Vol.28】
<遂にその日はやってきました!三角トレード>
いずれこの日が来る事は予測はしていたものの裏話を知る良しもありません。
通常の人事移動の時期ではありませんし、トレードには相手があってこそ出来るものですよね。
移動してしばらくたってから当時の本社での支店長会議での出来事を教えてもらったところによると,私の上司が「うちの営業課長を出したい!誰か引き取ってくれませんか?」と切り出したところ誰も手を挙げず引き取り手はゼロだったそうです。
この会議の前後,関西方面のある支店長が私の部下のところに「御前のところの営業課長は評判悪いがどんな奴だと」部下は近くの席で応えようがありませんよね。
「折り返し電話します」なんて答えていましたから。
転勤辞令が出たのはこんな事があってまもなくです。
引き取ってくれたのは昭和42年藤沢勤務時代に結婚式を挙げるに当たって頼まれ仲人を引き受けてくれたF支店長でした。
私は福岡→愛知県豊川へ、豊川→大分へ、大分→福岡の私の後任という具合です。
三角トレードです。
昭和47年後半福岡支店二年の勤務を終えてを去るとき朝礼の挨拶で支店の従業員を目の前にして,「新生福岡支店を目指してやり遂げて欲しいと」といって新任地の豊川営業所へ向かいました。
前任者の弁によるとこの営業所にいる間に二度や三度の喉から血が出るような苦労をしますよと引き継がれました。
前任者もなかなか骨のある所長でしたがやはりうえの評価と評判はよくなかったようでした。
どこにも転がってる話ですが営業所を管理する支店の管理職は結局は自分の身の保身しか考えていないやからばっかりでした。
豊川勤務時代昭和49年に第一次オイルショック到来しましたね~。
続きはまた明日、、、、、、、、、。
さ~さ~今日も片麻痺なんかに負けないで
一つの動作でも自分で出来るように
無理せず日々コツコツと一つ上のちょうど良か爺・良か婆の生活リハビリを頑張りましょう
心と身体のバランスが大切です。
健康維持の為には「食べる事が生きること」です。
美味しく食べる為には口腔ケアを疎かにできませんね。
歯磨きはしっかり続けましょう。
片手で楽々片麻痺専用歯磨きパラリンコップParalymcup
脳内出血や脳梗塞による片麻痺障害において大事な事は自分の出来ることをひとつずつ自立をするという強い意志を持つことです。
リハビリテーション病院入院中の急性期回復期は改善も顕著ですが退院後の慢性期に入ると改善するスピードは畳みの目を数えるほどですが必ず改善はします。
あきらめずに日々強い意志と希望を持って努力を積み重ねましょう。
脳卒中片麻痺としっかりと向き合って日々を楽しめるようになるともうしめたものですよ。
そこに行き着くまでがこの病気の大変さでrといえるでしょうね。
片麻痺で戦ってるかた、原田太郎の体験がお役に立つのであれば左のメ~ル相談室をご利用下さい。
福祉ものづくり集団【NPO法人たくみ21の店】もオープンしましたよ~。
【ブログポリシー】
■前立腺ガン全摘出の経過発信と片麻痺に関する元気情報の執筆を心がけます。
■守秘義務がある情報は一切執筆いたしません。
【片麻痺ゲンさんのあとがき】
昭和48年49年はおんなのみち・そして神戸・涙の操・くちなしの花・なみだ恋
二人でお酒を・襟裳岬・昭和枯れススキなどなどが流行っていました。
豊川でもいろんなことがありすぎました。
し~ゆ~
神奈川県愛川町は梅雨独特の晴れ間です。暑くなってきましたね~
脳卒中片麻痺歴6年,前立腺ガン全摘出術後歴1年半、片麻痺自助具の楽々歯磨きップを開発したロマンシニアの原田太郎が元気印で、今日も脳卒中障害者や高齢者のご本人はもとより、ご家族の悩み、苦しみを和らげ、明日への希望、未来への活力となっていくようなお話をします。
2009年5月22日より新連載「原田太郎の義と仁」の子供の時代からの人生小さな武勇伝と小さなロマンスから大人のロマンスまでも交えながら「ケンカ太郎」の記憶をたどり多少ランダムな綴り方出来事自分史です。
【ガキの武勇伝Vol.28】
<遂にその日はやってきました!三角トレード>
いずれこの日が来る事は予測はしていたものの裏話を知る良しもありません。
通常の人事移動の時期ではありませんし、トレードには相手があってこそ出来るものですよね。
移動してしばらくたってから当時の本社での支店長会議での出来事を教えてもらったところによると,私の上司が「うちの営業課長を出したい!誰か引き取ってくれませんか?」と切り出したところ誰も手を挙げず引き取り手はゼロだったそうです。
この会議の前後,関西方面のある支店長が私の部下のところに「御前のところの営業課長は評判悪いがどんな奴だと」部下は近くの席で応えようがありませんよね。
「折り返し電話します」なんて答えていましたから。
転勤辞令が出たのはこんな事があってまもなくです。
引き取ってくれたのは昭和42年藤沢勤務時代に結婚式を挙げるに当たって頼まれ仲人を引き受けてくれたF支店長でした。
私は福岡→愛知県豊川へ、豊川→大分へ、大分→福岡の私の後任という具合です。
三角トレードです。
昭和47年後半福岡支店二年の勤務を終えてを去るとき朝礼の挨拶で支店の従業員を目の前にして,「新生福岡支店を目指してやり遂げて欲しいと」といって新任地の豊川営業所へ向かいました。
前任者の弁によるとこの営業所にいる間に二度や三度の喉から血が出るような苦労をしますよと引き継がれました。
前任者もなかなか骨のある所長でしたがやはりうえの評価と評判はよくなかったようでした。
どこにも転がってる話ですが営業所を管理する支店の管理職は結局は自分の身の保身しか考えていないやからばっかりでした。
豊川勤務時代昭和49年に第一次オイルショック到来しましたね~。
続きはまた明日、、、、、、、、、。
さ~さ~今日も片麻痺なんかに負けないで
一つの動作でも自分で出来るように
無理せず日々コツコツと一つ上のちょうど良か爺・良か婆の生活リハビリを頑張りましょう
心と身体のバランスが大切です。
健康維持の為には「食べる事が生きること」です。
美味しく食べる為には口腔ケアを疎かにできませんね。
歯磨きはしっかり続けましょう。
片手で楽々片麻痺専用歯磨きパラリンコップParalymcup
脳内出血や脳梗塞による片麻痺障害において大事な事は自分の出来ることをひとつずつ自立をするという強い意志を持つことです。
リハビリテーション病院入院中の急性期回復期は改善も顕著ですが退院後の慢性期に入ると改善するスピードは畳みの目を数えるほどですが必ず改善はします。
あきらめずに日々強い意志と希望を持って努力を積み重ねましょう。
脳卒中片麻痺としっかりと向き合って日々を楽しめるようになるともうしめたものですよ。
そこに行き着くまでがこの病気の大変さでrといえるでしょうね。
片麻痺で戦ってるかた、原田太郎の体験がお役に立つのであれば左のメ~ル相談室をご利用下さい。
福祉ものづくり集団【NPO法人たくみ21の店】もオープンしましたよ~。
【ブログポリシー】
■前立腺ガン全摘出の経過発信と片麻痺に関する元気情報の執筆を心がけます。
■守秘義務がある情報は一切執筆いたしません。
【片麻痺ゲンさんのあとがき】
昭和48年49年はおんなのみち・そして神戸・涙の操・くちなしの花・なみだ恋
二人でお酒を・襟裳岬・昭和枯れススキなどなどが流行っていました。
豊川でもいろんなことがありすぎました。
し~ゆ~
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