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業界は戦国時代と内なる戦い

おはようございます。
神奈川県愛川町は梅雨独特の晴れ間です。

脳卒中片麻痺歴6年,前立腺ガン全摘出術後歴1年半、片麻痺自助具の楽々歯磨きップを開発したロマンシニアの原田太郎が元気印で、今日も脳卒中障害者や高齢者のご本人はもとより、ご家族の悩み、苦しみを和らげ、明日への希望、未来への活力となっていくようなお話をします。

2009年5月22日より新連載「原田太郎の義と仁」の子供の時代からの人生小さな武勇伝と小さなロマンスから大人のロマンスまでも交えながら「ケンカ太郎」の記憶をたどり多少ランダムな綴り方出来事自分史です。

【ガキの武勇伝Vol.27】

<業界は戦国時代と内なる戦い>

昭和47年当時はトラック業界も戦国時代,運賃ダンピングが特に激しい競争の時代でした。

国の認可運賃であるにもかかわらず何故かトラックの業界だけは国が認可した運賃を各社自ら認可運賃という制度を壊して自分の首を絞めるというそんな世界でコレは何十年たった今でも変わっていないようです。

同じ輸送のジャンルにいて電車・バス・タクシー・飛行機の業界はキッチリと認可されたその日から実施されるのにトラックだけは何故か社会に認められていないというか社会的隷属産業といわれる所以です。

そんな中地区の業界の中で運賃値上げ交渉を始める事になりました。
即ち荷主に対して1社で立ち向かっても勝負にならないので出入り同業者が一丸となって団体交渉をするやり方を取ったのです。

団体交渉するに当たっても交渉のリーダーを決める段階になるとリーダーになると荷主に取引をやめるなどしっぺ返しが怖いのでやりたがりません。

それどころか団体交渉の席上では出来るだけ発言しないで小さくしていて,後からこっそり自分だけいい子になって出入り同業者の荷物を自分の会社に流してもらい業績を上げようとするやからばかりでした。

荷主もそういうトラック業者の気持ちを読みすかしていましたからリーダーになった会社は損をする事が多かったです。

現にM電気グループの子会社のRD運輸の責任者には露骨に原田御前が先頭切って交渉しているらしいなとどうなるか判っているだろうなと脅しされました。

産業の中でもトラック業界は一番下に見られていて口にこそ出して言われる事は少なかったですが「雲助が何をいっちょるか~」大企業独特のうえから目線の典型でした。

そんな中同業者の裏切り行為の証拠を掴んで地区業者の集まりの中で対決徹底的につるし上げてやりましたところ少しは業者同士のまとまりが表面上だけでも効果が出てきました。

企業内の本社にあっては経営トップが企業内複数組合との交渉に余分な労力を使ってるとき、現場の自分在籍の支店では上司の画策が目に見えて顕著になりなんとなく肌で感じるようになり何時転勤になっても良い覚悟はしていました。

続きは又明日、、、、、。


さ~さ~今日も片麻痺なんかに負けないで
一つの動作でも自分で出来るように
無理せず日々コツコツと一つ上のちょうど良か爺・良か婆の生活リハビリを頑張りましょう
心と身体のバランスが大切です。
健康維持の為には「食べる事が生きること」です。
美味しく食べる為には口腔ケアを疎かにできませんね。

歯磨きはしっかり続けましょう。

片手で楽々片麻痺専用歯磨きパラリンコップParalymcup

脳内出血や脳梗塞による片麻痺障害において大事な事は自分の出来ることをひとつずつ自立をするという強い意志を持つことです。

リハビリテーション病院入院中の急性期回復期は改善も顕著ですが退院後の慢性期に入ると改善するスピードは畳みの目を数えるほどですが必ず改善はします。

あきらめずに日々強い意志と希望を持って努力を積み重ねましょう。

脳卒中片麻痺としっかりと向き合って日々を楽しめるようになるともうしめたものですよ。

そこに行き着くまでがこの病気の大変さでrといえるでしょうね。
片麻痺で戦ってるかた、原田太郎の体験がお役に立つのであれば左のメ~ル相談室をご利用下さい。

福祉ものづくり集団【NPO法人たくみ21の店】もオープンしましたよ~。

【ブログポリシー】
■前立腺ガン全摘出の経過発信と片麻痺に関する元気情報の執筆を心がけます。
■守秘義務がある情報は一切執筆いたしません。

【片麻痺ゲンさんのあとがき】

社会的隷属産業であるトラック業界は50年代に入りヤマト運輸が宅急便に業態を変えて後(宅配便は、昭和51年(1976年)1月)日本経済の成長に合わせた重厚長大のトラック輸送の思想が少しづつ変化する事になるのです。

し~ゆ~











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改善改革に思わぬ伏兵

おはようございます。

昨夜までの雷雨も止み天気がもどった神奈川県愛甲郡愛川町は突然夜半に土砂降りになりました。今朝は時折陽射しが差し込んでいます。
脳卒中片麻痺歴6年,前立腺ガン全摘出術後歴1年半、片麻痺自助具の楽々歯磨きップを開発したロマンシニアの原田太郎が元気印で、今日も脳卒中障害者や高齢者のご本人はもとより、ご家族の悩み、苦しみを和らげ、明日への希望、未来への活力となっていくようなお話をします。

2009年5月22日より新連載「原田太郎の義と仁」の子供の時代からの人生小さな武勇伝と小さなロマンスから大人のロマンスまでも交えながら「ケンカ太郎」の記憶をたどり多少ランダムな綴り方出来事自分史です。

【ガキの武勇伝Vol.26】

<改善改革に思わぬ伏兵>

改善改革を邪魔するのは一部の官僚と政治屋だけではないですよね。

昭和46年47年当時,職場では自分の損得を優先する不満分子がゼロというわけではなかったが,支店の従業員も大方同じ方向に向けて歩き出した頃,管理職も評価をしてくれていましたが支店長は許可なく机をずらした事で改善改革の提案に何かと反対して来るようになってきました。

課長会議の席上でも支店長が反対の意見を言えば嫌われたくない、睨まれたくないで出席の課長からナカナカ同意を得られなかった。

で組合員である従業員の各部署ごとに改善提案を提出してもらう事にして,各課長管理職にに対しても注文を出してもらう事とし、それに基づいて業績を上げるための推進項目を具体的に集計ピックアップして実行する事にした。

流れは良い方向にいくと思われた矢先,上から目線の支店長の意見に心中では違うと思っていても支店の次長NO2でさえ自分の身の保身でNO1になびいた事で改革の最後の仕上げのところで,他の課長も(渋々)も反対にまわった。

結局上ににらまれるのが怖かったらしいんです。

会議が終わった後,改革を推進する事に上司に管理職は何故堂々と賛成の意見を述べられないんだという思いと孤立してしまった悔しい思いは理髪店にて丸坊主になることで怒りを処理するしかなかった。

坊主になって帰ったところ1歳の娘が私の顔を見て父親と判別できず大泣きしてしまいました。(-_-;)


しかし、ここでひるんではと従業員の大半の改革への実行の後押しもあって,現場の事務所と管理職のいる事務所を一つにしたのです。

上司の反対だった理由は事務所内が騒々しくなるというただそれだけのことで、
現場の仕事が業績を支える重要な心臓部分であることを認識できない典型的な天下り役人の発想でした。


この改革が軌道に乗り始めた頃から何かに付けてジクリじくりと上司にいやみ三昧言われましたし,本社には私の悪い情報ばかり,即ち危険人物ということの報告が入っていたようで本社の心ある人から御前の事ろくな報告あがってないぞ!気をつけろよと忠告も受けました。

そんな役人上がりの天下りの上司を説得できない自分の不徳であると思っていましたが正義が通らないこともあるんですよね。(最近総務大臣が言ったセリフですが)当時は私もそのように思い悔しかったのを覚えています。

会社の存在意義は業績を上げることのはずですが大義名分の其の前に上司個人の身の保身が優先するのですよね。
コレが困るんです。

部下は上司を選べませんからね。

この頃から上司は私を転勤させる事に動いていたようです。

続きは又明日、、、、、。


さ~さ~今日も片麻痺なんかに負けないで
一つの動作でも自分で出来るように
無理せず日々コツコツと一つ上のちょうど良か爺・良か婆の生活リハビリを頑張りましょう
心と身体のバランスが大切です。
健康維持の為には「食べる事が生きること」です。
美味しく食べる為には口腔ケアを疎かにできませんね。

歯磨きはしっかり続けましょう。

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あきらめずに日々強い意志と希望を持って努力を積み重ねましょう。

脳卒中片麻痺としっかりと向き合って日々を楽しめるようになるともうしめたものですよ。

そこに行き着くまでがこの病気の大変さでrといえるでしょうね。
片麻痺で戦ってるかた、原田太郎の体験がお役に立つのであれば左のメ~ル相談室をご利用下さい。

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【片麻痺ゲンさんのあとがき】

会社も国も同じ事だと思うんですが利権や自分の損得で動くという事は40年前も今も其の構造は同じのように思います。

会社というのは会社の業績を上げることで社員の待遇もよくなるわけですが経営者は時々社員を物や道具と間違えるときがあるのです。

人材は人財である事をないがしろにするんですよね。

国というのは国民と政治家と官僚がいて,大義名分は国が反映する為に国民が努力する。
政治家と官僚は国民が安穏に安心して暮らせるにはどうすべきか優先順位を考えるべきですよね。

官僚にも改革するには真っ当な考えを持っている人が多いはずです。

総ての官僚が利権や自分の損得の為にとは思えません。

一部の官僚に過ぎないんでしょうけど利権を優先したり自分の損得を優先する族議員といわれる政治屋が悪いのだと思いますし、この一部が厄介なんですよね。

ぶれたりぶれさしたりするのはこの一部の官僚と政治屋が原因だと思うんです。

し~ゆ~






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労働組合との交渉


おはようございます。

昨夜までの雷雨も止み天気がもどった神奈川県愛甲郡愛川町は突然夜半に土砂降りになりました。今朝は時折陽射しが差し込んでいます。
脳卒中片麻痺歴6年,前立腺ガン全摘出術後歴1年半、片麻痺自助具の楽々歯磨きップを開発したロマンシニアの原田太郎が元気印で、今日も脳卒中障害者や高齢者のご本人はもとより、ご家族の悩み、苦しみを和らげ、明日への希望、未来への活力となっていくようなお話をします。

2009年5月22日より新連載「原田太郎の義と仁」の子供の時代からの人生小さな武勇伝と小さなロマンスから大人のロマンスまでも交えながら「ケンカ太郎」の記憶をたどり多少ランダムな綴り方出来事自分史です。

【ガキの武勇伝Vol.25】

<労働組合との交渉>
昭和45年46年当時は大阪~九州の高速道路は未完成、一般道路3号2号の国道を走る。
大阪万博の期間の国道渋滞の為、会社として運行特別計画として長距離運行は時差出発をするという特例を実施していたがこの悪癖は万博が終わっても続き、翌日の配達にに間に合わず、荷主のニーズに応える事ができず他者とのサービス競争に遅れを取る状況にあり、そんななか若僧の営業課長代理として飛び込んだのです。

相手にしてみればつい数日前まで主任が急に管理職になった生意気な奴とドライバーの組合は既得権益を振りかざしていて、会社とのパワーバランスは
崩れていました。

支店の臭いものに蓋の体制を立て直さねばと新任の営業課長代理がやむなく、組合と直接対決、激しいやり取りが何日も続きほとほと疲れたが支店長と他の管理職は逃げこしで、一人で立ち向かう事になったのです。

他社とのサービスに大きな差がつき劣ればやがては仕事がゼロになることを
訴えてドライバーの目先の損得がやがて自分達の首を絞める結果になることなど、粘り強く29歳の若さで営業課長代理1対ドライバー組合10数人ぐらいを相手に毎日会議室で正論をぶち続け壮絶な戦いだった。

組合は自分の目先の損得しか言わないがこちらは自分の損得など何も無いし、ぶれようにもぶれようがありませんし会社と組合の存在意義に関することですからぶれようがありません。

同業者より落ちるサービスで事業はなりたたないわけだから、組合が折れるしかない事は彼らもわかっていたはず。

最後に自分の損得でなく支店としての職場の将来をも考えたこちらの説得に納得して、運行業務を正常化することが出来た時はほっとしました。

今もこの時代もそうだと思いますが一方が権利を振りかざしすぎるとと人間の社会はうまくいかないものですよね。

業務的改善をしなければ業績が下がるのは目に見えていて、改善に改善を重ねました。

営業課長というよりも業務課長兼任みたいなものでした~。
現場主義の自分としては全く苦になりませんでしたが~、、、、、、。

又明日、、、、、、。

さ~さ~今日も片麻痺なんかに負けないで
一つの動作でも自分で出来るように
無理せず日々コツコツと一つ上のちょうど良か爺・良か婆の生活リハビリを頑張りましょう
心と身体のバランスが大切です。
健康維持の為には「食べる事が生きること」です。
美味しく食べる為には口腔ケアを疎かにできませんね。

歯磨きはしっかり続けましょう。

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脳内出血や脳梗塞による片麻痺障害において大事な事は自分の出来ることをひとつずつ自立をするという強い意志を持つことです。

リハビリテーション病院入院中の急性期回復期は改善も顕著ですが退院後の慢性期に入ると改善するスピードは畳みの目を数えるほどですが必ず改善はします。

あきらめずに日々強い意志と希望を持って努力を積み重ねましょう。

脳卒中片麻痺としっかりと向き合って日々を楽しめるようになるともうしめたものですよ。

そこに行き着くまでがこの病気の大変さでrといえるでしょうね。
片麻痺で戦ってるかた、原田太郎の体験がお役に立つのであれば左のメ~ル相談室をご利用下さい。

福祉ものづくり集団【NPO法人たくみ21の店】もオープンしましたよ~。

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【片麻痺ゲンさんのあとがき】
本社で組合と経営者のトップの間に一つ亀裂が入ると、出先機関の一現場の営業課長代理一人で100人もの従業員の業務を正常化するのは粘り強い説得しかなく、徐々に従業員の応援者も増えて賛同してくれるようになりましたが意外なところに伏兵がいたのです。

役人の世界のルールなど知る良しもありませんでしたから。
其のルールとは改善の途中とは言え事務所の机を上司の許可を得ずして1cmたりともずらす事はいけないということでした。

事務所を快適に仕事の効率化で、たまたま上司である支店長外出中、机を10センチほどずらしてしまったのです。
上司は天下りの役人、とんでもないことに~、、、、、。

し~ゆ~
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コネもない奴が突然のとび昇格で九州へ転勤

おはようございます。

昨夜の神奈川県愛甲郡愛川町は突然夜半に土砂降りになりました。今朝は時折陽射しが差し込んでいます。


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【ガキの武勇伝Vol.24】

<コネもない奴が突然のとび昇格で九州へ転勤>

帰京が予定より1週間ほど遅れました。

実家とは言え気まずさは取れなかったのですがいざ出発,別れは親不孝の息子としてやはり辛いものがあったのは確かです。

オンボロ車を駆って家族三人佐賀県を通過,総て国道を3号,2号、1号線と走って一路神奈川を目指しました。

佐賀県を抜けるまでは後ろ髪を惹かれる思いもあり,ほとんど無口でした。

運転しながら子供時代からのことを思い出したり,子供時代はずっと管理された事が子供心に嫌で,いつか解放されたいという気持ちがあり大学卒業と同時にやっと自分の意思で,しかも好きなように人生を決めることが出来る事への喜びは大きかった事も事実で,結果両親をほったらかす事となってしまいました。

そういう身勝手な生き様を帰郷のたびに辛口の意見をしてくれた同級生の従姉妹と生涯私が兄と慕う其の二人の兄弟と義理の姉には何かに付けて陰になり日向になり、支援してくれていましたしいまも大変感謝しております。

神奈川を目指し大阪の万博会場に入り,太陽の塔を見上げてパビリオンにはほとんど入らずじまいで、又、1号線をひたすらあがってきました。

今振り返るとよくもま~一人で運転して無事に帰ってきたもんだと。
若さなんでしょうね。ヽ(^。^)ノ

昭和45年万博も終わった頃,或る日突然に主任から営業課長代理に飛び級して福岡への転勤辞令がでたのはオドロキでした。

当時九州への転勤希望は出していたものの,希望がかなえられる事は無い事はわかっていましたし,組合は3つも4つも出来て混乱の兆しのときでしたから三年辛抱して駄目なら見切りをつけようと悩んでいる時期でもありました。

経済成長の時代,東京はは人不足,九州は人あまりという皮肉な現象でしたから。経済も物流も東から西へトラックは超満載、復路は空車の一方通行の時代でした。

福岡へ勤務が可能となり両親もきてもらって一緒に住めるかもという期待と喜びもも湧いて,藤沢から福岡へ引越しをしましたが其の夢も2年で終わりを迎えることなど其のときは夢想だにしなかったんです。

続きはまた明日、、、、、。

さ~さ~今日も片麻痺なんかに負けないで
一つの動作でも自分で出来るように
無理せず日々コツコツと一つ上のちょうど良か爺・良か婆の生活リハビリを頑張りましょう
心と身体のバランスが大切です。
健康維持の為には「食べる事が生きること」です。
美味しく食べる為には口腔ケアを疎かにできませんね。

歯磨きはしっかり続けましょう。

片手で楽々片麻痺専用歯磨きパラリンコップParalymcup

脳内出血や脳梗塞による片麻痺障害において大事な事は自分の出来ることをひとつずつ自立をするという強い意志を持つことです。

リハビリテーション病院入院中の急性期回復期は改善も顕著ですが退院後の慢性期に入ると改善するスピードは畳みの目を数えるほどですが必ず改善はします。

あきらめずに日々強い意志と希望を持って努力を積み重ねましょう。

脳卒中片麻痺としっかりと向き合って日々を楽しめるようになるともうしめたものですよ。

そこに行き着くまでがこの病気の大変さでrといえるでしょうね。
片麻痺で戦ってるかた、原田太郎の体験がお役に立つのであれば左のメ~ル相談室をご利用下さい。

福祉ものづくり集団【NPO法人たくみ21の店】もオープンしましたよ~。

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■前立腺ガン全摘出の経過発信と片麻痺に関する元気情報の執筆を心がけます。
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【片麻痺ゲンさんのあとがき】

原田が主任から2階級とび級したことで同期入社の仲間が「研修中飯も食えないほどの弱弱しかったあの原田が」「何であの原田がぁ~?」「どうしてどうして」と大騒ぎになっていたみたいです。

仲間の出世頭が係長だったわけでしたから。

自分でもその理由は今でもわかりません。

福岡へ赴任して翌年の46年人望の厚いお役人出身の上司と別のお役人出身の上司と交代になり、今で言う天下りの典型です。

天下りの役人にもピンキリ天下りの役人が自己保身の牙をむくときのすさまじい現実を身を持って知る事になりました。

し~ゆ~



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昭和44年第一子誕生と父親の病気,帰郷

おはようございます。

今日も中休みってとこの神奈川県愛甲郡愛川町は湿っぽい天気です。


脳卒中片麻痺歴6年,前立腺ガン全摘出術後歴1年半、片麻痺自助具の楽々歯磨きコップを開発したロマンシニアの原田太郎が元気印で、今日も脳卒中障害者や高齢者のご本人はもとより、ご家族の悩み、苦しみを和らげ、明日への希望、未来への活力となっていくようなお話をします。

2009年5月22日より新連載「原田太郎の義と仁」の子供の時代からの人生小さな武勇伝と小さなロマンスから大人のロマンスまでも交えながら「ケンカ太郎」の記憶をたどり多少ランダムな綴り方出来事自分史です。

【ガキの武勇伝Vol.23】

<昭和44年第一子誕生と父親の病気,帰郷>

昭和42~45年藤沢勤務の約4年間は会社と労働組合分裂などで大変なときでしたが現場は得意先に迷惑を掛けないように必死でした。
同業者にはチャンスとばかりに食いこまれたことも事実でした。

営業の本文は業績を上げることですからそれに徹したわけです。

家庭の事情などはついつい疎かになり、第1子(一人娘)誕生のときに奥方は分娩室に24時間ぐらいいて大変な思いをさせました。

すぐに病院に連れて行けばよかったんですけどそうしなかった私がいけなかったんです。

今なら直ぐ救急車なんでしょうけど当時はそうもいかず。

職場と住まいの借家は直ぐそばであったんですが近所の友人から破水したので直ぐにといわれるも目の前の仕事を優先した事で遅れた事が難産になったわけです。

男って何の役にも立たず知識もなく「破水」という事がどういうことなのかさえ知らなかった私が悪いんです。。
奥方はコレが原因でこの苦しみは二度と嫌だと一人娘で跡継ぎはいないんです。

生まれてくる娘も大変だったと思います。

現代のように分娩に立ち会うことや分娩室に入ることさえ許されない時代でした。

44年5月28日無事に生まれてくれました。

結婚に反対されたとは言えこの年は父親も体調を崩し一人息子の自分としては九州へ帰るべきか両親をどうするかで随分悩みました。

45年大阪では万国博覧会開催中でした。
とりあえず1歳にも満たない娘を連れてしかもオンボロ車のテールランプが柿の種
で有名なニッサンブルーバードに載せて神戸からフェリーで小倉へと佐賀県太良町へ帰りました。

10ヶ月の赤ん坊つれての長旅は無謀でしたけどね。
案の定娘はふるさとで高熱を出し、医者に通い、約束の日までに藤沢の職場へもどれませんでした。

結婚に反対していた両親も孫まで出来たら認めるしかなかったようでしたが
気まずさがあるのはお互い様でした。
奥方には一番辛い思いをさてしまいました。
心の中で「すまね~な!」と。

続きはまた明日、、、、、。

さ~さ~今日も片麻痺なんかに負けないで
一つの動作でも自分で出来るように
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心と身体のバランスが大切です。
健康維持の為には「食べる事が生きること」です。
美味しく食べる為には口腔ケアを疎かにできませんね。

歯磨きはしっかり続けましょう。

片手で楽々片麻痺専用歯磨きパラリンコップParalymcup

脳内出血や脳梗塞による片麻痺障害において大事な事は自分の出来ることをひとつずつ自立をするという強い意志を持つことです。

リハビリテーション病院入院中の急性期回復期は改善も顕著ですが退院後の慢性期に入ると改善するスピードは畳みの目を数えるほどですが必ず改善はします。

あきらめずに日々強い意志と希望を持って努力を積み重ねましょう。

脳卒中片麻痺としっかりと向き合って日々を楽しめるようになるともうしめたものですよ。

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【片麻痺ゲンさんのあとがき】

いやはや、結婚というのはどんなに反対されても反対する側の理由があるわけで、理由は原因は息子である私がふるさとの両親との日頃のコミニケーションと両親への尽くし方足りなかった事にあるわけで子供の立場は粘り強く説得して了解をもらわないと後々嫁に肩身狭く辛い思いをさせることになります。

日頃からのコミニケーションは以下に大切かと言う事を判るのには大きすぎる代償でした。

し~ゆ~








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