(前回からつづき)
旅館は、玄関の開き戸がほんの20センチばかり開いておった。
その開き戸をもう少し開けると、ひっそりと薄暗く静まった玄関の上がり框の左右両端には2,3足ずつの運動靴が並んでおるし、ビニールのスリッパが10足以上もそろえて客を迎える準備をしておった。
その奥に6畳ほどの広さであろうか、ロビーの正面に5,6段の階段、隅には小さなソファとテーブルという応接セットの上に新聞が無造作に置かれておった。
小さくてきわめて質素じゃが最低限の客を迎える用意はできているようじゃ・・・しかし、奥からは誰も出てくる気配がせん・・・
「こんにちは」
「こんにちはー」
と、段々大きな声になって奥に向かって叫んでみるが、何の反応もない。
『予約をした宿はここではなかったか』と、一度外にでてみるが、一方の隣は個人宅で、もう一方の隣は空き地であるし、その隣の隣は先年の大地震のせいと思われるひび割れが残る旅館の廃墟じゃった。
「やはりここしかないのう。」と、もう一度恐る恐る先ほどの旅館の開き戸をくぐった。
改めて目をこらして薄暗いロビーをよーくみてみると、恐ろしく汚れておる。
赤い敷物は、ほこりや色褪せでずいぶんくたびれたものになっておって、それはゴミ捨て場でももう少しまともな敷物ばかりと思われるほどのものじゃ。
いや、それだけではないのじゃ。
壁や天井の汚れも掃除が行き届いていない、というような限度をこえたものじゃった。
正面に見える短い階段も、明らかに傾いておった。
『ここが本当に営業しておる旅館じゃろうか?
こんなに汚れた、こんなに傾いた、薄暗い建物が?』
やはり間違えか、と引き返そうとした途端、奥から「いらっしゃいませ」と40代半ばから50代ほどの男性がでてきた。
従業員といった態でもなく、ごくごく普通の、ジーパン姿のおじさんじゃった。
すっかり腰がひけてしまっての、よほど他の宿をとりなおそうかと思いはじめておったが、
「どうぞ、どうぞ」と笑顔で案内されると帰ることもできなくなっての。
さっき玄関からみえたずいぶんと右へ傾いた階段を、壁をつたわりながらやっと上がると、暖簾のかかった引き戸があって、その前を通るときに先のおやじが、
「ここは風呂で、室内から鍵がかけられるようになっています。鍵がかかっていたら別のお客さんがつかっていますが、そうでないときはいつでも利用なさってください。」という。
その風呂場を通り過ぎるとまた7,8段の階段があってそれをあがる。
のぼりきったところは左右にわかれて客室への廊下となっているが、正面には大きな大泣きな姿見がかけられておったがの、これまた恐ろしく曇った鏡じゃ。
右手に案内されて、一番手前の客室じゃった。
扉を開けるとすぐに左手が和式便所。
ふすまを開けると八畳間だったが、その畳は今までみた中で一番古びて黄ばんで、腐っているのではないかと心配になったほどじゃ。
この部屋が一番広いそうで、昔の旅館の部屋のように奥にはテーブルとイスの板の間が続いておって、そのまた奥はかなり狭いが庭じゃった。
じゃが、この庭は荒れ放題。
そこらの空き地のほうがよほど手入れされてみえるほどだし、荒れ放題の庭の奥には今にも崩れそうに腐った二階の物干し台が見えるだけじゃった。
案内のおやじがでていって、とりあえず脱いだ上着を掛けようと、つくりつけ箪笥の扉をあけると、20本ほどのハンガーがぶら下がっていたのじゃが、クリーニング店でもらってくる針金ハンガーなうえに、それもひとつとして揃いのものはなかった。
部屋には大きなテーブルと座椅子、家庭用テレビより一回り小さなテレビ、暖房機があったが、部屋の真ん中までタコ足配線のケーブルを伸ばしてあった。
ここが本当に旅館として営業がなりたっているとは到底信じがたい有様で、宮沢賢治の「注文の多い料理店」や泉鏡花の書く小説のあやかしの世界はこんな感じではないか、いや、きっとそうに違いない。と背筋が寒くなってきよった。
大きなテーブルにのせてある、もてなし茶菓子にやけに大きなどら焼きが置いてあるのもこうなると恐ろしさを増すばかりじゃ。
今夜はどんな夜なのじゃろう?
明日の朝があつたとして、ひろーいのっぱらにただ一人ぽつんと目覚めて、「きつねにばかされるとはこういうことか」なぞという羽目になるのではなかろうか?
いやいや、そもそも、無事に明日という日を迎えられるのじゃろうか?
旅館は、玄関の開き戸がほんの20センチばかり開いておった。
その開き戸をもう少し開けると、ひっそりと薄暗く静まった玄関の上がり框の左右両端には2,3足ずつの運動靴が並んでおるし、ビニールのスリッパが10足以上もそろえて客を迎える準備をしておった。
その奥に6畳ほどの広さであろうか、ロビーの正面に5,6段の階段、隅には小さなソファとテーブルという応接セットの上に新聞が無造作に置かれておった。
小さくてきわめて質素じゃが最低限の客を迎える用意はできているようじゃ・・・しかし、奥からは誰も出てくる気配がせん・・・
「こんにちは」
「こんにちはー」
と、段々大きな声になって奥に向かって叫んでみるが、何の反応もない。
『予約をした宿はここではなかったか』と、一度外にでてみるが、一方の隣は個人宅で、もう一方の隣は空き地であるし、その隣の隣は先年の大地震のせいと思われるひび割れが残る旅館の廃墟じゃった。
「やはりここしかないのう。」と、もう一度恐る恐る先ほどの旅館の開き戸をくぐった。
改めて目をこらして薄暗いロビーをよーくみてみると、恐ろしく汚れておる。
赤い敷物は、ほこりや色褪せでずいぶんくたびれたものになっておって、それはゴミ捨て場でももう少しまともな敷物ばかりと思われるほどのものじゃ。
いや、それだけではないのじゃ。
壁や天井の汚れも掃除が行き届いていない、というような限度をこえたものじゃった。
正面に見える短い階段も、明らかに傾いておった。
『ここが本当に営業しておる旅館じゃろうか?
こんなに汚れた、こんなに傾いた、薄暗い建物が?』
やはり間違えか、と引き返そうとした途端、奥から「いらっしゃいませ」と40代半ばから50代ほどの男性がでてきた。
従業員といった態でもなく、ごくごく普通の、ジーパン姿のおじさんじゃった。
すっかり腰がひけてしまっての、よほど他の宿をとりなおそうかと思いはじめておったが、
「どうぞ、どうぞ」と笑顔で案内されると帰ることもできなくなっての。
さっき玄関からみえたずいぶんと右へ傾いた階段を、壁をつたわりながらやっと上がると、暖簾のかかった引き戸があって、その前を通るときに先のおやじが、
「ここは風呂で、室内から鍵がかけられるようになっています。鍵がかかっていたら別のお客さんがつかっていますが、そうでないときはいつでも利用なさってください。」という。
その風呂場を通り過ぎるとまた7,8段の階段があってそれをあがる。
のぼりきったところは左右にわかれて客室への廊下となっているが、正面には大きな大泣きな姿見がかけられておったがの、これまた恐ろしく曇った鏡じゃ。
右手に案内されて、一番手前の客室じゃった。
扉を開けるとすぐに左手が和式便所。
ふすまを開けると八畳間だったが、その畳は今までみた中で一番古びて黄ばんで、腐っているのではないかと心配になったほどじゃ。
この部屋が一番広いそうで、昔の旅館の部屋のように奥にはテーブルとイスの板の間が続いておって、そのまた奥はかなり狭いが庭じゃった。
じゃが、この庭は荒れ放題。
そこらの空き地のほうがよほど手入れされてみえるほどだし、荒れ放題の庭の奥には今にも崩れそうに腐った二階の物干し台が見えるだけじゃった。
案内のおやじがでていって、とりあえず脱いだ上着を掛けようと、つくりつけ箪笥の扉をあけると、20本ほどのハンガーがぶら下がっていたのじゃが、クリーニング店でもらってくる針金ハンガーなうえに、それもひとつとして揃いのものはなかった。
部屋には大きなテーブルと座椅子、家庭用テレビより一回り小さなテレビ、暖房機があったが、部屋の真ん中までタコ足配線のケーブルを伸ばしてあった。
ここが本当に旅館として営業がなりたっているとは到底信じがたい有様で、宮沢賢治の「注文の多い料理店」や泉鏡花の書く小説のあやかしの世界はこんな感じではないか、いや、きっとそうに違いない。と背筋が寒くなってきよった。
大きなテーブルにのせてある、もてなし茶菓子にやけに大きなどら焼きが置いてあるのもこうなると恐ろしさを増すばかりじゃ。
今夜はどんな夜なのじゃろう?
明日の朝があつたとして、ひろーいのっぱらにただ一人ぽつんと目覚めて、「きつねにばかされるとはこういうことか」なぞという羽目になるのではなかろうか?
いやいや、そもそも、無事に明日という日を迎えられるのじゃろうか?