タレントの清水富美加さんの引退&出家。
色々な意味で?????となりました。
しかし、よくよく考えると、納得できる部分もあるような気がします。
人は心の拠り所にするものが必要です。
無神論者ですら、そうだと思います。
彼女の場合、一番心が弱っている時期に、心の拠り所としている宗教に救済を求めた。
それだけの話なのかもしれません。
年齢的にも、タイミングとしても珍しいたけ・・・なのかも。
ことに、自分に置き換えた場合、出家したい、と思ったことはあります。
ただ、それは逃げという意味で。
厭世的な気持ちになり、こんなことなら出家して、世間と離れたい、などと安易に考えたりもしました。
出家を逃げにしている時点で、あまりにも甘い考えな訳ですが・・・(笑)
出家の話から派生して、私の実家の話を少ししてみようかと。
我が家はかなり熱心な仏教徒だと思います。
法事は勿論、お彼岸、お盆は欠かさずお墓参りに行きますし、母については祖母の月命日にもお墓参りにいく徹底ぶり。
そんな父母から、お墓参りやお彼岸などの重要性を説かれながらも、自分は凄く他人事なんですよね。
最低限の行事には参加するものの、それ以上をしようという気になれないのです。
墓守にいずれなる、という自覚が一切ないと言ってもおかしくないくらいです。
それはそういう教育の反動なのか、元々の性格なのかはさておき。
私の代でお墓参りという文化が潰えるかもなぁ、という感じです。
少なくとも、娘に、仏教徒としての自覚を・・・みたいな話をする気もありませんし、お墓参りも極力最小限になると思います。
ある意味、現代的な考え方に染まっているのかもしれません。
もし、自分が死んでも、その後法事を何度もやってもらうのも、残された人に負担だと思うので、跡形もなく焼いてしまってほしい。。そんな想いです。
自分が異端なのか、世間的には普通なのか、わかりません。
いずれにせよ、20、30年後には日本古来の仏教や神道についても、今とだいぶ変わっていると思うので、そのときに色々と考えたいものです。