誰だって人に嫌われるのはいやだ。私だって例外ではない。
誰だって人に憎まれるのはいやだ。私だって例外ではない。
私は小学校時代、低能児の廉で、父兄から目の敵にされ、誰も遊んでくれる人がいなかった。
唯一の例外は、小学校六年から、中学校二年まで親友をしてくれたТКЯНだ。
КСЯやПРНЦも、「私を忘れないでください。」というだろうが、あいつらは低能児である俺を虐待した。
馬鹿野郎。おまえたちは、俺をおもちゃにはしたが「救って」はくれなかったではないか!
きっと密教使いのАБであろう。
あいつは、体操帽で隠してはいたが、その見えないベールの後ろで印を組んで私を遠ざけていたのを私は知っていたから。
その頃私は一年に三回も骨折して学校に行けなかった。
きっとお受験組のエリートさんにとって、私は低能ギョーニックラックスカタン足引っ張りプレイヤーだったので、私を強制出席停止にしたかったのであろう。
まあ、ここまで嫌われれば、ある意味すがすがしいであろう。
それだけ私のキャラは確立していたわけだから。
前にも書いたが、こんな人生ばかり送っていると、世間を救うために(自分のせいで回りを苦しめないため)に、自殺を志したり、メディアで耳目を賑わす人たちのように、世間を滅ぼしたくなる。
が、自分や世間に愛があると、精神障害という形をとって、自分を無力化するのであるが。
(読んでるかい?メンタルのプロさんよ!)
閑話休題。
まあ、新フロイト派があれだけ精神科臨床において、多数の寛解率を上げたのは、患者の放つ、その反社会的で非社交的な性格の毒ガスを突破して、気質に似合った適応系にまで導いたからである。
それがわからないと、ねえさんのように、私を診察するのがいやで、私の診察直前に診察室を離れて、病院内を徘徊するようになるのである。
(きっとねえさんやその一味もこの記事読んでるんだろうね。)
これが私の性格であるなら、それはそれで致し方ない。
まさに、いけもとてつこう、あまりの悲しさに、55歳、マジの号泣である。
そんなわけである。
以上、管内北区でいけもと。