幻覚。
幻覚について、ユングは「起きながら見ている夢」と、彼の本に書いていた。
確かに入眠時や覚醒時には、よく夢を見る。
例えば何らかの事情で睡眠不足の人や、昼夜逆転状態の人は、学校や職場などの、普通に朝起きて夜寝るというリズムには適応は難しいであろう。
例によって、その何らかの事情というものは、患者自身がよく知っているが、心のプロには絶対に明かさない。
妄想。
妄想の根底は、関係妄想である。
その関係妄想に、考え方の癖が乗っかり、その癖に従って、なんとか妄想に化ける。
その考え方の癖というものに気づかなければ、妄想からは脱却できまい。
さて、なぜメンタル疾患は、人間の社会性に関わる病だと言われるか?
それは、困ったちゃんの対人操作である。例えば、ことさら事件を起こして人の気を引くような人(惨めな私操作)とか、相手の些細な欠点をあげつらい、それをたたくことによってなにがしらの利益を得るような人(さあ、とっちめてやるぞ操作)とか、枚挙いとまない。
その(~)操作は、環境に対する患者の保護色である。
環境に適応したくないから、環境を操作しようとする。
これを心理的に健康な人が叱責すると、途端に出てくるのが、例の精神科症状なのである。
ぶっちゃけ、幻覚や妄想なんてものは、消えるときが来れば、きれいに消えるものだが、消えた後に出てきて本来の持ち味が出てくる対人操作こそが、症状に代わる症状なのである。
その症状に代わる症状こそ、例の「イヤラシイ再発」なのである。
患者にしてみれば、~操作やら、幻覚妄想症状状態などで、散々人をかき回して、わがままを通し、優しい人たちの同情を得てきた。
こんな便利な他者操作のスイッチを投げ捨てる人は、まずいない。
さて、人の心は、他者中心性の極から、自己中心性の極まで、1から99のグラディエーションで、推移する。
こんな人たちがいる。
おまえは対人配慮が足りない。
こんなことを言うやつに限って、「この俺(わたし)を大切にしろ~」と、嫌らしく絶叫している、困ったちゃんなのである。
他者中心の仮面をかぶって、実は自己中心性の限りを尽くしているのだから、その嫌らしさったらない。
そんなやつに限って、見かけ上は職場でうまく適応し、それなりの評価を得て新人を潰しているのであるから、やりきれない。
実態のない世論を持ち出して新人に絡み、自殺者や退職者を量産する新人セミナーの講師なんてのは、そんな類いの人である。
もっとも新人を自社の社風に染めるのに、人の手を借りること自体が、ふざけているといえば、ふざけているのだが。
おっと、タイピングが過ぎたようだ。
今日はこの辺にしておこう。
以上、管内雑司ヶ谷で、いけもと。