目覚めた孔雀。独り言三昧。

目覚めた孔雀の独り言です。

成仏したって苦からは逃れられず、難からは逃れられない。況んや凡夫をや。

2022-12-12 17:29:02 | しんぶんクロハタ並びに小黒金剛石

釈迦が言っている。

生老病死を筆頭とする四苦八苦からは、どんな生き物でも逃れることはできないと。

ってことは、成仏したお釈迦様でさえ、生老病死を筆頭とする四苦八苦からは逃れられない。

それにお釈迦様は成仏した後、難に遭った。

それが俗に言う、九横の大難である。

これが事実なら、なぜ仏の法を聞いて人が幸せになれるのか?

修行して成仏したって、難は逃れられないし、苦しみからは逃れられない。

一体なんじゃ、それってことになる。

が、仏教はまだましだ。

オルフェウス教を母体とする宗教のように、死後の冥福や受苦を説かないからだ。

これはいけもとの想像であるが、おそらく浄土教は、東に伝わったオルフェウス教が母体になっている。

つまり、オルフェウス教、いやさ、キリスト教と仏教の合いの子だ。

さらにいえば、東方浄瑠璃世界の教主、薬師如来だって、あれもキリスト教と仏教の合いの子だろう。

薬師十二神将を、キリスト教の十二人の使徒だと考えれば、数はぴったりと合う。

さらにいえば、キリスト教徒の悪霊追い出しと病気治しを、精神科と身体科の疾患治療と投薬だと考えれば、スムーズに意味が通る。

おそらく薬師を怨敵と狙う魔は、病気治しのお株を奪われた、地元の治療神を氏神とする、呪術医たちや、彼らの雇ったヒットマンだと考えれば、意味は通る。

話は盛大にずれたが、成仏したって四苦八苦からは逃れられず、難からは逃れられないとわかったら、いかに宗教がでたらめかよくわかる。

すなわち宗教のメリットは、社会的に疎外された連中のコミュニティであり、そんな連中を搾取してうまい汁を吸う教団幹部や、死後の冥福を説いて、反社会的行動に駆り立てる一部の野心家のみであるといえよう。

なんだかんだいってるが、大なり小なり変化はするが、宗教なんてものはこんなものである。

と、いけもとの体験がこんな文を書かせた。

以上、いけもと。

 



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