平家亡き後の鎌倉武家政権の脅威は二つ。
一つは京都の朝廷。
そして意外に知られていないことだが、平泉の奥州藤原家の二つである。
実はその筋を見越して、奥州藤原家は頼朝公の弟君である義経に娘を嫁がせたのであろう。
つまり鎌倉武家政権の近親者と姻戚関係にあれば、鎌倉は攻めてこない。
そんな甘い期待があったのかなと私は思う。
それに元々平家一族の、平家にあらずんば人にあらずというやり方は、ほかの貴族たちからも恨まれていた。
つまり平家がある限りは、鎌倉も奥州藤原も、平家一門という共通の敵がいたのである。
頼朝公と義経の兄弟仲はわからないが、もし仲が悪かったとしても、義経が奥州平泉政権を頼って、奥州に逃げていったのは、頼朝公にしてみれば、渡りに船だったのであろう。
なぜなら義経追討を口実に、潜在的脅威である奥州平泉政権を打倒し、自分の部下に対して恩賞として与える土地も増える。
そして義経を消してしまえば、朝廷側が自分を追討する院宣や詔勅を与える有力な大将もいなくなる。
実に頼朝公にはおいしい話なのだ。
十時のおやつを食べながら、妹とこんな話をしていた。
読者諸賢はどう思われるであろう。
そんなわけである。
以上、管内小竹向原でIKMT。