義経は実行部隊長としての才能はあるが、天下経営の才能があったかどうかは疑問だ。
後白河法皇の院宣で、官位を得た義経。
そして頼朝追討の院宣で、頼朝を滅ぼす。
その後には何が待っているか?
簡単である。
壇ノ浦の合戦で、安徳天皇を滅ぼした罪を問われて義経は官職を解かれ、処刑される筋が見え見えではないか。
平家という貴族が倒れ、天下経営の才能があった頼朝が滅び、そしてたぐいまれなる軍事的才能を持った義経が誅殺される。
トップを失った武士団は、後白河法皇に忠誠を誓うしかない。
そのとき、政略思想はあっても軍事的才能を持たない法皇やそれ以降の統治者に、元寇を防げたかどうかは疑問である。
実にぞっとする思いである。
後白河法皇の意図としては、海の平家に西国を任せ、陸の源氏に東国を任せたかったらしい。
東に備える征夷大将軍という官職もあったが、西に備える鎮西将軍という職もあったから、この推理はあながち間違いではないであろう。
ただ、この策の欠点は、朝廷は直轄部隊を持っていない。
いくら源氏と平家の仲が悪いとはいえ、彼らが「はっ」と気づいて手を組んだら、後白河法皇はどうするつもりであったのであろう?
たぐいまれなる才能を持った後白河法皇の統治下においては、意味のある政略だが、後白河法皇以降の統治者が、法皇と同程度の統治能力を持っているとは限らない。
その場合を考えると、実にぞっとする思いである。
それに平家の公達が、北九州に攻めてきた元と戦えたかどうかも怪しい。
どうも当時の統治者を見ると、血統にあぐらをかき、自分以降の後継者たちの統治能力や統率力については、全く考えていなかったようだ。
そういった意味で、信長・秀吉・家康のリレー天下経営は見事としか言い様がない。
その辺を教授してくれる天下経営の手引き書がないのは、実に悲しい限りである。