目覚めた孔雀。独り言三昧。

目覚めた孔雀の独り言です。

反省。世間を甘く見ていた。

2022-11-16 02:35:36 | いけてつオタク話
世間を甘く見ていた。
世間を甘く見ていたからこそ、生存競争ということがわからなかったのだろう。

それでも体は、内側のがん、外側のけがや感染症から守ってくれていたのだから、ありがたいことだ。
これこそ神の冥加であろう。

生存競争に気がついたきっかけというのは、私がメンタル科のデイケアにいた時代に体験した出来事を思い出したからだ。

ある男性メンバーは女性スタッフに惚れ、女性スタッフに告白したが失恋した。
そして女性スタッフが同僚と結婚すると発表したときに、彼は、我々デイケアメンバーは、スタッフとその旦那さんの配偶者との養子になるべきだと寄せ書きに書いた。
彼は前エディプス期にまで、発達段階が退行していたのである。

その当時、私はある女性メンバーと仲良くしていた。
ある男性メンバーは非常に私を敵視していた。が、表面上は従順を装っていた。
彼はエディプス葛藤を処理して、その女性を私から奪い取るという考えにかけていたのである。

どうも彼らは、異性愛は競争によって勝ち取るものではなく、肉親の情愛のように、相手から一方的に与えられるものだと思い違いをしていたらしいのだ。

この症例からもわかるように、彼らは前エディプス期にまで発達段階が退行していたのである。

なぜ異性愛は競争によって勝ち取らねばならないか?
それはパートナーと一体となって、自然との絶え間ない闘争に立ち向かうためである。

自然との絶え間ない闘争に勝ち抜く異性でなければ、パートナーは決して相手を選ばない。

なんとかフェチといっても、自然との格闘のために特化した武器。その武器が優れているから、知らず知らずのうちにフェティシズムになるのであって、そういう変態性欲にも、根拠がある。

そう言ったわけで、我が家族を顧みるに、父は父で私ども家族を死んだ後も扶養しているし、母は母で、棺桶に片足を突っ込みながらも、私ども兄妹の心の支えになってくれている。

これが夫婦である。

パートナーは人生苦から逃れるための避難場所ではなく、一緒に人生苦と戦うタッグマッチのパートナーなのだ。

そうか。
私の主だった上司たち、私の師匠だった恩師たち、私の親だった両親。
皆私に愛情を持って接してくれていたのだ。

バイブルに目に見えぬ兄弟を愛せないものは云々。とあるが、目に見えぬ目上の人の愛がわからなければ、神の愛はわかるまい。

そういった意味で、畏友ヅッキーさんが言っていた、いけもとさんは愛がわからない。といったことは真実だったのである。

どれだけ周りの人たち、特に畏友ハローさんが、いけもとのことを友愛で見守ってくれているか。

ハローさんの友愛を、ハローさんに恩返しして、ヅッキーさんに恩送りしなければ罰が当たるなあ。

そんなことを思ったいけもとであった。



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