〈文化〉 世界に一つだけの椅子㊤ 「君の椅子」プロジェクト代表 磯田憲一さん
2018年6月12日 聖教新聞
2006年に北海道の小さな町から始まった、新しい命の誕生を祝うプロジェクトがある。プレゼントされるのは、赤ちゃんのお尻がすっぽり収まる小さな椅子。名前と生年月日が刻まれている。家具職人が一流のデザイナーと組み、一脚一脚、手作りでこしらえた。この世界にたった一つの椅子の名前は、「君の椅子」。椅子に託した思いなどを、「君の椅子」プロジェクトの磯田憲一代表に聞いた。
06年に「君の椅子」プロジェクトを始める時、戦後社会の豊かさは非常にもろいものだと思っていました。「このままでは、私たちが目指した豊かな社会とは違う道を歩み続けるのではないか」。こう痛切に感じていたのです。
何よりの根拠の一つは、子どもの命がないがしろにされている事実です。家庭での虐待や学校でのいじめなど、子どもの人格・人権が損なわれる事件が後を絶ちません。
子どもは地域の宝、世界の宝です。新しい命を大切に育み、次の世代へつないでいくことで、人間社会は循環していきます。子どもは宝の存在――この当たり前の理念を実践する地域社会の力は、残念なことですが過去のものになりつつあります。
私が子どもの頃までは、この理念と実践は一致していました。いたずらをすると、雷が落ちたように叱ってくれる近所のおじさんや、普段の様子と少し違うと、心配して家に連絡をくれる駄菓子屋のおばさんがいました。子どもたちの成長をさりげなくサポートする、地域社会のつながりがありました。
私たちは、確かに金銭的には豊かになったかもしれません。しかし、この豊かさは、もしかすると、人と人の距離を遠ざけ、共に支え合う地域社会の関係性を遠いかなたに押しやって得たものかもしれません。
しかし、どんなに社会が変わっても、人間は一人では生きていけません。
もう一度、「向こう三軒両隣」の関係性を取り戻さなければいけない。このままでは、来る22世紀は子どもたちに引き渡せない社会になってしまうのではないか。危機感が募りました。
今、自分が立っている場所で、今、持っているもので、自分のできることをやる、と決めました。私ができることは、北海道の潜在力を生かした、新しい命の誕生を喜び、子どもたちの健やかな成長に寄り添う地域社会の仕組みを提案することでした。
私は、プロジェクトのイメージを次のように表現しました。「小さな町役場に出生届を出しに来たお父さん、お母さんが役場を出た時、小脇に小さな椅子を抱えている。それを見た人が、たとえ友人や知人でなくとも、『赤ちゃんが生まれたんだね。おめでとう!』と言えるような町の風景をつくりたい」
「この言葉で情景が浮かんだ」と言うのは、建築家で家具デザイナーの中村好文さんです。後日談ですが、「あの言葉にだまされて(椅子のデザインを)僕から志願した」と。だましたつもりはありませんが(笑い)、この思いがプロジェクト継続の力です。
なぜ椅子なのか。椅子でなければならなかったのです。
20年ほど前、たぶん雑誌だったと思いますが、レストランでのエピソードを読みました。
――ある夫婦が席に着き、3人前の料理を注文した。けげんに思った従業員が「3人前でよろしいのでしょうか」と確認。すると夫婦は、家族3人でよく通ったこのレストランで、先立った子どもをしのびながら食事をする思いを伝えた。従業員は、さりげなく言った。「それなら椅子をお持ちしましょう」
椅子は人生と深く関わっています。そこで、北海道が誇る旭川家具の職人が作る椅子に、「生まれてくれてありがとう」「君の居場所はここにあるからね」の思いを重ね、世界にたった一つの「君の椅子」を贈るプロジェクトをスタートさせたのです。
椅子研究家の島崎信さん(武蔵野美術大学名誉教授)は、私たちの取り組みに「衝撃を受けた」と言います。
まず、デザインを売りにしない椅子が存在することに対して。先ほどの中村好文さんは「公共建築の安藤忠雄か民家建築の中村好文か」と呼ばれるほどの著名人です。
2006年の「君の椅子」は中村さんによるデザインですが、私たちは「中村好文」作であることを全く売りにしていません。一生ものの椅子にするために、一流のデザイナーにお願いしただけです。
さらに、椅子には「人が腰掛けるための家具」「地位、ポスト」という二つの意味がありますが、「心の居場所」という発想は、半世紀にわたり、世界の椅子研究に関わってきた島崎さんも「全く想定したことがなかった」と言います。
プロジェクトを通し、世界にたった一つの椅子を制作する家具職人たちの喜びを、私たちも少し理解できるようになりました。誰が座るのか分からない椅子を作り続けるのではなく、「君の椅子」は、誰が座るのかが分かった上で作ります。
木を切り倒す人――木こりの皆さんも、「きょう倒してもらった木が2年後、子どもたちの居場所になります」と私が伝えた途端、心の中で何かが確実に変わりました。
後日、こんな話を聞いて驚きました。プロジェクトと契約を結んでいない木こりの方が「俺がきょう切った木は何になるのか」と尋ねてきたというのです。
「働く」ということは、お金をもらうだけのものでしょうか。何のために働くのか。たとえ、ささやかな活動であったとしても、社会的にどんな役割を果たすのか。こうしたことがきちんと心にあってこそ、人は喜んで労働に汗を流すのではないでしょうか。
2015年は、プロジェクトの開始から10年という、一つの区切りでした。これまでの歩みを紹介する「『君の椅子』10年展」が札幌芸術の森工芸館で開かれました。「10周年」ではなく、「10年」です。私たちのプロジェクトは周年事業ではありません。毎年、新しいデザインの椅子を世に送り出すように、一年一年が大切な節目です。
展示は、72日間の会期で、予想をはるかに超える3万人以上が来場しました。この数は、家具職人や木こりの皆さんが家族や友人を誘い、「俺は、こういう仕事をやっているんだ」と胸を張って説明したからではないか。私は勝手にそう思っています。
北海道の大地で育ったことの明らかな道産材を「君の椅子」の素材とする仕組みづくりに努力してきました。
「君の椅子」プロジェクトは、作る人と使う人の関係をより近いものにして、ものづくりへの信頼と愛着を高めたいとの願いも託しているのです。(19日付12面の㊦に続く)
心がホンワカする記事で、グッときました。