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聖教新聞 (2019/ 3/16) 〈スタートライン〉 映画監督 日向寺太郎さん

2019年08月18日 21時28分51秒 | コラム・ルポ

〈スタートライン〉 映画監督 日向寺太郎

聖教新聞 2019年3月16日

人とのつながりが未来を生きる力に
映画「こどもしょくどう」 23日(土)より全国で順次公開
 
映画監督 日向寺太郎
映画監督 日向寺太郎
 

 子どもは未来であり希望である――地域の子どものためにと始まった「子ども食堂」は、今や全国で2200を超える。その取り組みが全国に広がった背景を、子どもの目線で描いた映画「こどもしょくどう」が、今月23日に公開される。今回のスタートラインでは、監督の日向寺太郎さんに話を聞いた。

 ――子ども食堂とは、貧困や家庭の問題などで満足に食べることができない子どもたちに、無料、または安価で食事を提供する場所のこと。2012年に東京都大田区にできたものが第1号とされている。

 映画の企画をいただいたのは、15年の夏。当時はまだ、子ども食堂は今ほど多くありませんでした。
 実際に、足を運ぶと、とても居心地のいい場所でした。何か決まり事があるわけでもない。知らない子どもが来ていても素性を探ったり、深く聞いたりもしない。それでいて、無関心とは違う、「ここにいていいんだよ」と言われているような温かさを感じました。
 なぜ、子ども食堂をつくらなければならなかったのか。子どもたちが直面している現実と、子どもから見た社会を描きたくて、この映画を製作しました。
 
 ――厚生労働省の発表では、7人に1人の子どもが貧困状態にあるという。しかし、日頃その存在に気付く人は多くない。
 
 子ども食堂に行ってみても、見た目だけでは分からない。しかし、子ども食堂に通い、さまざま調べ深めていく中で、貧困は身近なところにあるのだと知りました。
 日本では、一度「軌道」から外れてしまうと、極端に生活が苦しくなってしまいます。思えば、私の身近にもシングルマザーの方が多くいました。大変な思いをしてお子さんを育てていらっしゃったと思います。まだまだセーフティーネットが不十分だと感じます。
 それは地域を見ても同様です。かつては、町内会など、人との交流も多く、何かあれば自然に支え合っていましたが、今では希薄になっています。
 裏を返せば、皆、しんどさや苦しい状況を抱え、自分のことで精いっぱいなのかもしれません。
 こうした現状を変えようと映画を作ったわけではありません。映画を見て何を感じるのかは、人それぞれです。何か行動を起こさなきゃいけないわけでもない。ただ、こうした苦境の中で暮らす子どもたちが、身近にいることに思いをはせてもらいたいとは思っています。
 
 ――子ども食堂は、16年からの2年間で、約2000カ所増えたとされる。認識が深まりつつある一方で、「子ども食堂に行く人=貧困」との世間の目を気にして、足を運べない人もいる。
 
 人は一人では生きていけない。困った時には遠慮なく助けを求め、助けられる時は全力で助ける。それが当たり前だと思います。
 ただ、“かわいそう”と思われたくないという人も中にはいる。確かに現実と必死に闘っている人に、「かわいそう」と声を掛けるのは、生き方を否定することにもなるし、不適切でしょう。でも、かわいそうだなと思うこと自体、悪いことではないと思います。大切なのは思うだけで終わらないことです。
 なぜ、そう感じたのかを考えることが、全ての出発点になります。両親に捨てられたことがかわいそうなのか。食事ができないこと、学校に行けていないこと、家がないことがかわいそうなのか。自分が抱いた感情に向き合うことが、自分の問題意識を知る上でも、具体的な一歩を踏み出す上でも大事だと思います。
 
 ――日向寺さんは、少年犯罪をテーマにした「誰がために」、戦争を題材にした「爆心 長崎の空」など、苦難の中に生きる人々を描く作品を多く手掛けている。
 
 お話をいただいてから映画を作ることもあるのですが、過去の作品を振り返ると、人の生き方に迫るものが多いことに気付きました。
 それぞれの時代状況の中で、人間がどうやって生きてきたのかは、私自身、とても関心があるテーマです。
 時には理不尽ともいえる困難な現実に、気持ちの整理がつかないこともあります。それでも、現実と向き合い、立ち上がろうとする姿に、人間らしさ、力強さを感じるんです。最も尊い瞬間なんだと思います。
 今作品でいえば、貧困の現実と、子どもたちが必死に向き合う姿を描きました。ある子どもたちにとって、現在は、孤絶し分断された世界かもしれない。その中でも、人と出会い、思うことによって、人は変わりゆくことを描きたかった。子どもたちの変わっていく姿に、希望にも似た思いを込めています。
 
 ――最後に青年に向けたエールを聞いた。
 
 子ども食堂も一人の思いから始まりました。何かを変えたいという思いがあれば、少しずつ現実を変えていく力になると思います。
 人はつながりの中で生きている。家と学校だけの生活では、いざという時、逃げ場がなくなってしまう。子どものためにも、こうした人とつながれる場所がもっとあるべきです。
 それは大人にも言えることです。仕事より趣味が好きでもいい。何でもいいと思う。他者とつながれる「場」があることが、豊かさに結び付くと思います。人間関係って煩わしいと思う人がいるかもしれないけど、そうしたつながりを大事にしていってもらいたいです。それが生きる力に変わっていくと私は信じています。

ストーリー

 小学5年生の高野ユウトは、食堂を営む両親、妹と共に不自由なく生活していた。一方、幼なじみのタカシの家は、育児放棄の母子家庭。ユウトの両親はそんなタカシを心配し、頻繁に夕食を食べさせていた。

 ある日、ユウトとタカシは、河原で父親と車中生活をしている姉妹に出会った。あまりに“かわいそう”な姉妹の姿を見かねたユウトは、怪訝な顔をする両親に2人にも食事を出してほしいとお願いをする。
 数日後、姉妹の父親が2人を置いて失踪し、行き場をなくす姉妹。これまで面倒なことを避け、事なかれ主義だったユウトは、姉妹たちと意外な行動に出始める――。

 ひゅうがじ・たろう 1965年、仙台市生まれ。日本大学芸術学部映画学科卒業後、黒木和雄、松川八洲雄、羽仁進の各監督に師事。2005年、「誰がために」で劇映画を初監督。主演の浅野忠信が毎日映画コンクールで男優主演賞を受賞するなど、高い評価を得た。08年「火垂るの墓」の劇映画のほか、14年「魂のリアリズム 画家 野田弘志」などのドキュメンタリーと幅広く手掛ける。

 【編集】沖田高志
 【インタビュー写真】伊野光
 【レイアウト】本橋正俊


古い記事なので、映画公開は終わっていると思われます。…スイマセン。

とくに興味を持った聖教新聞のコラムを『自分のため』に残しておきたいための記事です。

コメント

やっと…😅

2019年08月18日 13時07分58秒 | つれづれに
末娘が冷やし中華、つくってくれた😊



盛りかたが上手!😋
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白鳥蔵のある昼飯

2019年08月18日 12時18分57秒 | つれづれに
TSUTAYAに出かけると末娘が言うので、ついでに乗せてもらって買い物へ。

冷凍のサケやらサバやら、週末のまとめ買い。

末娘は冷やし中華を昼飯につくると言い「父ちゃんも食べる?」と聞いてきたので「頼む」と返答。

しかし帰宅したら「今はお腹が空いてないから」と末娘は自室に。😲

仕方なく、スーパーで買ってきたおにぎりと朝のみそ汁。
暑いけど、ビールじゃなくて白鳥蔵なんぞを。😅



そういえば冷蔵庫に、きのうカミさんたちがやったBBQの残りものがあったなぁ…と独りごちる日曜日の昼。😁

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