op's weblog

文字通りのログ。経験したことや考えたことの断片のアーカイブ。

4月18日(日)のつぶやき

2010年04月19日 01時20分47秒 | Weblog
00:10 from web
またいまさらですが、「ウィークエンド・シャッフル」で宇多丸氏と町山氏が論争していた「ハートロッカー」ようやく見てきた。が、二人の意見(ポッドキャスト)を改めて聞いてから(何様w)、詳しい感想を書こうと思います。映画自体は正直言って「騒ぐほどのものではない」んだけどね…
11:36 from web
『アバター』追記。気づいた人も多いと思うが、2Dで効果的なカメラワークと3Dで効果的なカメラワークは相当違う。『アバター』はこの部分で中途半端になっている。今後は3D向けの撮り方ができないと食えなくなるだろう。だから、旧作をただ3D化してもダメ。テレビと映画ぐらい似て非なるもの。
12:15 from web
70V型の裸眼立体視ディスプレイやARの3D化も 花咲く3D http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1004/14/news070.html
12:36 from web
東京湾の船上から、漁師が魚をネット直販 http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1004/16/news060.html
17:00 from web
この巻の実質的な主人公は対戦相手の宮川と言っていいかもしれない。 ベイビーステップ vol.12 http://bit.ly/cTP3Mc #babysteps
22:02 from web
最後は「そういうことが今は言いたかったのね」という、恐らく今のアメリカ映画のトレンドに合った結論に落とし込んでゆくわけだが、町山氏の評論も徹頭徹尾『芸』なのねと再認… いまさらシリーズ:ハート・ロッカーと宇多丸&町山論争 http://bit.ly/aCn06u #utamaru
by maxthaler on Twitter

いまさらシリーズ:ハート・ロッカーと宇多丸&町山論争

2010年04月18日 21時58分30秒 | Weblog
『ハート・ブルー(Point Break)』がスポーツを非常に魅力的に表現し、ストーリーもよくできた映画でお気に入りだったので、キャスリーン・ビグローには期待していたのだが、『ハート・ロッカー』は何とも色々な意味で中途半端な映画だった。で、3部作構成?の町山氏評論(反論)はどんなものかと思って長い時間かけてポッドキャストを聴いたら、またこれが突っ込みどころ満載のいいかげんな内容だった。


1.町山氏「宇多丸氏はイデオロギー面での批評をしているところがあるがそれはだめ」

町山氏は明らかにちゃんと聞いてない。宇多丸氏は「これを観た人がどう受けとると考えられるか」という観点で、それもかなり慎重に言葉を選んで見解を述べている。

2.町山氏「宇多丸氏は主人公が思考停止することによって生きのびようとしていると言っているがそれは間違い」

いや、ちゃんと聞いていればそんなことは言っていないことがわかる。主人公は戦争に“最終的に負けてしまう”のであって、それ以上でも以下でもない。

3.町山氏「バリケードを突破する民間人?を兵士達が(パニックを起こして)撃たず、主人公が冷静に追い返すことで主人公の豪胆さを表している」

この映画でそんな状況つくったら(全くありえないとは言い切れないが)、主人公の豪胆さ云々の前にリアリティが落ちて映画に感情移入できなくなってしまうだろう。

4.町山氏「主人公は最初、イラク人を野蛮な人たちだと思っていたが、インテリジェントな人もいると気づく」

違う。(あくまで)イラク人とは限られた状況でしか接触してこなかった主人公は、生身で夜イラク人の家庭に乗り込んだり(そしておばはんに追い出される)、通りを抜ける過程で、彼らも自分達と同じ、生活を営む人間だと遅まきながら実感させられるのだ。だから、相手を“表層的に(決まった形式で)解釈すること”の危うさを意識せざるをえなくなってしまい、自信を失い、結果混乱するのだ。

5.町山氏「宇多丸氏は主人公のやっていることと、米国がやっていることを分けて考えていない」

米国という一つのシステムのエージェント、それも軍人として実質的な戦争行為に参加しているのだから、根本的には同じだよ。(爆弾処理班である主人公がそうは考えていなかったというのは確かにそうかも知れないし、それは宇多丸氏も否定していない。)また、町山氏は企業の対外問題担当者を引き合いに出すが、これも同じである。担当者本人がどのような“バッファ”を設けて辛いながらも職務をこなしているかどうかは、残念ながら“問題外”なのだ。なぜなら、どのような事情があるにせよ、この“ゲーム”に“敵方/加害者側/侵略者”として参加しているのは同じことだからであるし、それは多くの場合彼が優秀であればあるほど相手にとって“有害”なことなのだ。

6.町山氏「オレはこれをするために生まれてきた、と主人公は悟り、そして戦場に戻る。」

製作側がそういう意図を込めているとしたら(大変残念なことにその可能性は確かに高いのだが)、恐ろしいことである。繰り返すが、何の部署であろうと、主人公のしていることはかなりいい加減な理屈で始められた戦争行為の一部(あくまでイラクを安定して米国の支配下に置くという目的で行われているプロジェクトを推進するための仕事)であり、彼が良い仕事をこなすことがこのエリアの問題を解決することに貢献するとは限らないのだ。傍から見ればある意味えらい迷惑な話である。町山氏はそれを賞賛するが、これは主人公並の“思考停止”である。この部分に関する町山氏の賞賛が何度も行われるが、この後延々と続く彼の論述は煎じ詰めると「とにかくオレ、アメリカの味方だからよ、ヨロシク!」である。

多分宇多丸氏も後になって聞き直すと町山氏の話の問題点にすぐ気づいたのだろうが、会話中では町山氏の迫力に巻き込まれてしまっている。

7.町山氏「ミニストリーの曲が使われているのは(ベイビー・)ブッシュに対する怒り」

この“プロジェクト”自体が茶番であることを皆知った上でやめられなくなっていることを自虐的に皮肉っているというほうが正解だと思う。だから何度もこの曲が流れるのだ。ある程度脳みそがあるクリエイターによって、ブッシュに対する怒りなどというレベルでの表現が使われたのは、もう何年も前の話であることを、町山氏は忘れたのだろうか。町山氏はこれをネタバレと“自画自賛”するが、逆に完全な誤読である。

8.町山氏「自衛隊の爆発物処理班も現地で野次をとばされたりしている」

自衛隊が彼らの立場で行っていることと、この映画の主人公の立場を似たようなものとして考えている。もうお話にならない。さらにガンダムも引き合いに出すが、ガンダムは「“所詮子供を主対象にしたロボットアニメ”であり、そういう暗黙の合意の下に少年の成長物語を楽しむもの」というコンセプトの作品だ。

9.町山氏「主人公の仕事は(米国がコントロールしようとしているエリアに仕掛けられた)爆弾を無力化することである。だからこの戦争における英雄なのだ」

「6.」で書いたので繰り返さない。致命的なまでに思考停止した視点である。念のために付け加えるが、僕は『イラク側』の肩を持っているわけではない。正規の軍人以外の様々な“プロ”やその他ステーク・ホルダーの存在は、今の時代意識しないでいるほうが難しいくらいだ。今回の“プロジェクト”の“理想的な終わらせ方”?そんなこと簡単に言える状況かよ!


ポッドキャストの第3部に入ると、「レベルの低い誤読をするのは、そう受け取る者の中につまらんバイアスがかかっているからだ」と言わんばかりの発言まで飛び出し、聴いている者としては「そりゃ、あんたのことだよ」とうんざりしながら突っ込むことになる。


まあ、最後は「そういうことが今は言いたかったのね」という、恐らく今のアメリカ映画のトレンドに合った結論に落とし込んでゆくわけだが、町山氏の評論も徹頭徹尾『芸』なのねと再認識させる話でした。

ベイビーステップ vol.12

2010年04月18日 16時55分20秒 | Weblog
この巻の実質的な主人公は対戦相手の宮川と言っていいかもしれない。

表紙を見ると、かつてのひょろっとした美少年から、主人公の丸尾とはまた違った形で戦ってきたことが直感的にわかるようになっている。思春期の少年が、子供の頃からの夢をかなえる上で最後のチャンスを掴むために行ったディターミネーションとデディケーション((R)Wayne Gardner)が、短く切った髪、厚くなった胸板や肩の線に顕れているのだ。この表現方法は、旧来のマンガのように、いかにも血のにじむ特訓してきました、という大げさ過ぎて現実感が薄れてしまう描写よりずっと好ましいと僕は思う。一方で、主人公の丸尾は鉄腕アトムのようにほとんど外見に変化が無い。これは意図的なものかも知れないが、あれだけ練習しているのだから、少しは変えてもよさそうな気がする。

さて、試合に入ると、お互いが強力なライバルと認識して再戦する、このマンガ初の状況になる。画も話もあくまでフェアでさわやかなタッチで進んでゆくが、最初の挨拶から双方の目の色が変わっていることが(白黒でも)よくわかる。

プレー自体は、設定上の都合もあり、プロ並の?冷静な判断力と緻密なコントロールを持つ*主人公が更にパワーアップしたのに対し、宮川は自分との力の差を早々に悟ることになる。だからこの試合のテーマは主人公がしっかり勝ちきることであり、宮川はいかに突破口を見出してゆくかということだった。P60の表情でも、その微妙な位置の違いが読み取れると言ったら深読みのしすぎかもしれないが、主人公のこの表情は、今までの“学習途中の単なる挑戦者”のそれとは明らかに違っている。

*まあ、ジュニア選手ってのは邪念がない分大概そんな感じで、だから子供の頃の蓄積が無いサンデー・プレイヤーは”小さなテニスマシン”達に圧倒されるのだが。

表情といえば、主人公がゲームカウント3-1としたブレークポイントでの双方の様子、宮川は追い詰められ自分の夢を阻む敵を憎み(大げさかな)、主人公は完全に集中し切っている。ここから4-1まであっさりいってしまうところは、切なくなるほど現実によくある話で、また宮川が2-4とまたファイトバックするところもリアルに描けている。

そして2回戦のため1セットマッチの終盤、正面からの打ち合いの末、主人公が勝利を収める。宮川は握手を交わした後の会話で、主人公と自分の差の理由を悟るのだ。

一方、主人公は宮川が泣く様子を見て、この勝負がライバルにもたらす現実を“知る”。その重さに圧倒されてしまい素直に喜べない。そして勝ってゆく限り増え続けるだろう背中の重いものを”実感”するようになるのだ。そんな主人公に対し、ナツは「今は終わったばかりだからそんな感じかもしれないけど  きっとすぐわかるよ  本当に楽しい試合は  そういう試合だって」と言う。これは青井コーチが繰り返し言ってきたことでもあるのだが、まだ主人公はしっくりこないようだ。

まあ、実際にはwin-winをいかにたくさん、大きく実現するかで仕事は評価されるわけだから、必ずしも、大人になってもこういう世界に無縁であることが問題であるとは思わないけどね。


4月17日(土)のつぶやき

2010年04月18日 01時17分27秒 | Weblog
12:45 from web
RACERS03、スズキのガンマ版が届いた。シュワンツはもとより、樋渡氏の証言等興味深い内容だ。が、何でヘロン・スズキのハニカムフレームが全く載ってないの!?ガリーナのパワステも無し。これは問題でしょー!!スーパースプリントはあったけど、ホッケンハイム最終ラップは有名すぎる?
by maxthaler on Twitter