たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

みるく世(ゆ)がゆやら

2015年06月25日 | 日記

わたしも知らなかったのですが、今日25日の天声人語でも6月23日は沖縄戦終結の日だと書いてありました。
先日の23日には糸満市の平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式が行われた。その式典で高3の知念捷(まさる)君が自作詩「みるく世(ゆ)がゆやら(今は平和でしょうか)」を朗読した。
平和の詩の全文
この詩はわたしは翌日の中日新聞で読みました。なかなか理解できない琉球言葉がちりばめてありましたが、詩の内容は十分理解できました。
中日新聞にはこの詩の、琉球言葉の解説がしてあったので助かりました。(以下は中日新聞引用)
*みるく世がゆやら・・・平和でしょうか、との意味。「みるく世」は「弥勒世(みろくよ)」のこと。
*「戦世やー」の琉歌・・・「戦いの世は終わった/平和な弥勒世がやってくる/嘆くなよ、お前たち、命こそ宝」という意味。

なるほど「みるく世」とは「弥勒世」だったのだ。
弥勒菩薩とは、” 釈迦入滅から56億7000万年後の未来の世に仏となってこの世にくだり、衆生を救済するという。菩薩。弥勒仏。” のこと、とネット辞書にあります。

“ 釈迦が死んで五百年間は「正法(しょうぼう)の世」であり、それからさらに千年間の間は像法(ぞうぼう)の世」を経たのちに「末法(まっぽう)の世」が来るというのである。
最澄の著書と言われる「末法燈明記(まっぽうとうみょうき)なるものがあるが、それによれば末法には、もう釈迦の教えを守る僧もなく、ただ釈迦の教えのみが残るというのだ。そしていま現在、末法の世が来ているというのである。“(引用:梅原猛先生の「歎異抄入門」PHP文庫)

平安時代中期から広がった社会不安や末法思想が鎌倉仏教、特に浄土教を盛んにしたと言われます。未来に現れて衆生を済度する仏が弥勒菩薩です。
「みるく世」とは、知念君が謳い、朝日や時事通信など多くの新聞が引用した(今は平和でしょうか)でもいいが、「弥勒世」なら、毎日新聞が報じた ”戦後70年の今は未来は「みるく世がやゆら(平和でしょうか)” と、「未来」のキーワドも入っているのだと理解したところです。