早いもので阪神・淡路大震災から23回忌だそうだ。平成7年、発生時時刻は午前5時46分、そろそろ起きる時刻でどどんと来て驚いた。
当時2年前の平成5年末に早期勧奨退職に応じ、1年は失業保険で過ごし、預かった孫の保育園への送迎、退職の半年前に見つかった家内の乳癌闘病などを伴にしていた。
再就職は考えていなかったが、頼まれて名古屋の電力会社が創設した、移動通信系会社に勤め始めたばかりだった。
雇用形態も長年勤めた会社が始めた創生期の派遣社員だった。
長い通勤時間を要し、名古屋中心部にあった派遣先会社に着いて、9時頃だったか、神戸の街が猛火に焼かれる様子をテレビが中継した。
これはえらいことになると、皆で話し合いながらテレビを見守った。
その翌年、身軽な身分になって淡路島へ仲間とゴルフ旅行した際、車で甲子園球場前を通ったら、道路舗装が割れたままだたった。
犠牲になった人々の御魂の安かれと思う氷雨の今日です。