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身近な気になる古道たち⑥

2013-06-28 | 身近な旧街道run!!

★名古屋市千種区(一部名東区)星ヶ丘周辺

以前の勤務地だった星ヶ丘。
現在は名古屋市東部の高級住宅街として発展しており、M百貨店星ヶ丘店も有名だ。

旧街道や地名にある程度詳しいと、この「○○ヶ丘」(あるいは○○が丘)や、「●●台」というのが、歴史も由緒もない、新しい地名の可能性が高いことは想像できるけど。
この星ヶ丘も、案の定、戦後に名づけられた地名だ。

昭和30年に、住都公団により大規模団地(現在のアーバンラフレ星ヶ丘)が建築され、小高い丘の上にあったことから、「名古屋近辺でもっとも星に近い」という意味で、「星ヶ丘団地」と名付けられた。
ついでに?地名も「星ヶ丘」に。
それが定着し、現在に至ってるらしいけど。

それにしても「星に近い」とは随分大きく出たものやね。
間違っちゃいないけど、物凄くミクロな距離の話だよ。

東山公園や平和公園など、この辺りは起伏も多く、クロカンコースも整備され、走るには絶好の環境だ。
特に南側、東山のクロカンコース(東山一万歩コース)周辺は、かつての尾張藩の御料林で、一帯を御殿山とも呼んでいたらしい。
ここで伐採された材木が、名古屋城下へと運ばれたりもしたらしい。
そうした人々の往来により発展したのが高針街道、現在の広小路通になるわけだね。
昔も今も、名古屋の東西の大幹線ということやね。

さて、その星ヶ丘。
旧地名は、ズバリ「追分」だ。

旧東海道にもたびたび出てくる「追分」。
全国各地に散見される地名だけど、要するに「道が二手に分岐するところ」のことを指す。

星ヶ丘の交差点に立つと、現代もここが追分の機能をそのまま持っていることがすぐに解る。
名古屋城下からやってくると、ここで大きな道が二手に分岐している。

直進する「グリーンロード」(長久手道)、斜め右に行く「名東本通」(高針街道)。
実にわかりやすい「追分」だ。

かつての分岐点は、正確には現在の分岐点のやや西、ちょうどバスターミナルの辺りだったと言われてるらしいけど。
そのバスターミナルを斜めに横切り、広小路の1本裏の道がかつての街道だったのかな?

またすぐに広小路通(この辺りでは東山通と呼ぶのが一般的)に出て、西、つまり名古屋中心部の方に走ろう。

旧街道は、某電話会社東山ビルの裏の道を行き、千種図書館の裏を通っていたらしい。
この千種図書館裏の道は、旧道らしい雰囲気があり、そのまま東山動植物園の駐車場へと抜ける。
東山通の反対側には千種スポーツセンタ及び新池が広がる。
かつての新池は、この動物園の駐車場まであったらしいけど。

で、駐車場(かつての池)をぐるっと廻り込んで、東山通に出て、反対側の歩道に渡り、西に行くと「ことわりの松」なる史跡がある。
枯れてしまったため、現在は新しく植えられた4本の松が大切に育てられている。

「本山」の交差点を過ぎてしばらく、右手にこんもりとした森が。
「城山八幡宮」やね。
ここは名前の通り、かつての城跡、「末森城址」なんだけど。

末森城。
織田信長の弟、織田信勝が居城したところやね。

東山通に戻り、「末森通2」の交差点を左折し、すぐの道を右折。
田代小学校のすぐ北側を通るこの道が、わずかに残る旧高針街道らしい。

道が狭くなり、下っていくと再び東山通に合流、地下鉄覚王山駅だ。
ちなみにこの坂が「月見坂」という名前だったらしい。
かつてはこの辺り、のんびりお月見できるほどの景観だったんだね。

こののち、高針街道はほとんど「らしきところ」はない。
「広小路通」と名を変え、大都市名古屋の中心街を行くことになる。

というわけで、ここでルートを変えよう。
覚王山の交差点を超えると、左手に郵便局がある。

この郵便局の裏から、街道オーラ出しまくりの、斜めに走る小道がある。
「四観音道」だ。

尾張四観音をめぐる、巡礼の道なのだ。
ちなみに四観音とは、名古屋城から見て鬼門になる4つのお寺のこと。

荒子観音(中川区)、甚目寺(あま市)、竜泉寺(守山区)、笠寺観音(南区)の4つやね。
で、この四観音道も、一部しか残ってないけど、その一部がここに綺麗に残っている。
ここは竜泉寺から笠寺に向かう部分やね。

1本道で綺麗に残ってるから、しばらくは迷うことはない。
右に丸山神明社。

「丸山」の交差点。
この辺り、古道らしい雰囲気が残ってる。

都市高速高針線(及び並行する幹線道路)を横切る。
(信号まで迂回してね♪)
やかで国道153号線にぶつかる。
この辺りでは「安田通」と呼ばれているようだ。

残念ながら「四観音道」はここで消失。
無理に辿っても、全然街道らしさはないからさ。

153号のすぐ西に「安田通1」の信号があるから、そこを渡って、引き続き南進する。
そうすると「塩付通2」の信号に出る。
変則の6叉路だ。

ここから右斜めに、物凄く狭い道が出ている。
これが、塩付街道やね。
並行する「塩付通」も、当然、これが由来となっている。

江戸時代、星崎村(現在名古屋市南区星崎町)が塩の産地で、その「塩」を内陸に運んだかつての古道だ。

すぐに広路通に出た。
左に正覚寺という小さなお寺がある。
きっとそれなりに由緒あるに違いない。

西友の脇を縫うように走り、突き当りを左折、すぐにマックスバリューね。

さらに南下し、「石仏町」という町名が、いかにも歴史を感じるね。
白山社も右にあり、この辺り、落ち着いた気分で走ることができる。

とにかくこの辺り、まっすぐ進むのが塩付街道。
幹線道路(藤成通)にぶつかっても、迂回して信号渡り、とにかく道なりにね。

すると右前方に巨大な建物が。
名古屋市立大学病院だ。
その手前の小さな交差点には、お地蔵さんもある。
「みやみち地蔵」として、長く信仰を集めているらしい。

また、塩付街道の説明板も設置してあり、ここが旧街道であることがはっきり確認できる。

高校野球で有名な、享栄高校を左に見る。
反対側に視線を移すと、目立たないけど「馬頭観音」が祀られている。
街道の道中安全を願ったものらしい。

さらに進むと、やがて住宅地のど真ん中で突然行き止まり。
ここは左折する。
すぐに信号があるけど、そこからまた明らかに他とは違う超狭い道が分岐している。
接骨院の裏を行く感じだ。

かつてはもっと自然に?くねくねしながら繋がってたんだろうね。
左手100mほど奥にあるのが「汐路中学校」。
北側にほぼ隣接する形で「汐路小学校」もある。
どちらも「汐の路」、つまり塩付街道に由来する名前なのだ。
そして、街道ネタとしては関係ないけど、フィギアスケートの小塚崇彦選手の母校やね。

道沿いに1本だけ、松の木が残っている。
しばらくして左手奥、50mほどのところに「村上神社」。
ここは古墳の跡らしい。
「おどり山古墳」というらしい。

さらに進んで、名古屋女子大付属高校・中学の裏を突っ切る。
さらに気持ち良く走ると、正面に「瑞穂公園野球場」(通称:瑞穂球場)に見え、道はそこで片側1車線の道路にぶつかって終了。

史実的にはまだ続いてるけど、広大な瑞穂公園に吸収されちゃったんだね。
事実上、ここで「旧街道run」はお終いだ。

さて、左には、ランナーにはお馴染みの、瑞穂公園の一角、瑞穂北陸上競技場(通称:キタリク)がある。
ここからは普通に街中を通勤ランするか、まだキタリクが開いている時間なら、ここで流し程度の練習をして帰宅するコスモタイガーなのだ。(平日は20時半まで一般開放)
コメント (10)
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