(中編より)
安堂駅前で旧街道はいったん消失。
土手を上がり、大和川沿いを走る国道25に出るしかなさそうだ。
1704(宝永元)年、中甚兵衛という人を中心に大規模な付け替えが行われた。
国道沿いには中甚兵衛さんの道標が建つ。
新大和川で大和川を渡る。
柏原市から藤井寺市へ。
ヤマトの上を走るコスモタイガー♥、なーんてね。(ゴメン、マニアネタ)
そしてその横には近鉄の誇る?ローカル線、道明寺線が寄り添っている。
渡りきったところにあるのが「新大和川付替起点碑」で、詳しい説明が書かれている。(冒頭写真)
ここで左折して堤防沿いの道へ。
この辺で東高野街道は復活しているようだ。
広々とした河川敷公園には野球場もある。
右手、藤井寺市の給食センターがあって、そこで右斜めに進み、堤防を降りる形。
小学校を過ぎてしばらく、T字路で突き当り。
正面には国府八幡神社が鎮座する。
旧街道は左だけど、気になる案内板に従い、ちょっと寄り道。
500mほど走れば、国府遺跡に到着。
縄文~弥生時代の遺跡ということらしい。
それにしても神社にしても遺跡にしても「国府」なんて名前が付いてるからね。
この辺にかつての国府があったことは容易に推察できる。
八幡神社に戻り、旧街道runを続ける。
さすが大和の国。
実はこの神社の裏側、こんもりした森が見えるけど、それは前方後円墳で、市野山古墳(允恭天皇陵)というらしいけど…。
細かい?史跡チェックしてたらキリないし、本来の目的!(笑)のトレーニングにならないからね。
近鉄南大阪線を踏切で渡ると、さらに街道らしき風景となった。
くねくねとわずかにうねりながら南下。
途中、小さな道標が旧街道であることを示している。
右手に立派な山門が現れた。
その名も道明寺。
手元の資料によれば、真言宗の尼寺で、菅原道真公の祖先、土師(はじ)氏の本拠地、となっている。
とはいえ、男性立入禁止、というわけでもなさそうなので、本堂に手を合わせておく。
さぁ、今日のトレーニングの終わりは近い。
100mほど進んだ交差点が、旧街道runとしては本日のゴールで、ここで左折しコースアウト。
すぐ左手には道明寺天満宮。
梅の名所として関西では有名らしい。
そりゃそうだよね。
菅原家先祖の地の天満宮。
これで梅がなかったらおかしいよ。
本当は道明寺と天満宮は広大な1つの敷地の中だったらしいが、明治政府の神仏分離令により、別々の敷地になってしまったとか。
200mあまり走ると、着きました!
近鉄南大阪線道明寺駅。
本日のゴールは、どうしてもここにしたかったのさ。
何と言っても駅前には「大坂夏の陣道明寺合戦記念碑」!
歴史好きからすれば、道明寺と聞けばお寺以上にこっちの方が有名だもん。
あの戦いはこの辺りが舞台なのだ。
後藤又兵衛が激しく戦い、真田信繁(幸村)と伊達政宗が死闘を演じた有名な激戦地も、今は普通電車しか停まらない静かな、そしてちょっと古びた住宅街の雰囲気。
さぁ、本日のトレーニングはこれにて終了。
だいたい20kmぐらいになるから、量的にもちょうど良かった。
といいつつ、もう1つ、楽しみが残っている。
いや、このためにゴールをここにしたのさ。
今更ながら、コスモタイガーのホームグラウンドは歴史ではなく、時刻表!!
こんな小駅から分岐するミニローカル線があるのさ。
さっき大和川渡った時に寄り添ってた、近鉄道明寺線。
これに乗りたいんだよ。
この道明寺駅から分岐する、わずか3駅(起終点駅含む)・2.2kmの超ミニ路線。
ぶっちゃけ、単に帰宅するだけなら、南大阪線の方に乗って天王寺(阿部野橋)まで出て地下鉄乗った方がどう考えても早いし安いんだけどね。
あえて道明寺線!!
こんな可愛らしい路線でも、日中ほぼ30分毎のダイヤを死守しているのが嬉しいね。
頑張れ、道明寺線!
車両そのものはお馴染みの近鉄カラーだけど、とにかくローカル私鉄とか、私鉄のローカル線とかは萌えるなぁ♥
乗車時間わずか4分、2駅で終着柏原駅に到着し、テンションMAXのミニローカル線の旅は終了。
そしてこの柏原駅はJR大和路線(関西本線)の駅。
道明寺線はその一角を間借りしているのさ。
さぁ、これにてトレーニングも鉄旅もおしまい!
すでに17時半を過ぎ、日が暮れかかっている。
大きな峠越えもなかったため、それほどの疲労感もなく、心地よい高揚感の中、大和路線→大阪メトロ(地下鉄)でまっすぐ帰宅するコスモタイガーであった。