人生訓、というほど大袈裟なものではないけれど、コスモタイガーは「極論」が大嫌い。
極論を言う人物ほど胡散臭いものはない。
酒席等での軽いジョークとしてならともかく、現実の世界で、ポンポンと威勢のいいことやカッコいい言葉を発する人間ほど信用できないものはない。
本人が突っ走る分には本人の勝手なんだけど、このタイプの人間は、えてして周囲を巻き込んでいく傾向にあったりする。
その上、巻き込むだけ巻き込んでおいて、あらぬ結果が出たとして、責任を取るわけでもない。
もっとも本人は「周囲を巻き込んでる」という自覚がなく、それどころか、誰に頼まれたわけでもないのに、「俺がパイオニアとして道を切り開いてるんだから、お前らも付いてこい!」とか「自分たちが本来あるべき姿を皆に見せてるんだ!それをもっと広げていくんだ!」的な妙な正義感を振りかざしたりするから、本当にタチが悪い。
10年ぐらい経つのかな。
自分の近しい人物の所属する、ある町内会でのお話。
町内にある児童公園に花を植えよう、という話になった。
いくらかの事務手続きはあったのかもしれないが、すぐに花好きの会員(まぁ、たいがい、現役を退いた方々が多いんだけど…)が集まり、実行に移された。
住宅街の中にある、結構大きな公園だ。
週に1回程度集まって、おしゃべりを楽しみつつ、花を愛でながらの作業は少しづつ進む。
花好きの人にとっては、格好のライフワークとなり、良きコミュニケーションの場でもあった。
もちろん単なる花好きのサークル活動のようなもので、自由参加。
体調悪かったり所用があればお休みすることもごく当たり前で、妙な義務感もなく、大半が気軽に参加していた。
公園の花壇作りは一通り終了。
とはいえ、これで活動を終わらせてはもったいない。
せっかくのご縁だから、と話は拡がりを見せ、川沿いの遊歩道や、道路脇の歩道にも…という話になってきた。
それでも「週に1回、楽しく集まる」という基本線は崩されることなく、ワイワイガヤガヤと楽しく活動は続けられた。
このまま続けば、良い話やなぁ、で終わるんだけど。
いつ頃からか、この集まりはギクシャクし始める。
当然ながら、この手の集まりには、音頭取りをする人たちが必ずいる。
言葉は悪いが「仕切りたがり屋」の人たちだ。
そんな人たちだけが「勝手に」(敢えてこう書く)どこかに集まり、今後の活動方針みたいなものを話し合っていたらしい。
いつしか「単に花を植えてるだけじゃ意味がない。もっと世の中に自分たちの活動の素晴らしさを積極的に発信していこう!」という話になっていく。
大勢の参加者同士の侃侃諤々の議論の結果、というのであればともかく、実際は音頭取りの数名だけで「勝手に」決めただけの話だ。
それどころか、元来「皆でお話ししながら単に花植えるのが好き」な人の集まり。
突然「世の中に発信」なんて言われてもね、というのが本音。
それでもまぁ、しょせん気軽な趣味としてやってることだし、花が好きなことに嘘はないし、少しだけ町の美観に貢献した満足感もあったりして、ギクシャクしながらも集まりはしばらく続いた。
ところが話はさらに大きくなる。
町内会の役員なんかも巻き込んでの大宴会を定期的に催し、何となく参加せざるを得ない雰囲気に…。
さらには誰かが売込みでもしたのか、地域のコミュニティ雑誌や新聞社が取材に来ることに。
そしてそのために見映えするよう、大勢の会員が無理矢理?に召集され、活動シーンの撮影にお付き合い。
もっとも掲載は地域版とか市内版の片隅ではあるけれど。
勢いは留まるところを知らず、今度は主要道路という主要道路沿いに花壇を作り、町全体を花の街にして、地域の活性化に一役買うんだと、息巻くような事態になってきた。
当然、それに呼応するように、会合や活動の機会も右肩上がりに増えていく。
自分たちは社会的に意義あることをやってるんだ!
単なる趣味の集まりじゃない!
それが証拠に新聞社だって取材に来て自分たちに特別な視線を送ってるんだ!
そんなことを口走るようになったらしい。
新聞や雑誌の片隅に掲載されたことが、彼らにとって、「自分たちは特別な団体」とする拠り所になっているらしく、ますます饒舌になる。
大半のメンバーは、確かに花は好きだし、活動の意義や素晴らしさも理解できないわけではないけれど、そうはいってもそれぞれに家庭もあり、それなりに多忙な毎日を送っているわけで、花を中心とした生活など送れるわけもない。
それどころか優先順位からすれば、現実には2番手・3番手。
どんなにカッコいい言葉を並べたところで、他に仕事や家庭があり、花植えで生計を立ててるわけではない、という絶対的な事実がある以上、趣味としか表現のしようがない。
かくして集まるメンバーは完全に意見が割れ、音頭取りを中心とする一部のメンバーを残して大勢が去ることとなった。
去り際に「花が好きじゃないのか!」「俺たちを否定しやがって!」と一喝されたらしい。
自分の近しい人は去った側で、残ったメンバーがその後どうなったのか知る由もないけれど、問題点は明らかだ。
とはいえ、えてしてこんな場合、当事者に自覚症状がないから深刻だ。
花が好きか嫌いかと問われれば、別地区に住み、このメンバーや町内会とは何ら関係ない自分だって花は好きだ。
毎朝、出勤前に自宅のわずかな庭の花や野菜に水をやるのも案外楽しい。
花は確かに綺麗だし、町じゅう花だらけになるのに反対する理由はない。
っていうより、花を「嫌い」と言い切れる人なんて、ほとんどいないんじゃないの?
何より花を優先したい、食事と就寝以外は花中心の生活がしたい、という考え自体、別に肯定も否定もしない。
価値観は人それぞれだもんね。
むしろそれが可能な環境は、羨ましくもある。
奥さん(若しくはご主人・ご家族)に感謝しないとね。
しかしながら、「自分がこんなに頑張ってるのに!」と云わんばかりに、周囲に同じ価値観を求め、理解させようというのは、明らかに間違っている。
そして「みんなで一緒に分かち合う!」とか「協調性」とか「チームワーク」とか、もっともらしい言葉を駆使して正当化しようとする。
でもそんなのは彼らの常套手段。
要は自分の思いを一方的に押し付けているだけ。
しかもその結果に対して、何ら責任を取るわけでもないし、取れるわけもない。
どんなに素晴らしい言葉を散りばめようと、何がしかの思想・何らかの行動を他人に強いることは、単なる「強要」に過ぎない。
そもそも誰に頼まれたわけでもなく、自分が率先して(あるいは自分の意思で)音頭取りしておきながら、その思いを分かってくれなど、何とも無責任かつ恩着せがましい話ではある。
むしろこの手の話、コスモタイガー的には、本当に花が好きなら、そもそもこんな状態にならないんじゃないの?
あなたたちは花が好きなんじゃなく、花を道具にして、自分が目立ちたいだけなんでしょ!
花を植え、町の美化に貢献してるんだ!と自分に酔い、そんな自分をいろんな人に認めてもらいたいだけなんだろうね。
もはや、純粋に花そのものを愛でる気持ちは、どこかに忘れ去っているようだ。
挙句の果て、「花が好きじゃないのか」と一喝するなんて、もはや状況判断がまったくできてない証左。
「花最優先じゃない→即嫌い」という論法自体、黒じゃなければ白と決めつけるような話で、極論過ぎるし。
そもそも特別かどうかは第3者が判断すべきことで、自分たちで自分たちのことを「特別」なんて表現してる時点で、完全にNGだ。
いわゆる自画自賛というやつで、人としてこの上なく恥ずかしい話。
(もっともこれを恥ずかしい思う冷静さがあれば、最初からこんな話にならないんだろうけど)
ましてや否定だの批判だの、言いがかりも甚だしい。
上の近しい人は、「志を同じくする人だけでどーぞ」と言って帰ってきたとか。
言い変えれば、「やりたきゃあなたたちだけで好きなようにやってください。ただし周りを巻き込まないでね」と言うだけのシンプルな話。
「やるな!」とは一言も言ってない。
むしろ「どーぞお好きなように」と言ってるわけで。
にも関わらず、これが否定に聞こえるなんて、どこをどう解釈してるのか、理解に苦しむ。
やりたい人同士が仲間内でやること自体は肯定も否定もしない。
単純に興味の対象ではないというだけ。
興味がないことは否定のしようもない。
ただ「強制」されたことに対しては、はっきり「NO」と言う。
当たり前の話だよね。
自分のテリトリーを守ってるだけなのに、それすら否定しているのはどっちだ?
「NO」と言っちゃまずいのか?
つまり、文句言わず、黙って命令に従えと。
彼らに寄れば、それが「協調性」であり、「一緒に分かち合う」ということらしい。
あるいは「凄いね~、立派だね~」と心にもない世辞を言われたいのだろうか?
かといって、そんな世辞を真に受けとって、余計に暴走されちゃ、なお迷惑。
(また、そういう人種は、えてして真に受けとめる傾向にもあるし…)
さて、ここまで書いてふと思う。
自分が長く居るランニングの世界にも、同類が居たりするんだな、と。
幸い、親しくしている人たちの中に、そんな輩はいないけど。
極端な価値観を持って暴走したり、妙な正義感を振りかざしてことさら周囲に同調を求めたりしたところで、大多数は冷めた目で見ているわけで、本人達は浮いてるんだけどね。
単に自分自身が趣味に興じてるだけなのに、他人に何かを強いることの正当性などあるはずもなく、言語道断だ。
少なくとも自分はそんなみっともない人種にはなりたくないものだ、と改めて思うコスモタイガーなのだ。
程度の差はあれ、どこの地域にもある共通の問題なのでしょうね。
問題となる人種には、色々なタイプの人がいるのだとは思いますが、ひとつには、会社をリタイアした幹部クラスの人が、会社と同様に地域社会でも、自分には統率能力があると勘違いして、引き続き自分の部下の様に仕切りたがるみたいですね。
おっしゃるように、「勘違い」が大きな起因でしょうね。
そして、仕事の世界と趣味の世界の使い分けもできない。
職場(あるいは学校での先生と生徒の関係)は基本、縦社会。
業務は上位下達で話が進むことが多いですからね。
それを「横社会」の趣味の世界にまで持ち込まれては迷惑千万。
そして上位下達といっても、何もご本人の人間性に惚れ込んで、妄信的に信じてるわけじゃなく、組織の中で相手が「上」だし、こっちも生活かかってるから止む無く?業務上従ってるに過ぎませんからね。
もっと俗な言い方すれば、お給料もらってるから!(笑)
それを自らの統率能力と勘違いしてしまうんでしょうか。
雇用関係があるわけでもない、対等であるべき趣味やサークルの仲間内で、上から目線で指示を出し、協調性だのチームワークだのと美辞麗句を並べるばかり。
白々しいの一言です。
もちろん、本当に心から尊敬できる上司(先生)も過去にいましたけど、むしろそういう立派な方は「我こそは~!」などと前面には出てきません。
近所の町内会も随分揉めたようですが、過去には自分の趣味であるランニングの世界でも、残念ながら同レベルの方がいらっしゃって、あきれ果てたこともありました。
特にランニングの世界では、「リタイア組」より、「現役組」の方が多いのですが、職場の感覚を持ち込んでるのかどうかわかりませんが、勝手に数人で集まって、勝手に物事を決めておいて、「自分たちは寸間を惜しんで集まって、皆のために活動し、貢献してるんだ!」ってことなんでしょうけど、そもそも「(選ばれたわけでもない)数人が勝手に集まって」という時点で明確に間違っています。
そして、その数人は、要するに「気の合う者同士が声掛け合って」のメンバーですからね、当然「似た者同士」の慣れ合い政権であることは容易に想像できます。
その結果、「選ばれたわけでもない」数人が、「頼まれたわけでもない」のに勝手に仕切り、「君たちが休んでる間に、自分たちがこんなに労力使って決めたんだから、もっとみんな、俺たちに敬意を払い、理解しろ!」という暴論に行き着くことになります。
また、得てしてこういう場合、対外的には、「自分たちはどこよりもアットホームで、公正明大な運営をしている」的なアピールをするんですから、白々しさも極まれりです。
そもそも知らない所で当事者だけが勝手に集まってるわけですから、他の者は意見の言いようがありませんし、貢献のしようがありません。
それを逆手にとって、「自分たちはこんなに貢献している」などと言ってくる始末。
開いた口が塞がりません。
どんな事情があるのか知りませんが、「自分たちは他の人間より貢献度が高く、一段高い所にいる」と勘違いしちゃってるんでしょうね。
哀れなことであり、改めて自分はそうなりたくはない、と、これを書きながら思ってるところです。
iinaが組長、ヤクザの組ではなく町内会の組長をしていたときに年一の集会て出て「国歌斉唱」をしました。
組長を辞めて数年を経た電車内で、友達相手に「町内会の集会に出ると国歌を歌わされそうになったので、調子が悪いといって
起立せずに歌わなかった。何も疑いもなく戦争に駆り出されたことがあるのに平気で歌う気にならない」というのを耳にしました。
当方は、国家を歌う慣例になっているのかと思って歌った方ですが、戦前生まれの方はそんな思い入れが強いものですね。
(コスモタイガー)さんがいわれるように価値観が違う者たちが集まりますから意思統一は難しいですね。
ことしに自治会運営の成功例を聴いて参りました。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/c0321f143ce48320eacda95957afb0d3
コメントありがとうございます。
おっしゃるように、君が代1つとっても感じ方は人それぞれ。
抵抗を感じる方もいるかもしれませんね。
かくいう私も、その場にいたら、特にこだわりもなく、普通に歌ってたと思いますけど。
ご教授いただいた町内会(自治会?)の講演会も、近くでやる機会があれば、聞いてみたいものです。
私自身も、町内会に加盟、輪番で何年かに1回は、当番が回ってきますから、他人ごとではありません。
町内会・ランニングサークル・草野球のチーム、etc…。
いずれにせよ、何の拘束力もないはずの任意の集団ですから。
自分がランナーのため、どうしても例えがランニングになってしまいますが、人に聞かれたりすると「程よい距離感は絶対に大切」と言ってますし、自分も心掛けてます。
なかには高校・大学の陸上部の延長をやってるような感覚の御仁もいますけど、もちろんこれも個人としてやってる分には否定しませんけど。
彼らにとっては「部」なので、組織としての「部」でないゆる~いところが許せないのか、「自分が正す!」といきりたち、周囲に同調を求めようとします。
過去には「アイツを教育する!」なんて口走る御仁もいました。
当然ながら、大の「大人」が、趣味で集まってるサークルチームであり、教育するしないの話じゃありません。
完全に「陸上部」の感覚なんでしょうね…。
それに「教育する!」なんて発言自体、「自分が一段高い所にいる」と思っていることの良い(悪い?)例です。
雇用関係もなく、年端もたいして変わらない人物に、教育される筋合いなどありません。
直接私に向けられた言葉ではありませんでしたが、聞いていて凄く気分が悪かったことを記憶しています。
程よい距離感。
絶対に必要かと思います。
ランニングサークルであれば、たまたまランニングの世界で一緒にレースに出たり練習したりしますけど、それ以外はお互いの生活・家庭がある。
「大人」のサークルチームであって、学生の陸上部とは根本的に違ってるんですけど、その違いがいくつになっても理解できないかたもいらっしゃるようで、残念な人だなぁと思って見ています。
何かしなければいけない場面なので、多少の非難が含まれているケースが想定されます。
テレビ「ホンマでっか!TV」では、文字通りそんな者が大者だそうです。当方は気が引けて何か行うわけですが、それでも平然としていられるのは、大物の証拠だそうです。
コスモタイガーさんは単身で忙しそうですから、お気の済むタイミングでコメントしていただいてオーケーですょ。^^
iinaなどは、小物ゆえ黙っていられなくて、直ぐに反応してしまうタイプです。^_^;
町内会では、回覧板について どうでもよいこんな感想をもっています。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/f3b78de0a2db7416231034feb7d280aa
コスモタイガーさんの記事を手繰ると、まえに投稿したこちらまで巡りました。
わが町内会の場合は、回覧板の自分の名字の欄に印鑑を押す感じですね。
で、大半の方が律儀に認印押してますが、正直面倒くさい(苦笑)ので、私の場合、まれにサインで済ませてしまいます。
特段問題にもなってません。
たぶん「右に倣え」で皆さんわざわざ押印してるだけなんでしょう。
嫁には「勝手なことするな」と注意されますけど…。
私は気にしてません。
ちなみに私もそんなに大物じゃありません。
いたって普通の小市民。
先日の大阪北部地震にはかなりビビりました。
ちょうど出勤途中で、震源地近くの高槻市を通過中でした。
住まい(社宅)が高層ビルで、その後の余震もかなり怖かった。
何もしないというより、何もできず、なす術がなかったというのが正解です。
イベントやボランティアにも参加してますけど、やみくもに突き進むタイプじゃないことは確かです。
ましてや「我こそは~」と先導するなんてガラじゃないし。
勢いだけの人にはむしろ違和感を感じます。
しっかり地に足つけて…というのが好みに合うようですが、イケイケの人からすると物足りなさを感じるかもしれませんね。
野球の応援や将棋・マラソンの気風にもそれは通じている気がします。