ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

資本主義はブルジョア社会であることを無骨に言いつづけたい

2008-02-01 23:53:25 | 政治経済・社会
○資本主義はブルジョア社会であることを無骨に言いつづけたい

勿論、社会主義諸国の経済基盤が実質上、ガタガタだったからこそ、ソビエト連邦当時の書記長だったゴルバチョフが、自由化経済を大幅に導入すべく、ヘマばかりやらかす現ブッシュの父親がアメリカ大統領であった頃、二人は歴史的な会談を成功させたかに思えた。確かアメリカの軍艦の中で行われた会談に、それまで秘密のベールに包まれていたソビエト連邦の指導者に似つかわしくない程の、大胆に、恰好よく出現したゴルバチョフとブッシュの二大巨頭の会談は、今後の世界史を輝かしいものにするのではないか? という僕にしては結構真面目な、大いなる期待感を抱かせた歴史的事件であった。

ところがどうだ、歴史とはいかにも残酷な存在で、ゴルバチョフが提唱したペレストロイカは、東側の政治体制は雪崩を起こしたような総崩れの様相を見せただけだった。程度の低い御用学者たちは、それを見て単純に社会主義に対する資本主義の大勝だ、とのたまわった。それらはすべて単純な論理に過ぎなかった。まあ、そんなことはどうでもよい。それよりも政治の困難さを感じさせたのは、これまでソビエト連邦が抱えていた東側諸国の内部矛盾が噴き出してきたことだった。東西冷戦の後に出現した難問、それこそが民族問題だった。ソビエト連邦の権力によって抑制されていた民族的対立の構図が露骨に現れてきた。たくさんの悲劇が起こった。それらは記憶に新しい。

かくしてソビエト連邦は解体の憂き目に遇い、あたかも資本主義こそが、以後の世界を席巻する政治的・経済的機軸になったように見えた。僕の世代の人間で、生きている間にベルリンの壁が崩壊することを予測した人間が一人でもいただろうか? 御用学者は後知恵でいろいろと小理屈を言うが、彼らにだって本当のところは信じ難い出来事だった、と思う。21世紀ははじまったばかりだし、21世紀がどのような世界になっていくのかをこの目で見定めることは、自分の年齢を考えると到底不可能だが、それにしても20世紀とは、激動の時代だった、と思う。人生の殆どを20世紀に生きた人間として、戦争にも駆り出されず、貧しい生活から徐々に政治的経済的な矛盾を孕みつつも、青年期を送れた自分は、幸福だった、と思う。何より退屈する暇などなかったからである。実人生に於ける退屈感など、時折起こる目を擦りたくなるような世界史の激変を、同時代人として生きたことで、吹っ飛んだように思う。

21世紀を生き抜く人々は、これだけは忘れないでほしい。政治とはあくまで酷薄な存在であり、それが資本主義であれ、共産主義であれ、経済追求型の政治が行き着く果てには、大多数の民衆の犠牲が待ち受けている、という現実から目を離さない方がよい、とことだ。アメリカは元来アメリカン・ドリームというあたかも政治的・経済的な機会均等が保障されているかのごとき錯覚を抱かせる、弱肉強食の思想が支配する、一部の勝ち組による利益追求型の世界だったし、いまや、資本主義に限らず共産主義を標榜している国でさえ、本質的には同じ種の思想が横行している世界である。ブルジョア社会というと、過去の遺物のように感じられる方がいらっしゃるかも知れないが、現代はまさにブルジョア社会そのものである。少数の持てる者が、大半の持たざる者を支配する思想が、資本主義という政治・経済体制によって一元化した支配階級にとっては、最も都合のよい時代、それが現代という時代なのである。この現実を見逃してはならない、と僕は思う。

日本はアメリカ大好き国だから、アメリカの後追い、言いなりの国だ。新興宗教より質が悪い洗脳をされている国、それが日本という国の姿だ。今頃になって格差社会もないものだろう。分析の視点が古過ぎる。日本に根付いたゆるやかな社会主義的な保障制度、これが終身雇用制度だったはずだ。いまや終身雇用制度という言葉を使うことすら、もはや時代錯誤のように言われるが、終身雇用制度が生きていた時代からコツコツ会社のために尽くしてきた人間が、ある日突然リストラという首切りに合う時代なのだ。出世のレールからはみ出した人間は<出向>という形の実質的な左遷、会社からの追放を余儀なくされる非人間的な社会なのである。年間3万人を超える人々が自ら命を絶っている。銃社会で、数々の問題が報道されるアメリカでもこれだけの自殺者は出ていない。これはいったい如何なる事態なのか? アメリカが競争社会だ、と聞くと、日本人は競争という思想を激化させる。それが日本人の単純なところだ。終身雇用制度と伴に、年功序列制度も過去の遺物になりつつある。年俸制度などという実質的な給与の切り下げがまかり通るようになった。聞こえはいいが、年俸500万というのはいいほうだろう。年俸300万だって当たり前の時代なのだ。安易な国債発行で、実質的に経済破綻している。夕張の地方財政の破綻どころの騒ぎではない。天文学的数字の赤字国だ。それなのにGDPは世界第2位ということになっている。だから世界中からおねだり外交を平気で押しつけられる。政治家が馬鹿なのに加えて、経済学者も馬鹿なんだろう。東大出の官僚も底抜けの馬鹿揃いなのだろう、と思う。

いま、僕たちは、こんな国、こんな時代に生きているのである。未来予想図は、歌の中だけの話なのか?

○推薦図書「大いなる失敗」 ブレジンスキー著。飛鳥新社刊。副題は<20世紀における共産主義の誕生と終焉>ということになっていますが、あまりに単純な論理なので思わず笑ってしまいます。これで学者なのでしょうか? 日本の御用学者たちが書いた同じ種の本は、この書を下敷きにしています。今日は非推薦図書ですが、20世紀の終焉を迎える頃、こんな学者が大いばりで闊歩していたのです。こういう事実を知ることも無駄ではないでしょう。たぶん絶版になっているはずの本ですが、僕の大嫌いなamazon.co.jp なら古本で買えると思います。ご奇特な方はどうぞ。

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