○人として、何がいったい、幸福の本質になり得るのだろうか?
幸福のありようなどと言っても、数えればキリがないのだろう。大袈裟に言えば人の数だけ存在すると断定しても過言ではないだろう。また、人生と言っても不幸にして短い命を閉じる人々もいるが、大抵は結構長い時間をこの世界で生きることになる。勿論、その長きに渡る時間の間には、それこそ、世に言うところの山あり、谷ありの人生航路なのだろう、と思う。良いときもあり、また悪しきときもある、これが人生というものの姿なのかも知れない。だからこそ、少々の難関辛苦が自分に降りかかって来ようと、そう簡単にこの世界から去っていくわけにもいかないのである。そりゃあ、人間長く生きていればいるほど、もう生きているのも嫌になることもあるし、自ら死を選びとりたくなることもある。とりわけ、人は自らの人生における役割の深き意味について、考える存在なのである。自らの生きる価値を喪失した瞬時、その人にとって最も危うい生の淵まで行き着いていることになる。
具体的に言えば、昨今、世の中不景気風が吹き荒れているわけで、かつてのように終身雇用制度に守られて、会社に尽くせば何がしかのことは報われる、などという時代を懐かしがっても致し方のない世界に僕たちは生きざるを得ないのである。職場というところは程度の差はあれ、どこも何がしか居心地の悪さを抱えている。そんな中で、人々は生活の糧を得ているのであるから、いつも元気満々というわけには到底いかないのは必然である。かつては日本を支えてきた巨大企業と言えども、景気が悪くなると恥も外聞もなく、雇用者たちの首を切って捨てる。一体、いつから日本の企業家たちの心から、目先の利益追求という課題しか見えなくなり、長いスパンで企業の育成を担っていこうとするような誇りが消え失せたのだろうか?勿論、人件費が企業の中の大きな支出であることなど分かり切っている。だからと言って、労働力を安く買える労働市場としての、いまだ貧しいアジア諸国に生産の拠点を安逸に移したところで、人間のサガなど、どの民族においても似通ったもので、いつまでも、富んだ国々の低賃金に甘んじているわけではない。そんなことは、必然的な現実だろう。世界中のどこに行っても、労働賃金の底値は飽和状態になり、底値自体が上昇するのは、むしろ人類にとっての公平な進歩のあり方ではなかろうか。その意味では、如何なる意味においても、一時逃れの誤魔化しは効かないのである。
日本や欧米の大企業は、まだまだ低賃金の労働市場をアジア諸国に抱えてはいる。が、その一方で、各々の国内における労働者たちの扱いは、たぶん近現代社会がはじまって以来、その実態はかなり劣悪な状況に陥っているのは、誰も否定は出来ないだろう。日本の労働者の生活実態がそれほどひどくはない、などとの賜っているのは、日本の多くの政治家連中たちくらいのものだろう。いや、もっと意地悪く言えば、日本の景気がいかによろしくないか、と喧伝しているマスコミ関係者や、経済の危機を分析することを生業にしているような経済・政治評論家たち、日本の貧困を論難している学者さんたち、テレビアンカーパーソンたち、かしらん。
これまで頑張ってきた平凡で真面目なお父さんたちが、いまや危ない。正社員さんも、勿論契約社員さんたちも、いつ何どき、リストラという首切りに逢うやも知れぬ。無理をして建てた家のローンの支払い残高は、まだまだ利息ばかりを支払わされている最中だ。支払えなくなったら、根抵当をつけるのが当然のようになったローンの組み方を銀行になすがままにされている。支払えなくなったら、そのまま銀行に持っていかれる。子どもたちの教育はどうなるのか?逆さにしても鼻血も出ない有り様だろう。それでは再就職先はあるのか?ハローワーク(なんと腹立たしい響きだろう!)という職を失った人間が相談に行くところが、職もロクに紹介してもくれないのに、ハローだって!
社会もこれだけ荒むと、人間の心も当然に荒む。あたりまえのことだろう。しかし、こうも言える。こんな時代だからこそ、人は人であり続けなければならない。確かにお金は大事。でも、金、金なんて考えているばかりの人格の持ち主たちは、すでに人として生きる価値を喪失しているような気がする。何より、他者が信じられなくなってしまった人間は、もう人間としての姿形はあるにせよ、心を持った人間ではない。平気で他者を裏切るし、金が人の価値を決めるなどと公然と言い放つ。こういう輩が、男女を問わず、増えつつあるのではないか?世界が貧しいというのは、何も経済的な要素ばかりを言うのではない。むしろ、現代の日本におけるような精神の貧困さを指して言うのである。こういう人たちは、きっと自分の死を迎えるとき、とても惨めな顔相をしているような気がする。やはり、死ぬときくらいは、病のしんどさがあるにせよ、最期はニンマリと笑ってこの世を去りたいものだ、と思う。まことに小さいが、いまの僕の秘かなる願望なのである。
○推薦図書「むずかしい愛」現代英米文学小説集。朝日新聞社刊。翻訳家の柴田元幸氏が選集した、かなりグロテスクな愛の諸相の物語集です。その意味では「普通ではない」愛の選集とも言えます。
文学ノートぼくはかつてここにいた 長野安晃
幸福のありようなどと言っても、数えればキリがないのだろう。大袈裟に言えば人の数だけ存在すると断定しても過言ではないだろう。また、人生と言っても不幸にして短い命を閉じる人々もいるが、大抵は結構長い時間をこの世界で生きることになる。勿論、その長きに渡る時間の間には、それこそ、世に言うところの山あり、谷ありの人生航路なのだろう、と思う。良いときもあり、また悪しきときもある、これが人生というものの姿なのかも知れない。だからこそ、少々の難関辛苦が自分に降りかかって来ようと、そう簡単にこの世界から去っていくわけにもいかないのである。そりゃあ、人間長く生きていればいるほど、もう生きているのも嫌になることもあるし、自ら死を選びとりたくなることもある。とりわけ、人は自らの人生における役割の深き意味について、考える存在なのである。自らの生きる価値を喪失した瞬時、その人にとって最も危うい生の淵まで行き着いていることになる。
具体的に言えば、昨今、世の中不景気風が吹き荒れているわけで、かつてのように終身雇用制度に守られて、会社に尽くせば何がしかのことは報われる、などという時代を懐かしがっても致し方のない世界に僕たちは生きざるを得ないのである。職場というところは程度の差はあれ、どこも何がしか居心地の悪さを抱えている。そんな中で、人々は生活の糧を得ているのであるから、いつも元気満々というわけには到底いかないのは必然である。かつては日本を支えてきた巨大企業と言えども、景気が悪くなると恥も外聞もなく、雇用者たちの首を切って捨てる。一体、いつから日本の企業家たちの心から、目先の利益追求という課題しか見えなくなり、長いスパンで企業の育成を担っていこうとするような誇りが消え失せたのだろうか?勿論、人件費が企業の中の大きな支出であることなど分かり切っている。だからと言って、労働力を安く買える労働市場としての、いまだ貧しいアジア諸国に生産の拠点を安逸に移したところで、人間のサガなど、どの民族においても似通ったもので、いつまでも、富んだ国々の低賃金に甘んじているわけではない。そんなことは、必然的な現実だろう。世界中のどこに行っても、労働賃金の底値は飽和状態になり、底値自体が上昇するのは、むしろ人類にとっての公平な進歩のあり方ではなかろうか。その意味では、如何なる意味においても、一時逃れの誤魔化しは効かないのである。
日本や欧米の大企業は、まだまだ低賃金の労働市場をアジア諸国に抱えてはいる。が、その一方で、各々の国内における労働者たちの扱いは、たぶん近現代社会がはじまって以来、その実態はかなり劣悪な状況に陥っているのは、誰も否定は出来ないだろう。日本の労働者の生活実態がそれほどひどくはない、などとの賜っているのは、日本の多くの政治家連中たちくらいのものだろう。いや、もっと意地悪く言えば、日本の景気がいかによろしくないか、と喧伝しているマスコミ関係者や、経済の危機を分析することを生業にしているような経済・政治評論家たち、日本の貧困を論難している学者さんたち、テレビアンカーパーソンたち、かしらん。
これまで頑張ってきた平凡で真面目なお父さんたちが、いまや危ない。正社員さんも、勿論契約社員さんたちも、いつ何どき、リストラという首切りに逢うやも知れぬ。無理をして建てた家のローンの支払い残高は、まだまだ利息ばかりを支払わされている最中だ。支払えなくなったら、根抵当をつけるのが当然のようになったローンの組み方を銀行になすがままにされている。支払えなくなったら、そのまま銀行に持っていかれる。子どもたちの教育はどうなるのか?逆さにしても鼻血も出ない有り様だろう。それでは再就職先はあるのか?ハローワーク(なんと腹立たしい響きだろう!)という職を失った人間が相談に行くところが、職もロクに紹介してもくれないのに、ハローだって!
社会もこれだけ荒むと、人間の心も当然に荒む。あたりまえのことだろう。しかし、こうも言える。こんな時代だからこそ、人は人であり続けなければならない。確かにお金は大事。でも、金、金なんて考えているばかりの人格の持ち主たちは、すでに人として生きる価値を喪失しているような気がする。何より、他者が信じられなくなってしまった人間は、もう人間としての姿形はあるにせよ、心を持った人間ではない。平気で他者を裏切るし、金が人の価値を決めるなどと公然と言い放つ。こういう輩が、男女を問わず、増えつつあるのではないか?世界が貧しいというのは、何も経済的な要素ばかりを言うのではない。むしろ、現代の日本におけるような精神の貧困さを指して言うのである。こういう人たちは、きっと自分の死を迎えるとき、とても惨めな顔相をしているような気がする。やはり、死ぬときくらいは、病のしんどさがあるにせよ、最期はニンマリと笑ってこの世を去りたいものだ、と思う。まことに小さいが、いまの僕の秘かなる願望なのである。
○推薦図書「むずかしい愛」現代英米文学小説集。朝日新聞社刊。翻訳家の柴田元幸氏が選集した、かなりグロテスクな愛の諸相の物語集です。その意味では「普通ではない」愛の選集とも言えます。
文学ノートぼくはかつてここにいた 長野安晃