私の音楽 & オーディオ遍歴

お気に入りアーティストや出会った音楽、使用しているオーディオ機器を紹介します(本棚8)。

リストの「ラ・カンパネラ」

2011年11月03日 | 一曲・一枚との出会い
 NHK-BSのクラシック系バラエティー番組「名曲探偵アマデウス」で取り上げられました。
 レコードやCDなどで慣れ親しんだ美しい曲ですが、私はコンサートで聴いた経験がありません。
 この曲はリストの超絶技巧の粋が凝縮していると説明があり、実際に演奏しているピアニストの鍵盤上の運指を捉えた映像は人間業とは思えないほど複雑でスピーディな動きをしており、ただただ驚くばかりでした。

 番組ではこの曲の生い立ちを詳細に解説していました。

 リストは20歳の時にパガニーニの曲にインスパイアされてこの曲を初めて作り、7年後に改訂し、20年後に再改訂しているそうです。
 つまり3つのラ・カンパネラが存在することになります。

 3つの違いがまことに興味深い。

 1番目は曲の美しさと云うより、これ見よがしな超絶技巧で観衆をアッと言わせるために作られたような印象。天才ピアニストとして売り出し中のリストの若気の至りでしょうか。

 2番目は短くなり派手さはなくなり方向性が曲の熟成に向かった印象。

 そして3番目は、曲の美しさが際立つ名曲となりました。聴いていても超絶技巧のイメージが沸きにくく「見えないけどすごい」という一流のプロの仕事に仕上がっています。

 また、2と3は同じ音を違う記号で指示する「異名同音(※)」という微妙なニュアンスを要求する技が使われています。
 例えば「ミの♭」と「レの♯」。
 この二つは同じ鍵盤を意味します。
 しかし、「ミの♭」は半音下がる柔らかい雰囲気、「レの♯」は半音上がるキレのある雰囲気を演奏者に感じさせるそうです。

 リストは3番目の曲を作成した頃から、ピアニストを脱皮し作曲家として歩み始めたとのこと。
 天才ピアニストとしてもてはやされてもそれは一時。
 ならば後世まで伝わる名曲を残そう、と。

 完璧さの先にある自然な美しさをまとった希有な名曲です。
 レベルも分野も違いますが、スティーリー・ダンのポリシーと共通するものがありますね。


※ 「異名同音」という言葉を聞いて、私は漢方薬の「異病同治」を思い出しました。
 違う病名でも病態が同じなら同じ漢方薬を使うという意味です。

「FUNKY MONKEY BABYS」

2010年04月20日 | 一曲・一枚との出会い
2009年大晦日のNHK紅白歌合戦で聴いた「ヒーロー」の歌詞が気に入り、その後発売されたベスト盤を購入しました。
特に「満員電車のバンザイはギブアップじゃない冤罪対策」というところが笑えます。

さて、CDを聴いてみて・・・「疾走する青春」というイメージですね。
ラップを爽やか系ユーロビートに乗せたような楽曲ですが、リズムが似ているので皆同じ曲に聞こえてしまう。
う~ん、中年のおじさんである私にはテンポが速過ぎる(苦笑)。

歌詞は「青春を応援」するような内容が多いかな。
悩める今の自分を前向きに解決しよう、
友人、恋人、家族の絆を、ふるさとを大切にしよう・・・
こういう歌詞が出てくると云うことは、現実は反対なのでしょう。

一回聴いたら子ども達(中高生)にプレゼントすることになりそうです(笑)。

長屋和哉

2010年01月28日 | 一曲・一枚との出会い
先日「神々の響きを求めて 熊野・千年の時を超えてこだまする音」(BS-i)という番組を見ました。
「長屋和哉」・・・こんなアーティストが日本にいたとは!
と驚かされた次第です。

長屋和哉さんの外見は、痩せて髭を蓄え、ロン毛をひと束に縛り、あたかも仙人のよう。
自然派ミュージシャンである喜多郎やオカリナの宗次郎を想起させます。
そしてこの長屋さんも自然の中に身を置いて澄んだ音世界を創り出す職人です。

彼の音造りの基本は「金属音」。
金属を叩いたり、擦ったりして発生する音を拾って音楽に構築します。
鐘、鈴から始まり、ナベやフライパンまで楽器にしてしまいます。

彼の音楽人生はロックから始まったそうです。
あるときジャワのガムラン音楽に出会い、その絢爛豪華で厳かな音世界に打ちのめされたとのこと。
日本人である自分にもあのような音楽が創り出せるだろうか・・・彼の模索が始まりました。
そして日本に古来から伝わる寺院の鐘の音をはじめとする金属音の豊かな余韻に魅せられ、いろんな金属音を楽器として取り込むようになりました。

番組の中で刀鍛冶を取材し、鉄をハンマーで叩いて鍛える音を聞いて「いい音ですねえ」とニコニコ嬉しそうにしている姿はちょっと笑えました。
純粋なヒトなんですね。

しかし、シンプルすぎて「聴く音楽」になり得るのかな、と素朴な疑問が生まれました。
そこでCDを一枚購入して聴いてみました。
「千の熊野」という作品です。

ウ~ン、心地よい。
静寂の中に済んだ金属音とその余韻が響き渡り、共鳴して空間に広がります。
ざわめく精神が沈静化していくのが自分でわかります。
いいですねえ。
1000年前の日本人が聴いても心にしみる音世界ではないかと感じ入りました。
数十年前、シンセサイザー奏者の「喜多郎」の音楽を初めて聴いたときの印象に通じるモノがあります。
ジャワのガムラン音楽が「夢幻・恍惚」なら、長屋さんの音楽は「静謐・瞑想」という言葉が合いそう。

彼の初期3枚のアルバムは「吉野三部作」と呼ばれているそうです。

「うつほ」
「千の熊野」
「魂は空に 魄は地に」

日本人の魂の源郷と云われる吉野~熊野には濃厚で独特の雰囲気が漂っています。
作家「中上健次」が描いた世界ですね。

実は、長屋さんは中上健次と接点がありました。
長屋さんは作家として賞を取ったこともある才人(※)で、その時の審査員に中上健次さんがいたそうです。
番組の中で、中上さんの実家にお線香を上げに行ったエピソードが紹介されていました。
二人とも、日本の魂の伝道者ですね。

※ 1987年に小説「インディオの眩しい髪」で文芸春秋文学界新人賞佳作を受賞。