私の音楽 & オーディオ遍歴

お気に入りアーティストや出会った音楽、使用しているオーディオ機器を紹介します(本棚8)。

「大瀧詠一ソングブック」

2017年08月19日 |  My Favorite Artist
「大瀧詠一ソングブック」
(2015.3.29:NHK-BS)



<内容>
大瀧詠一の作品を紹介。大瀧に縁のある人々が、大瀧自身の楽曲や他のアーティストに提供した楽曲などをエピソードとともに語る。
出演者はいとうせいこう、清水ミチコ、太田裕美。また、小林旭、吉田美奈子、鈴木雅之らがコメント出演するほか、司会を萩原健太が務める。


 大瀧詠一は「はっぴいえんど」解散後に独立レーベル「ナイアガラ・レーベル」を立ち上げます。
 大瀧→大きな滝→ナイアガラ、という発想だそうです。
 所属アーティストは、「シュガーベイブ」(山下達郎、大貫妙子ら)ともう一つのグループ「ココナツ・バンク」(伊藤銀次ら)、そして大瀧の3つ。

 しかしレーベル立ち上げ直後に2つのグループは解散してしまい、大瀧は孤軍奮闘状態となってしまいました。
 1970年代、大瀧はしゃかりきになって半分実験的なアルバムを作り続けました。
 客の反応は悪く、鳴かず飛ばず状態が続きます。

 1980年代になり、プロデューサー大瀧詠一は、シンガー大瀧詠一をプロデュースする作品を作り上げました。
 それが永遠の名作「A LONG VACATION」。
 彼が高校時代に馴染んだアメリカンポップスの魅力を凝縮した歌の数々。
 30年以上経った今でも、私は夏になるとカーステレオで聴いてます。 

 数年後に姉妹作とも呼べる「EACH TIME」を発表して、また沈黙状態に戻りました。
 その後は1990年代、2000年代に1曲ずつ発表しただけ。

 その間、野球や落語を研究していたそうです。
 司会の萩原健太が「またアルバムを作ってくださいよ」とお願いしたら、
 「俺はもういい、後は鈴木雅之に任せた」とつぶやいたとか。

 私は山下達郎のFM番組「サンデーソングブック」にお正月になるとゲスト出演した「新春放談」を懐かしく思い出します。
 毎年、楽しみにして聴いていました。


 

<大瀧詠一>
1948年7月28日、岩手県生まれのシンガー・ソングライター/作曲家。
69年、細野晴臣らとはっぴいえんどを結成。73年に解散し、翌年にナイアガラ・レーベルを設立。
自身の作品以外にも、シュガー・ベイブやシリア・ポールらのアルバムを発表。81年、精緻に構築したサウンドを洗練されたポップ・センスで包んだアルバム『A LONG VACATION』が大ヒット。2001年、同アルバムをリマスタリングした再発盤が話題を呼ぶ。日本のポピュラー音楽に絶大な影響を与えた。2013年12月30日に急逝。65歳没。
[出身] 日本 岩手県江刺郡

名盤ドキュメント「風街ろまん」

2017年08月18日 | ポピュラー
名盤ドキュメント③はっぴいえんど『風街ろまん』(1971)~“日本語ロックの金字塔”はどう生まれたのか?~
(2014年12月30日:NHK)



<内容>
 「はっぴいえんど」が1971年に発表したアルバム『風街ろまん』の特別番組『名盤ドキュメント③はっぴいえんど「風街ろまん」(1971)~“日本語ロックの金字塔”はどう生まれたのか?~』が、12月30日(火)にNHK BSプレミアムにて放送されることが決定した。
 番組では、細野晴臣、松本隆、鈴木茂が一堂に会し、『風街ろまん』制作の舞台裏について語る。はっぴいえんど解散から40年あまり、メンバーたちがテレビ番組で当時のことを語り合うのは今回が初となる。
 また、レコード会社の倉庫から発掘された8チャンネルのマスターテープをデジタル化して、メンバーの目の前で再生。さらに、さまざまなアーティストにカバーされている“風をあつめて”の誕生秘話も語られる。




 はっぴいえんどの風街ろまんは、当時の日本の音楽シーンの否定から始まりました。
 ビートルズ来日後に、雨後の筍のようにグループサウンズが発生しましたが「歌謡曲の延長」とバッサリ切り捨て、フォークソングは「メロディーは美しいけどリズムがつまらない」と切り捨てました。

 彼らはアメリカの音楽シーンを研究しました。
 バッファロー・スプリングフィールド(スティーブン・スティルス、ニール・ヤングが在籍)やジェームズ・テイラーを研究し尽くし、自分たちの血と肉にし、自分達しかできない新しい音楽の創作を目指しました。
 一つの大きな実験は「日本語でロックを歌うこと」。
 それまでのロックは英語で歌うことが不文律でした。
 「風街ろまん」はそれを成し遂げた最初の日本のアルバムになりました。

 しかし、当時の音楽界はそれを認めませんでした。
 その急先鋒は内田裕也(樹木希林の旦那さん)。
 「風街ろまん」のどの曲を聴いても、何を言っているのかよくわからんじゃないか、世界進出するためには英語が必須条件である、と。

 「風街ろまん」は売れませんでした。
 はっぴいえんども細野と大瀧が不仲になり解散しました。
 しかし、才能ある各メンバーはソロになって活躍し、カリスマになっていきます。
 松本隆は作詞家として成功。
 細野晴臣は坂本龍一らとYMOを結成。
 大瀧詠一は「Long Vacation」(私の愛聴盤!)でブレイク。
 そのときになって初めて、彼らのルーツである「風街ろまん」が注目されるようになりました。

 番組を見て、メンバーの各曲への思い込みがとても強いことを知りました。
 「風をあつめて」は、まだ東京に空き地があり、子どもたちがそこで遊べた頃の風景を凝縮した歌詞だったのです。
 ドラえもんに出てくる風景ですね。
 当時は東京に都電が走っていたそうです。

 東京オリンピックを機に、開発の波が押し寄せて空き地はあっという間になくなりました。

<参考>
『MASTER TAPE ~荒井由実「ひこうき雲」の秘密を探る~』(当ブログ)

歌とピアノの Summer Joint Concert 2017(in 足利市民プラザ)

2017年08月07日 | コンサート
ブラザーアーティストシリーズ No.40
歌とピアノの Summer Joint Concert
(バリトン)高橋駿
(ソプラノ)新井ちひろ
(ピアノ)新野見卓也
2017.8.6 足利市民プラザ 文化ホール



まだ有名ではない若手クラシック演奏家達による小さなコンサート。
地元の知り合いが出演するので、半分付き合いで行ってきました。
開始前の会場は満員御礼状態。
若手アーティストによる演奏会としては異例?

しかししか〜し、その高レベルの演奏に度肝を抜かれ、大満足で帰ってきました(^^)。

バリトンの高橋さん:
日本語の歌(「死んだ男の残したものは」谷川俊太郎:作詞、武満徹:作曲)にはやられました。
こころにスウッと入ってきて涙が流れそうになりました。
ただ、中音域がふつうの声に近くなってしまったり、高音部が裏返ってしまったり、今後の鍛錬が期待されます。

ソプラノの新井さん:
我が家の子どもたちがお世話になった中学校の音楽の先生の娘さん。
楽譜に忠実に歌い、声の質もまだ硬さを感じますが、表現力が素晴らしい。
「顔芸」とでも云いたくなるような、観客を盛り上げる表情変化を見せてくれました。
これから艶やかさを兼ね備えると素晴らしい歌い手さんになるのでは、と将来を期待させてくれる歌唱でした。

ピアノの新野見さん:
そしてこのコンサートのキーマンは、歌手ではなくピアノの新野見卓也さんでした。
伴奏役にとどまることはなく、歌曲の解説も担当し、ソロ演奏では会場の雰囲気を変えてしまう音楽の力を感じさせてくれました。
ドビュッシーの「水の反映」では揺らぐ空気感を表現し、
リストの「ハンガリー狂詩曲第12番」ではピアノが壊れそうになるほどの迫力で演奏してくれました。

実は新野見卓也さん、私の恩師の息子さんです。
恩師と云っても、私が中学生の時に学生実習で来た音楽の先生。
その後学校教師ではなくピアノ教室の先生となり、今では地元の名士です。
ピアニストの卓也さんは大学はICU(国際基督教大学)と音楽とは無縁の大学でしたが、音楽への夢を諦められず、人生をプチリセットし、現在はハンガリーのリスト音楽院で海外修行中です。
うちの長男と小学校〜中学校〜高校〜大学と一緒のよき先輩でもあります。

卓也さんにはもう一つ、縁があります。
長女がもう合唱コンクールのソロで出場したときに、ピアノ伴奏をしていただきました。
私の恩師のピアノ教室の先生に
「誰か伴奏してくれる人はいませんか」
と相談したところ、
「それならうちの息子にやらせるわ」
と快諾していただきました。
今では恐れ多くてあんなお願いはできません(^^;)。

卓也さんは「世界文学全集」とか「世界思想全集」とかを読破してしまう高いIQの持ち主で、ピアノ演奏も素晴らしいのですが、そのバックグラウンドの知識も豊かな音楽家です。
楽曲の説明にその片鱗が見え隠れしました(^^)。