私の音楽 & オーディオ遍歴

お気に入りアーティストや出会った音楽、使用しているオーディオ機器を紹介します(本棚8)。

小澤征爾・私論

2010年05月05日 | クラシック
ご存じ世界を股にかけて活躍するクラシックの指揮者です。
最近、BS放送で彼に関する番組をいくつか拝見しました。
彼の音楽に対する真摯な態度、わかりやすい説明、歩んできた人生等、すべて魅力的です。
日本の生んだ希有な才能だと思います。

■ 指揮者への道
満州で生まれ、終戦後に日本に引き揚げてきました。
ピアノを勉強する傍ら、ラグビーに夢中な少年時代。
しかし、そのラグビーの試合で指を骨折し、ピアノが弾けなくなってしまいます。
ピアノから転向して、指揮者を目指し斉藤秀雄先生に入門しました。
あるとき外国の指揮者のコンサートを聴き、「全然違う、日本で井の中の蛙になってはダメだ」と悟り、半分密航者のようにバイク1台と共にいざヨーロッパへ。
そして苦労を重ねた下積み生活後、ある音楽コンクールで優勝し、当時「帝王」と呼ばれたカラヤンに弟子入りする機会に恵まれました。
ところが弟子入りして数ヶ月後に、アメリカの巨匠のバーンスタイン主催のコンクールにも入賞し、巨匠の元で勉強する資格を得て贅沢な悩みを抱えることになりました。
当時のヨーロッパの親分とアメリカの親分両方に同時に気に入られた、といったところでしょうか。
困ってカラヤンに相談したところ、「1年間アメリカで勉強してきなさい」と快く送り出してくれました。
それから彼の華々しいキャリアが始まることになります。

■ 西洋音楽との対峙
ヨーロッパやアメリカで音楽活動を始めた当初、「東洋人にヨーロッパの音楽がわかるのか?」と半分馬鹿にされたような扱いを受けることが多かったと云います。斉藤先生から西洋音楽の基礎は叩き込まれていたので、それを糧として「なにくそ」と頑張るうちに徐々に周囲の人たちが認めてくれるようになったそうです。
70歳を過ぎた今でも寸暇を惜しんで彼は勉強を続けており、頭が下がります。

■ 若い人たちの教育
若い頃は自分のことで精一杯でしたが、交響楽団の音楽監督を任されるようになると音楽教室にも関わるようになりました。若い人たちの柔軟な感受性(sensitivity)に目からウロコが落ちるような表現を教えてもらうこともあったとか。いろんな人がいて、早く伸びる人もいれば、大器晩成型もいて・・・一度始めると面白くてやめられないと云っていました。

■ 指揮者の仕事
オーケストラは50人以上の音楽家の集まりで、受けてきた教育は国により人により様々。それをまとめるのが指揮者です。
ただ「俺の考えはこうだ!」と強制しても演奏してくれません。これが難しいところ。
オーケストラ団員の8割くらいの支持・信頼を得ないと演奏が成り立たないそうです。
カラヤンは指揮者の仕事を「invate」と表現したと紹介していました。
演奏家の考え・存在を招き入れ、それを自分の色に染めてまとまりを造っていく作業。
演奏家は「自分の自由に演奏させてくれる」と感じ、しかし指揮者が思い描く通りの演奏にもなっている状態がベストとのこと。
う~ん、深いですねえ。

■ 指揮者の熟成
「若い頃と歳を重ねた現在で演奏が変わりましたか?」
との質問に「確かに変わったところがある」と返答されました。
それは「正確さより音楽表現の深さを優先できる」ようになったこと。
西洋音楽は厳格な規律の中で演奏を行わなければなりません。
でも、楽譜通りに演奏しただけでは聴衆は喜びません。
そこに自分の解釈を盛り込んで深く表現することを求められます。
それは自分の人生を投影することでもあります。
自分が経験してきた喜怒哀楽、作曲家への敬愛と研究のすべてを注ぎ込んで表現すること。
若い時分は「正確さ」を常に考えていましたが、昨今はしっかりしたルールを守りつつどれだけ感情表現ができるか、その塩梅がわかってきたような気がする、とのこと。
そして、その成果を世界中が認めているのが現在の巨匠、小澤征爾氏なのでしょう。

■ 喜怒哀楽に民族間の違いがあるか?
「ある!」と彼は即答しました。
でも、クラシック音楽は普遍性を持つから現在まで残っているのであって、そこにある感情表現は民族間の違いを乗り越えた高いレベルのものと信じている、と云いました。

■ カラヤンについて
小澤氏は敬愛の念を込めて「カラヤン先生」と呼びます。
実際に弟子となったのは4ヶ月ほどで、その後アメリカのバーンスタインの元へ出張留学し、そのまましばらくヨーロッパに帰ることはありませんでした。
しかしカラヤンは生涯小澤征爾を「私の弟子」として扱ってくれた懐の深さに彼は大変感激しています。
また、カラヤンの指揮は「魔法のようだった」とも。
同胞の若い弟子達がカラヤンの真似をする傾向があり、でも小澤氏は「カラヤン先生の音楽的土台があってこその指揮法をぽっと出の若輩者が真似しても意味はない」と横目で見ていたら、やはりそのマネしんぼは大成しなかったと懐かしんでいました。
そういえば、バーンスタインの話はあまり出てこなかったなあ。


・・・実は私、小澤征爾氏の公演を高校生の時に聴いたことがあります。曲目はベートーヴェンの交響曲「運命」と「田園」。後ろの方の席だったので、演奏を眺めながらレコードを聴いていたような感覚・・・そんな記憶しかありません(苦笑)。

 最近、癌の闘病中とのニュースが流れました。ぜひ復帰して元気な姿をもう一度見せていただきたいものです。

マックス・ポンマー(Max Pommer)

2010年05月02日 | クラシック
Max Pommer。
東ドイツ出身のクラシック音楽指揮者。1936年ライプツィヒ生まれ。
元「ライプツィヒ放送交響楽団」常任指揮者。

あまり有名な指揮者ではありませんが、10年ほど前にバロック音楽のオムニバスCDで出会ってから虜になりました。
若い頃は先端の前衛音楽を扱い、中年以降は主にバッハ~モーツアルトあたりを守備範囲としていたようです。
まだドイツが東西に分かれていた頃の「東ドイツ」の指揮者なので、堅苦しいイメージが先行しがちですが・・・全然異なりました。

一言で云うと「音楽が輝いている」。
演奏者と指揮者が一体化して、作曲家に敬意を払い、音楽を演奏することを心から愉しみ、自分の技を見せつけるのではなく音楽に包まれることに喜びを感じている・・・音楽演奏の理想像がそこにあります。
「クラシック音楽の愉悦」という言葉がありますが、これほどこの言葉が似合う演奏はないでしょう。
その空気を共有することができたら幸せだろうなあ。

今を去ること10数年前、私は中古オーディオやMacのパソコン、ジャズやクラシックの音楽CDを求めてお茶の水や秋葉原をウロついていました。
彼のCDは他のバロック音楽盤のついでに何気なく購入した記憶があります。
でも、「ついで購入」がいつの間にか愛聴盤になりました。経験上、よくあることです(笑)。

その頃秋葉原はまだ電気街というイメージが残り、LAOXなどのパソコン販売店が目立ち、一方アニメ系おたく文化が芽生えてきた時期です。若者で賑わう美少女アニメの店を冷やかし半分で覗いたところ、汗臭いニオイにむせかえって逃げ出すように出てきたこともありました(苦笑)。

その後、たまに彼のCDを見かけると思い出したように購入しています。
主にHMVですけど。
最近は母国の音楽大学の教授として後進の指導にあたっているようで、新録音は見つけられません。