現代を代表するクラシック界のマエストロ、小澤征爾。
御年82歳。
最近、健康面が気になります。
先日、NHKの「あさいち」に登場しましたが、高齢による衰えを隠しきれない様子でした。
さて、昔録画してあったものを試聴しました。
制作・初回放送は2003年ですが、私が見たのは2014年の再放送。
内容は2003年頃のお話で、小澤征爾さんが活動拠点をボストン交響楽団からウィーン国立歌劇場へ移すタイミングを捉えています。
15年前なので、小沢さんも67歳とお若い。
彼はボストン市民に愛され、29年もの長期間にわたりボストン交響楽団の音楽監督を務めました。
それまでのボストン交響楽団は、フランス系の軽い音が特徴でした。
私が中学生の頃、クラシック音楽を聴き始めた頃は、ボストン交響楽団の常任指揮者といえが、ピエール・モントューとシャルル・ミンシュ、それからラインスドルフが有名でしたね。
小沢さんはサラッとした音に満足せず、ドイツの曲ではより重厚な音を要求しました。
楽団員もそれに共感し、取り組む一曲一曲に、そして一フレーズごとに、どんな音が一番合うのか意見を戦わせ、壮大な研究が始まったことを当時のコンサートマスターであるジョゼフ・シルバースタイン氏が明かしました。
研鑽を重ね、小沢さんと楽団員はともに成長し、ボストン交響楽団にセイジあり、と世界に認めさせたのでした。
小沢さんは「マエストロ」と呼ばれるレベルの人物ですが、市民からは親しみを込めて「セイジ」と呼ばれます。
大リーグのボストン・レッドソックスの始球式にも呼ばれたり。
ボストンポップス管弦楽団の指揮者は、映画音楽で有名なジョン・ウィリアム氏ですが、彼を呼んだのは小沢さんであることが明かされました。
最後にスティーブン・スピルバーグとジョン・ウィリアム氏が小沢さんに音楽のプレゼントをしてくれた場面が印象的でした。
小沢さんと音楽の出会いは、男兄弟4人で歌った「男性四重唱」だそうです。
ハーモニーの美しさと楽しさに魅せられ、音楽の世界にのめり込んでいったと。
ロシアの世界的チェロ奏者、ロストロポーヴィチさんとの音楽行脚「キャラバン」も魅力的です。
日本の地方へ出かけていき、予告なしの“どこでも演奏会”。
ふだんクラシック音楽に縁のない人たちが集まり、演奏に耳を傾け、どんな反応をするのかを体感することにより、音楽の本質と魅力を得ていく地道な作業です。
参加する若手演奏家は、ここで培った技術と貴重な経験を一生忘れないと言います。
ウィーン国立歌劇場ではオペラを演奏するのが楽しみと言ってました。
元々好きだった人間の声、歌の世界に戻れて幸せだと。
総支配人も期待を込めたコメントを披露。
「セイジはオペラ歌手から実力以上のものを引き出す才能がある。それができたのは、他にカラヤンくらいだ」
そう、小沢さんはカラヤンの弟子でもあります。
それから、バーンスタインの弟子でもあります。
これだけでもすごいですね。
番組を見ていて、小沢さんが音楽を愛する心は“無垢”なんだなあ、とつくづく感じました。
みんなそれを見て引き込まれ、ファンになり、協力せずにはいられなくなります。
小沢さんの指揮する姿は常に全力投球で、まさに「一音入魂」と表現できそう。
「一音入魂」という言葉が似合う演奏家は他にもたくさんいますね。
すぐ頭に浮かぶのは・・・
・五嶋みどり
・ジャクリーヌ・デュ・プレ
・アルフレッド・ブレンデル
・グレン・グールド
等々。
楽器を奏でるというより、全身全霊で音楽を絞り出しているような演奏です。
★ 参考;
□ 音楽ドキュメンタリー 「小澤征爾 ~ボストン交響楽団と共に20年」
□ 小澤征爾 ベルリン・フィル定期 (1992.11.20)
□ Seiji Ozawa Conductor /Le Sacre du Printemps(春の祭典)
御年82歳。
最近、健康面が気になります。
先日、NHKの「あさいち」に登場しましたが、高齢による衰えを隠しきれない様子でした。
さて、昔録画してあったものを試聴しました。
制作・初回放送は2003年ですが、私が見たのは2014年の再放送。
内容は2003年頃のお話で、小澤征爾さんが活動拠点をボストン交響楽団からウィーン国立歌劇場へ移すタイミングを捉えています。
15年前なので、小沢さんも67歳とお若い。
彼はボストン市民に愛され、29年もの長期間にわたりボストン交響楽団の音楽監督を務めました。
それまでのボストン交響楽団は、フランス系の軽い音が特徴でした。
私が中学生の頃、クラシック音楽を聴き始めた頃は、ボストン交響楽団の常任指揮者といえが、ピエール・モントューとシャルル・ミンシュ、それからラインスドルフが有名でしたね。
小沢さんはサラッとした音に満足せず、ドイツの曲ではより重厚な音を要求しました。
楽団員もそれに共感し、取り組む一曲一曲に、そして一フレーズごとに、どんな音が一番合うのか意見を戦わせ、壮大な研究が始まったことを当時のコンサートマスターであるジョゼフ・シルバースタイン氏が明かしました。
研鑽を重ね、小沢さんと楽団員はともに成長し、ボストン交響楽団にセイジあり、と世界に認めさせたのでした。
小沢さんは「マエストロ」と呼ばれるレベルの人物ですが、市民からは親しみを込めて「セイジ」と呼ばれます。
大リーグのボストン・レッドソックスの始球式にも呼ばれたり。
ボストンポップス管弦楽団の指揮者は、映画音楽で有名なジョン・ウィリアム氏ですが、彼を呼んだのは小沢さんであることが明かされました。
最後にスティーブン・スピルバーグとジョン・ウィリアム氏が小沢さんに音楽のプレゼントをしてくれた場面が印象的でした。
小沢さんと音楽の出会いは、男兄弟4人で歌った「男性四重唱」だそうです。
ハーモニーの美しさと楽しさに魅せられ、音楽の世界にのめり込んでいったと。
ロシアの世界的チェロ奏者、ロストロポーヴィチさんとの音楽行脚「キャラバン」も魅力的です。
日本の地方へ出かけていき、予告なしの“どこでも演奏会”。
ふだんクラシック音楽に縁のない人たちが集まり、演奏に耳を傾け、どんな反応をするのかを体感することにより、音楽の本質と魅力を得ていく地道な作業です。
参加する若手演奏家は、ここで培った技術と貴重な経験を一生忘れないと言います。
ウィーン国立歌劇場ではオペラを演奏するのが楽しみと言ってました。
元々好きだった人間の声、歌の世界に戻れて幸せだと。
総支配人も期待を込めたコメントを披露。
「セイジはオペラ歌手から実力以上のものを引き出す才能がある。それができたのは、他にカラヤンくらいだ」
そう、小沢さんはカラヤンの弟子でもあります。
それから、バーンスタインの弟子でもあります。
これだけでもすごいですね。
番組を見ていて、小沢さんが音楽を愛する心は“無垢”なんだなあ、とつくづく感じました。
みんなそれを見て引き込まれ、ファンになり、協力せずにはいられなくなります。
小沢さんの指揮する姿は常に全力投球で、まさに「一音入魂」と表現できそう。
「一音入魂」という言葉が似合う演奏家は他にもたくさんいますね。
すぐ頭に浮かぶのは・・・
・五嶋みどり
・ジャクリーヌ・デュ・プレ
・アルフレッド・ブレンデル
・グレン・グールド
等々。
楽器を奏でるというより、全身全霊で音楽を絞り出しているような演奏です。
★ 参考;
□ 音楽ドキュメンタリー 「小澤征爾 ~ボストン交響楽団と共に20年」
□ 小澤征爾 ベルリン・フィル定期 (1992.11.20)
□ Seiji Ozawa Conductor /Le Sacre du Printemps(春の祭典)
BS-フジ 2017年12月31放送(初出は2016年12月30日)
前半はサイモン・ラトル率いるベルリン・フィルがベートーヴェン交響曲全集に取り組む様子を、練習風景、ライブ、インタビューを交えながら全体像をあぶり出すドキュメンタリーです。
ラトルが「ベートーヴェンの交響曲第一番は“ハイドンへの挑戦状”」と表現しているのを面白く思いました。出だしが変調のラッシュで、20秒間に8回も変調のサプライズがあり、聴衆は煙に巻かれてしまいます。また、「第4楽章は“ジムで筋トレをしたハイドンのよう”」とも。
古参の団員のコメントも興味深いものでした。
「戦後、長らく常任指揮者を務めたカラヤンは“美”を追求した。聴衆も尖った音楽を望まなかった。」
「次にきたクラウディオ・アバドはイタリア由来の明るさ・華やかさ・芳しさが特徴」
「現在のサイモンはカラヤンの深い音色とクラウディオの機能性を併せ持つ現代的な演奏」
なるほど。音楽表現も時代の流れを敏感に感じ取って変わっていくのですね。
ベートーヴェンは交響曲第三番「英雄」を作曲している頃から聴力を失いつつありました。
サイモン・ラトルはそれをも考慮した演奏を団員に望んでいて、あらためて奥の深さを感じました。
後半は第九演奏のライブ映像。
前半のドキュメンタリーを見た後では、超一流の演奏ではありますが、ちょっと違う視点で聞くことができました。
<番組紹介>
【Living with BEETHOVEN「ベートーヴェンと生きる」】
2015年秋のベートーヴェンの交響曲全曲演奏会(ツィクルス)は、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と首席指揮者サー・サイモン・ラトルにとって重要な取り組みとなった。
「首席指揮者は一度は全曲を振って勝負しなければならない―――」
ラトルとベルリン・フィルは2008年に一度全曲演奏会を行っており、2015年から2016年のシーズンの全曲演奏会は2回目となった。
この番組は、巨匠ラトルとベルリン・フィルの演奏会の舞台裏を紹介するドキュメンタリー。
作曲者の秘められた意図を汲み取り、新たな解釈を加え、絶え間なく演奏を見直し続けるベルリン・フィルとラトル。
ラトルは言う。「ベートーヴェンは美しく弾かれすぎることがある。ベートーヴェンを演奏するには、直接的表現であればあるほど良い。しばしば、全く誤った解釈に陥ることがあり、演奏するたびに自分の間違いを思い知らされる。」と。
演奏するたびに日々新しい細部の発見があり、それを磨き上げ、完璧にしていく。
ラトルによる作曲家と作品の解説のほか、楽団員や技術スタッフがベートーヴェン・ツィクルスへの熱い思いを語る。
【ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団「ベートーヴェン交響曲第9番」】
サー・サイモン・ラトルとベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による「ベートーヴェン交響曲全曲演奏会(ツィクルス)」が2015年から2016年シーズンに行われた。これは2008年以来の2度目のプロジェクト。今回は、2015年10月にベルリンで演奏されたツィクルスから「交響曲第9番」をお送りする。
作曲者の秘められた意図を汲み取りラトルらしい新たな解釈を加え、圧倒的パワーを誇るベルリン・フィルが奏でる「歓喜の歌」をご堪能ください。
(2015年10月:ベルリン・フィルハーモニーにおいて収録)
【演奏曲目】
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 交響曲第9番 ニ短調 Op.125 ≪合唱付き≫
<出演者・スタッフ>
【Living with BEETHOVEN「ベートーヴェンと生きる」】
<出演者>
サー・サイモン・ラトル(ベルリン・フィル首席指揮者)
エーファ・マリア・トマジ(第2ヴァイオリン)
ファーガス・マクウィリアム(ホルン)
ヴァルター・ザイフェルト(クラリネット)
フィリップ・ボーネン(第2ヴァイオリン)
アンドレアス・オッテンザマー(ソロ・クラリネット奏者)
ダニエル・スタブラヴァ(第1コンサートマスター)
ミヒャエル・ハーゼル(フルート)
ルートヴィヒ・クヴァント(第1ソロ・チェリスト)
クリスティアン・シュターデルマン(第2ヴァイオリン 第1首席奏者)
マシュー・マクドナルド(第1ソロ・コントラバス奏者)
ヴィーラント・ヴェルツエル(ティンパニー)
ユリア・ガルテマン(ヴィオラ)
クリストフ・フランケ(録音プロデューサー)
ほか
<スタッフ>
監督:ダニエル・フィンカナ―ゲル
マグダレーナ・ジェンバ=シュヴィント【ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団「ベートーヴェン交響曲第9番」】
<出演者>
指揮:サー・サイモン・ラトル
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ソプラノ:アンネッテ・ダッシュ
メゾソプラノ:エヴァ・フォーゲル
テノール:クリスティアン・エルスナー
バス:ドミートリ・イワシェンコ
合唱:ベルリン放送合唱団
合唱指揮:サイモン・ホールジー
前半はサイモン・ラトル率いるベルリン・フィルがベートーヴェン交響曲全集に取り組む様子を、練習風景、ライブ、インタビューを交えながら全体像をあぶり出すドキュメンタリーです。
ラトルが「ベートーヴェンの交響曲第一番は“ハイドンへの挑戦状”」と表現しているのを面白く思いました。出だしが変調のラッシュで、20秒間に8回も変調のサプライズがあり、聴衆は煙に巻かれてしまいます。また、「第4楽章は“ジムで筋トレをしたハイドンのよう”」とも。
古参の団員のコメントも興味深いものでした。
「戦後、長らく常任指揮者を務めたカラヤンは“美”を追求した。聴衆も尖った音楽を望まなかった。」
「次にきたクラウディオ・アバドはイタリア由来の明るさ・華やかさ・芳しさが特徴」
「現在のサイモンはカラヤンの深い音色とクラウディオの機能性を併せ持つ現代的な演奏」
なるほど。音楽表現も時代の流れを敏感に感じ取って変わっていくのですね。
ベートーヴェンは交響曲第三番「英雄」を作曲している頃から聴力を失いつつありました。
サイモン・ラトルはそれをも考慮した演奏を団員に望んでいて、あらためて奥の深さを感じました。
後半は第九演奏のライブ映像。
前半のドキュメンタリーを見た後では、超一流の演奏ではありますが、ちょっと違う視点で聞くことができました。
<番組紹介>
【Living with BEETHOVEN「ベートーヴェンと生きる」】
2015年秋のベートーヴェンの交響曲全曲演奏会(ツィクルス)は、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と首席指揮者サー・サイモン・ラトルにとって重要な取り組みとなった。
「首席指揮者は一度は全曲を振って勝負しなければならない―――」
ラトルとベルリン・フィルは2008年に一度全曲演奏会を行っており、2015年から2016年のシーズンの全曲演奏会は2回目となった。
この番組は、巨匠ラトルとベルリン・フィルの演奏会の舞台裏を紹介するドキュメンタリー。
作曲者の秘められた意図を汲み取り、新たな解釈を加え、絶え間なく演奏を見直し続けるベルリン・フィルとラトル。
ラトルは言う。「ベートーヴェンは美しく弾かれすぎることがある。ベートーヴェンを演奏するには、直接的表現であればあるほど良い。しばしば、全く誤った解釈に陥ることがあり、演奏するたびに自分の間違いを思い知らされる。」と。
演奏するたびに日々新しい細部の発見があり、それを磨き上げ、完璧にしていく。
ラトルによる作曲家と作品の解説のほか、楽団員や技術スタッフがベートーヴェン・ツィクルスへの熱い思いを語る。
【ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団「ベートーヴェン交響曲第9番」】
サー・サイモン・ラトルとベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による「ベートーヴェン交響曲全曲演奏会(ツィクルス)」が2015年から2016年シーズンに行われた。これは2008年以来の2度目のプロジェクト。今回は、2015年10月にベルリンで演奏されたツィクルスから「交響曲第9番」をお送りする。
作曲者の秘められた意図を汲み取りラトルらしい新たな解釈を加え、圧倒的パワーを誇るベルリン・フィルが奏でる「歓喜の歌」をご堪能ください。
(2015年10月:ベルリン・フィルハーモニーにおいて収録)
【演奏曲目】
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 交響曲第9番 ニ短調 Op.125 ≪合唱付き≫
<出演者・スタッフ>
【Living with BEETHOVEN「ベートーヴェンと生きる」】
<出演者>
サー・サイモン・ラトル(ベルリン・フィル首席指揮者)
エーファ・マリア・トマジ(第2ヴァイオリン)
ファーガス・マクウィリアム(ホルン)
ヴァルター・ザイフェルト(クラリネット)
フィリップ・ボーネン(第2ヴァイオリン)
アンドレアス・オッテンザマー(ソロ・クラリネット奏者)
ダニエル・スタブラヴァ(第1コンサートマスター)
ミヒャエル・ハーゼル(フルート)
ルートヴィヒ・クヴァント(第1ソロ・チェリスト)
クリスティアン・シュターデルマン(第2ヴァイオリン 第1首席奏者)
マシュー・マクドナルド(第1ソロ・コントラバス奏者)
ヴィーラント・ヴェルツエル(ティンパニー)
ユリア・ガルテマン(ヴィオラ)
クリストフ・フランケ(録音プロデューサー)
ほか
<スタッフ>
監督:ダニエル・フィンカナ―ゲル
マグダレーナ・ジェンバ=シュヴィント【ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団「ベートーヴェン交響曲第9番」】
<出演者>
指揮:サー・サイモン・ラトル
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ソプラノ:アンネッテ・ダッシュ
メゾソプラノ:エヴァ・フォーゲル
テノール:クリスティアン・エルスナー
バス:ドミートリ・イワシェンコ
合唱:ベルリン放送合唱団
合唱指揮:サイモン・ホールジー
今まで私は彼を貴族の近衛家出身の指揮者としか認識していませんでした。
彼の演奏は残念ながら聞いたことはありません。
その昔、インタビュー記事を読んだ記憶があります。
そこには「天皇家は一度血筋が切れていますから」とコメントしたことを覚えています。(近衛家はずっと続いている)という気持ちを込めたひと言でした。
<番組紹介>
元首相・近衛文麿の弟であり、同盟国の客人としてナチスからも活動を許されていた秀麿の水面下での知られざる活動。それは、戦後、連合国側の取り調べから明らかになった。今回番組では、アメリカ公文書館で見つかった調書や、秀麿を知る関係者の証言を通じて、ユダヤ人演奏家たちの亡命を助けていた実態や音楽に身をささげたその個性を描き出す。
時代に翻弄された音楽家、近衛秀麿の半生を綴ったドキュメンタリーは説得力のある力作です。
内閣総理大臣を経験した近衛文麿の実弟である彼は、日本が戦争に没頭した時代に、自分の音楽の素質を見極めるべくにドイツに渡りました。
所々に彼の貴族的な気品(冷たさ)が感じられました。
交流のあった音楽家にはビッグネームが並びます;
・山田耕筰から作曲を学ぶ
・クライバー(おそらくカルロスではなくその父のエーリッヒ)に指揮を学ぶ
・ゲオルグ・シューマンに作曲を学ぶ
・自曲の演奏を聞いたリヒャルト・シュトラウスに絶賛される
・レオポルド・ストコフスキーから客演の要請があり、まずアメリカに向かい、ストコフスキーのほかユージン・オーマンディやアルトゥーロ・トスカニーニと面会する。
番組の後半は政治的視点から。
貴族出身かつ内閣総理大臣の実弟という立場があってこそなしえたユダヤ人の亡命援助。
最初は仲間の音楽家、その後はそれを聞きつけた運動家が持ちかけたユダヤ人達の財産を海外へ送る援助。
途中、ナチスや日本政府が嗅ぎつけて活動を止められてしまいました。
秀麿が日本に帰国した時、兄の文麿はA級戦犯として裁判の対象となったその日。
面会した時「お前は音楽の道に進んでよかったなあ」とこぼし、その数日後に文麿は服毒自殺したのでした。
Wikipediaを読むと、オーケストラとのトラブルが絶えず、女性関係も複雑だった様子。
内弟子の福永陽一郎のコメントがありました;
「天皇家よりも由緒の明確な千年の貴族というものの悲喜劇を、首相だった長兄の文麿公ともども体現した人だったといえる」
彼の音源を見つけたら是非聴いてみたいと思います。
彼の演奏は残念ながら聞いたことはありません。
その昔、インタビュー記事を読んだ記憶があります。
そこには「天皇家は一度血筋が切れていますから」とコメントしたことを覚えています。(近衛家はずっと続いている)という気持ちを込めたひと言でした。
<番組紹介>
元首相・近衛文麿の弟であり、同盟国の客人としてナチスからも活動を許されていた秀麿の水面下での知られざる活動。それは、戦後、連合国側の取り調べから明らかになった。今回番組では、アメリカ公文書館で見つかった調書や、秀麿を知る関係者の証言を通じて、ユダヤ人演奏家たちの亡命を助けていた実態や音楽に身をささげたその個性を描き出す。
時代に翻弄された音楽家、近衛秀麿の半生を綴ったドキュメンタリーは説得力のある力作です。
内閣総理大臣を経験した近衛文麿の実弟である彼は、日本が戦争に没頭した時代に、自分の音楽の素質を見極めるべくにドイツに渡りました。
所々に彼の貴族的な気品(冷たさ)が感じられました。
交流のあった音楽家にはビッグネームが並びます;
・山田耕筰から作曲を学ぶ
・クライバー(おそらくカルロスではなくその父のエーリッヒ)に指揮を学ぶ
・ゲオルグ・シューマンに作曲を学ぶ
・自曲の演奏を聞いたリヒャルト・シュトラウスに絶賛される
・レオポルド・ストコフスキーから客演の要請があり、まずアメリカに向かい、ストコフスキーのほかユージン・オーマンディやアルトゥーロ・トスカニーニと面会する。
番組の後半は政治的視点から。
貴族出身かつ内閣総理大臣の実弟という立場があってこそなしえたユダヤ人の亡命援助。
最初は仲間の音楽家、その後はそれを聞きつけた運動家が持ちかけたユダヤ人達の財産を海外へ送る援助。
途中、ナチスや日本政府が嗅ぎつけて活動を止められてしまいました。
秀麿が日本に帰国した時、兄の文麿はA級戦犯として裁判の対象となったその日。
面会した時「お前は音楽の道に進んでよかったなあ」とこぼし、その数日後に文麿は服毒自殺したのでした。
Wikipediaを読むと、オーケストラとのトラブルが絶えず、女性関係も複雑だった様子。
内弟子の福永陽一郎のコメントがありました;
「天皇家よりも由緒の明確な千年の貴族というものの悲喜劇を、首相だった長兄の文麿公ともども体現した人だったといえる」
彼の音源を見つけたら是非聴いてみたいと思います。
オペラ歌手と言えばまず頭に浮かぶ名前が「マリア・カラス」。
オペラをあまり知らない私の口から出るほど有名です。
しかし、1950年代のイタリア、アメリカ、フランスではマリア・カラスの独壇場ではなく、レナータ・テバルディと人気を二分していたのでした。
二人の印象は対照的で、トラのカラスに対してハトのテバルディ、カラスはいつも悪役で、対立を続けた二人が最後に和解した時の新聞の見出しは「悪魔と天使が和解した」というものでした。
カラスはどんな音域でも大きく正確な声を出すことが可能で、評論家に「彼女の声はもはや楽器だ」と言わしめるほど。
一方のテバルディはやさしくソフトな声の持ち主で皆に愛されました。
また、カラスは情感豊かな演技ができたので、自ら「歌える女優」と評したのに対し、テバルディは純粋なソプラノ歌手でした。
この二人がしのぎを削って競い合ったことが、凋落気味だったオペラ界に活気を与えたことは間違いありません。
カラスの方が悲劇的かつドラマティックな人生を生き、スキャンダルにまみれてマスコミを騒がせたので、インパクトの強さゆえ名前が残っているのでしょうか?
■ マリア・カラス vs. レナータ・テバルディ
(2015.6.11:NHK-BS)
新たな時代を切り開いた宿命のライバルを描くシリーズ。第3回はオペラ界の人気を二分したソプラノ歌手、マリア・カラスとレナータ・テバルディ。女性たちの確執を描く。
1950年代から60年代にかけてニューヨーク、イタリア、フランスで活躍した2人のディーバ。優等生のレナータ・テバルディは稽古を優先してプライベートを楽しむことをせず、ステージママの母に依存していた。一方、母親との確執を抱えるカラスは、派手な交際と独身を貫き、舞台では「歌手なのか女優なのか」と騒がれる。生き方も演技も全く異なる2人の関係を、メディアがドラマチックに煽り立てた。
原題:Face to Face Callas vs. Tebaldi: The Tigress and the Dove
制作:Ma Drogue a Moi (フランス 2014年)
<マリア・カラス>
□ 「マリア・カラス・アリア集」
□ 「マリア・カラス東京ライブ1974」
□ 「マリア・カラス 伝説~その光と影~」
□ 「ヴェルディ《椿姫》第1幕全曲 マリア・カラス (1955)」
<レナータ・テバルディ>
□ 「レナータ・テバルディ」
□ 「プッチーニ 《トスカ》「歌に生き、恋に生き」レナータ・テバルディ」
□ 「プッチーニ《ラ・ボエーム》第1幕全曲 セラフィン指揮/テバルディ」
□ 「プッチーニ 《蝶々夫人》 第1幕全曲 テバルディ/セラフィン指揮」
オペラをあまり知らない私の口から出るほど有名です。
しかし、1950年代のイタリア、アメリカ、フランスではマリア・カラスの独壇場ではなく、レナータ・テバルディと人気を二分していたのでした。
二人の印象は対照的で、トラのカラスに対してハトのテバルディ、カラスはいつも悪役で、対立を続けた二人が最後に和解した時の新聞の見出しは「悪魔と天使が和解した」というものでした。
カラスはどんな音域でも大きく正確な声を出すことが可能で、評論家に「彼女の声はもはや楽器だ」と言わしめるほど。
一方のテバルディはやさしくソフトな声の持ち主で皆に愛されました。
また、カラスは情感豊かな演技ができたので、自ら「歌える女優」と評したのに対し、テバルディは純粋なソプラノ歌手でした。
この二人がしのぎを削って競い合ったことが、凋落気味だったオペラ界に活気を与えたことは間違いありません。
カラスの方が悲劇的かつドラマティックな人生を生き、スキャンダルにまみれてマスコミを騒がせたので、インパクトの強さゆえ名前が残っているのでしょうか?
■ マリア・カラス vs. レナータ・テバルディ
(2015.6.11:NHK-BS)
新たな時代を切り開いた宿命のライバルを描くシリーズ。第3回はオペラ界の人気を二分したソプラノ歌手、マリア・カラスとレナータ・テバルディ。女性たちの確執を描く。
1950年代から60年代にかけてニューヨーク、イタリア、フランスで活躍した2人のディーバ。優等生のレナータ・テバルディは稽古を優先してプライベートを楽しむことをせず、ステージママの母に依存していた。一方、母親との確執を抱えるカラスは、派手な交際と独身を貫き、舞台では「歌手なのか女優なのか」と騒がれる。生き方も演技も全く異なる2人の関係を、メディアがドラマチックに煽り立てた。
原題:Face to Face Callas vs. Tebaldi: The Tigress and the Dove
制作:Ma Drogue a Moi (フランス 2014年)
<マリア・カラス>
□ 「マリア・カラス・アリア集」
□ 「マリア・カラス東京ライブ1974」
□ 「マリア・カラス 伝説~その光と影~」
□ 「ヴェルディ《椿姫》第1幕全曲 マリア・カラス (1955)」
<レナータ・テバルディ>
□ 「レナータ・テバルディ」
□ 「プッチーニ 《トスカ》「歌に生き、恋に生き」レナータ・テバルディ」
□ 「プッチーニ《ラ・ボエーム》第1幕全曲 セラフィン指揮/テバルディ」
□ 「プッチーニ 《蝶々夫人》 第1幕全曲 テバルディ/セラフィン指揮」