私の音楽 & オーディオ遍歴

お気に入りアーティストや出会った音楽、使用しているオーディオ機器を紹介します(本棚8)。

enya

2018年04月05日 | ヴォーカル
 enyaとの出会いは、1988年の「オリノコ・フロウ」でした。
 もう30年前のことなのですねえ。
 それまでの洋楽とは異なり、民族音楽のような、ファンタジック&メランコリックで、祈りの音楽にも聞こえる、不思議な音楽体験でした。
 1991年の「カリビアン・ブルー」は通勤の車の中でよく聴きました。

 BS-TBSの「SONGTO SOUL」でエンヤの特集をしていた番組を録画してあったのを、2年越しで視聴してみました。

 エンヤはアイルランドのドニゴール州出身。
 「ドニゴール・ツイード」で有名な土地ですね(ジャケットを数着持ってます)。
 いきなり脱線して済みません。

 音楽一家のブレナン家の9人兄弟の3番目だそうです。
 ブレナン家からはファミリーバンド「CLANNAD」を輩出しています(1973年)。
 クラシック音楽を勉強していたエンヤは、1982〜1984年にCLANNADに参加し、キーボードとヴォーカルを担当していたことがあります。
 作曲に興味があったエンヤは独立してソロとなり、プロデューサーであるニッキー・ライアンとその妻で作詞家のローマ・ライアンと出会い、そのユニットから繰り出した音楽で全世界を席巻することになります。
 ポイントとなるアイディアは「ヴォーカルを楽器のように使う手法」だったそうです。

 なるほど。

 エンヤは、
・ケルト音楽の持つメランコリー、パッション
・クラッシックの素養
・エンヤ自身の声
 の3要素からなる、唯一無二の音楽を作り出したのですね。



<番組内容>
 「オリノコ・フロウ」は世界の歌姫エンヤの最初のヒット曲。1988年の秋にリリースされるとイギリスでは3週連続No.1を獲得。その後、この曲の人気は各地に広がり、彼女の名は世界中に知れ渡った。
 エンヤはアイルランド生まれのアーティスト。ドニゴールと呼ばれる北西部が彼女の故郷だ。そこは荒々しい自然の中にケルトの文化が色濃く息づく土地。彼女の家はその地でパブを営み、家族は小さいころからパブの小さなステージで歌や楽器の演奏を披露していた。
 やがてこの家族からクラナドというファミリー・バンドが生まれた。クラナドはケルトのトラッドソングを自分たちなりのモダンなアレンジで奏で、アイルランドを代表するバンドのひとつとなった。リードヴォーカルの長女モイアは後にソロとしても活動、今では、「ケルト音楽のファーストレディ」と呼ばれるほどの人気を得ている。エンヤもかつてはクラナドのメンバーとして、兄や姉たち音楽活動を共にした。トラディッショナルな要素と他の要素を組み合わせることをこのバンドでの活動を通して学んだという。
 エンヤとクラナドのルーツであるケルト音楽とはどのようなものなのか。番組では、エンヤの故郷ドニゴール州グウィドーを訪ね、生家が営むパブや姉妹らが聖歌隊として歌っていた教会を回る。そして、エンヤ本人に音楽がどのように形づくられていったのかを聞く。
 そして、「オリノコ・フロウ」はどのように誕生したのか… エンヤを見出し、アルバム『ウォーターマーク』の制作を依頼、「オリノコ・フロウ」の歌詞にも登場するWEA UKの当時の会長ロブ・ディケンズにも話を聞きながら、探っていく。


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