発達障がい・こころのやまい

専門外ながら相談を受けることがあり、その際に読んだ本や集めた情報を書き留めました(本棚9)。

自閉症スペクトラムが世界中で増えている

2025-01-17 06:12:46 | カウンセリング
昨年、自治体の乳幼児健診(3歳児健診)に参加したときのことです。
カルテに「発達障害」あるいは「発達障害の相談中」の文字が目立ちました。
保健師さんに確認すると、なんと受診者の1/3が発達障害(あるいは相談中)とのこと。
その数字に愕然としました。

発症率が増えたのは、診断基準が変わったからだとか、社会の受け入れ体制が変わったからだ、と言う意見もありますが、やはり実際に増えているのでしょう。

この世代が社会を支える時代になったら、日本はどうなるのでしょう。
3人に1人はサポートが必要・・・その負荷に社会は耐えられるのでしょうか。

以下の記事を読むと発達障害の増加は日本だけではなく、世界規模であることがわかります。


▢ 若年者の健康問題、自閉症がトップ10にランクイン
HealthDay News:2025/01/17:Care Net)より一部抜粋(下線は私が引きました);

 2021年の世界での自閉スペクトラム症(以下、自閉症)の患者数は約6200万人に上ったことが、新たな研究で明らかにされた。米ワシントン大学健康指標評価研究所のDamian Santomauro氏らによるこの研究結果は、「The Lancet Psychiatry」に12月19日掲載された。
 この研究は、世界疾病負担研究(Global Burden of Diseases, Injuries, and Risk Factors Study;GBD)2021に基づき、自閉症の有病率と健康負担(障害調整生存年〔DALY〕)の最新の世界的な推定値を提示したもの。有病率の推定では、受動的な患者の発見に依存した研究を除外し、新たなシステマティックレビューに基づきデータを更新した。また、障害による重み付けの推定方法も修正された。最終的に、33カ国における自閉症の有病率に関する105件の研究データが統合された。
 解析の結果、2021年には世界で約6180万人の人が自閉症であると推定された。これは、127人に1人が自閉症であることを意味するという。世界の年齢調整有病率(10万人当たり)は788.3人で、男性では1,064.7人、女性では508.1人と推定された。自閉症による健康負担は1150万DALYsと推定された。これは、10万人当たり147.6DALYs(年齢調整済)に相当する。地理的枠組み別に見ると、年齢調整済DALY率は、東南アジア・東アジア・オセアニアで10万人当たり126.5DALYsと最も低く、高所得地域で204.1DALYsと最も高かった。またDALY率は年齢とともに減少する傾向が見られ、5歳未満の子どもでは10万人当たり169.2DALYs、20歳未満では163.4DALYs、20歳以上では137.7DALYsと推定された。ただし、こうした健康負担は生涯を通じて認められた。さらに、20歳未満の若年者では、自閉症が非致死的な健康負担のトップ10にランクインすることも確認された。
 研究グループは、「これらの数字は、人生の早い段階で自閉症を診断し、生涯を通じて役立つ治療を受けられるようにすることがいかに重要であるかを示している」と述べている。また、「自閉症の子どもや若者のニーズだけでなく、研究やサービス提供の対象として考慮されないことが多い成人のニーズにも対処することが不可欠だ」としている。
 ただし、本研究で推定された自閉症の有病率は、米疾病対策センター(CDC)の推定(36人に1人)よりはるかに高い。この点について研究グループは、「この高い有病率は、臨床および教育記録の症例ノートのレビューにより個人が自閉症の診断基準を満たしている可能性が高いかどうかを判断したものであり、集団診断調査で行われるような自閉症の臨床的評価により判断されたものではない。そのため、自閉症の有病率は過大評価されている可能性がある」と述べている。
 研究グループは、「世界的な自閉症の健康負担に対処するには、早期発見プログラムへのリソースを優先させる必要がある。特に、ケア、介護者のサポート、および自閉症者の生涯にわたり変化するニーズに合わせたサービスへのアクセスが限られている成人や低・中所得国の人を対象に、診断ツールを改善することが重要だ」とワシントン大学のニュースリリースで結論付けている。

<原著論文>

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たくさん愛情を注いだはず・・・なのに。

2025-01-01 12:30:01 | カウンセリング
「あなたのためを思って」
「お前の将来を思って」
親は自分の行動に講理由をつけがちです。

しかし子どもにとっては「ありがた迷惑」のことが多いのが現実。

事実、私も、
「勉強を頑張れ、もっと頑張れ」
「いい大学へいけばいい生活が待っている」
と常に圧力を感じた中学高校時代でした。
現状に満足せずもっと上を目指すことを指示され、
期待した成績より悪ければガッカリした表情になり、
“そのままの自分“を認めて愛してもらった感情は希薄でした。

私の両親は戦争で青春も将来の夢も奪われた世代、
なので子どもに期待するのはある程度仕方が無い、
と割り切ったつもりでも、
窮屈な日々であり、そのために人生を曲げられた感覚が今でも残っています。

この記事は本の内容の紹介ですが・・・ウ〜ン、すべて想定内なので、
購入して読む気が起きません。

▢ こうして親子の間にどんどん溝ができていく…いたって普通の家庭で愛着の問題を抱える子が育つ深刻な理由ほめられても、無条件の愛情は感じられなかった…
村上 伸治:精神科医
2024.12.27:PRESIDENT Online)より一部抜粋(下線は私が引きました);

普通の家庭で育った子どもも愛着の問題を抱えるのはなぜなのか。精神科医の村上伸治さんは「親の側は一生懸命愛情を注いだつもりでも、子の側は『素の自分を愛してはもらえなかった』という思いを抱き続け、親子間に溝ができてしまうことがある」という――。

▶ 普通の家庭でも愛着の問題が生じる
虐待などの不適切な養育環境ではなく、まったく普通の家庭で育てられたにもかかわらず、愛着に問題を抱えている人が実は少なくないのです。
もっとも典型的なのは、神経発達症(発達障害)がみられる子どもの場合です。
愛着関係は相互のやりとりで形成されます。愛着形成がもっとも活発に行われるのは、0歳から3歳ころまでの時期です。ASD(自閉スペクトラム症)がある場合、他者との情緒・相互的交流が育ちにくかったり、かなり遅れたりするため、親との愛着形成が乳幼児期にはなかなか進まず、発達障害に加えて愛着の問題を抱えやすくなります。
また、発達の問題がなくても、些細な誤解がきっかけとなり親子関係にボタンのかけ違いが生じ、それが長期化し、親子の距離が広がってしまった可能性も考えられます。
目立った衝突や葛藤がないため、親も子も自分たちのあいだにある溝を、なかなか自覚できません。
基本的安心感や自己肯定感が乏しく、それが子どもの頃からあったのであれば、どこかに愛着の問題(広義の愛着障害)が隠れていると考えるべきでしょう。

▶ くり返す精神疾患の背景
うつや不安症などの精神疾患がくり返されるケースでは、表面化している症状だけを見るのではなく、根底にある身体の機能的な問題(発達の問題)と養育の問題(愛着の問題)にまで目を向ける必要があります。
・・・精神疾患の根底には発達と愛着の問題が存在すると考えると理解しやすいでしょう。
とくに愛着は、物心のつかない、自我ができあがっていない時期に生じ、精神という建物の土台をつくります。ここに問題があると、土台の歪みが、やがて別の精神疾患などを引き起こします。
上層階や屋根が立派でも土台が弱ければ、その建物は傾いてしまいます。外にあらわれた疾患の背景にある愛着の問題に目を向け、自己理解を深めていくことは、精神疾患の根本的な治療にもつながるのです。

▶ 素の自分を見てもらえなかった
成績や試合の結果について親が子どもをほめるとき、成果に注目してほめる場合とがんばりに注目してほめる場合とでは、子どもに与える影響は異なります。成果ばかりに注目してほめると、本人は「素の自分」ではなく「出した結果」だけがほめられたように感じてしまいます。
本人にとって、成果はあくまで自分の外側。成果が出たことだけをほめられると、まるで「きれいなコスメだね」と言われているように感じ、素の自分がほめられているとは感じられません。
親の側は一生懸命愛情を注いだつもりでも、子の側は「愛情をかけてもらってはいたが、親が求める条件を満たさなくなったら、愛してもらえなくなると感じていた」「素の自分を愛してはもらえなかった」という思いを抱き続けることになるのです。
成績がよくてもわるくても、試合で勝っても負けても、親がつねに「がんばったね」とプロセスを見てくれていたら、無条件の愛情を感じられ、素のままの自分に生きる価値があると思えたのかもしれません
「がんばらなくてもほめてあげてください」と伝えたら「がんばらなくてもほめるんですか」と聞き返したお母さんがいました。人にはがんばれないときもあります。そんなときは「生きているだけでじゅうぶん」と、ほめてあげてください。がんばれないときも「それでいいのよ」とハグすることで、子どもは親との絆を深めて安心できるのです。

▶ 親が忙しそう、しんどそう……
子どものほうから愛着形成のサイクルを止めてしまう場合があります。親が忙しかったり大変そうだったりすると、子どもがそれを察して、自分から愛情要求を止めてしまうのです。
こうした傾向は、生まれつきの性質も関係します。幼くても周囲の状況や他人の表情を敏感に感じとれる子や、その場の状況に対して、適切なふるまいができる子がいます。親が忙しそう、つらそうだとわかると、自分の要求を控え、親が望むように行動してしまいます。
子どもをかまえないほど忙しい親と、このタイプの子のくみ合わせになると、愛着形成は双方からストップしてしまいます。親からすると、子どもが早熟で自立したように見えるため、「もうあなたは大丈夫ね」と安心して子どもから離れてしまいます。
手がかからないしっかりした子ども時代を過ごしたように見えますが、本当はもっと甘えたかったという思いを抱えている人が多いのです。

▶ 甘えることができなくなった
親や周囲の大人からほめられたことがきっかけで愛着サイクルを止めてしまう子もいます。
たとえば下の子が生まれて忙しいとき、上の子が世話をしてくれると親は「さすがお姉ちゃんね」などと、ほめることがあります。上の子はまだ幼く、本当は弟や妹のように親に甘えたいのに「お兄ちゃんだから」「お姉ちゃんだから」と言われると、甘えられなくなってしまいます。
また、家族に病人がいて、小さいときから家事やケアを担っている子もこのタイプで、現在はヤングケアラーとして問題化しています。
「しっかりしてるね」「強いね」という親のほめ言葉は、「あなたはもう甘えなくていいわね」というサインにもなります。サインを受けとった子どもは自ら「甘えたい」という本音に蓋をしてしまいます。
ほめられることで自立を意識するようになった子は、じゅうぶんな安定感や安全基地がつくられる前に愛着サイクルを止めてしまいます

▶ 発見が遅れるヤングケアラー
病気の家族の介護や家事を過度にまかされている子をヤングケアラーと呼びます。子どもらしい遊びや学習時間、睡眠や将来の夢など自分の人生を犠牲にしているのに、家族には「よくお手伝いする良い子」とほめられ、本人も「自分がやらないと」と思い込んでいるので、学校の先生も周囲の大人も気づかず発見が遅れてしまいます。

▶ 「タイパ」が子どもの成長を急かす
現代はスピードが重視される時代です。「タイパ」という言葉が流行るように、誰もが時間をかけず効率よくものごとを片づけようとしています。子どもの心の成長にもその影響が出ているように思えます。
共働きの両親と核家族が増えたせいなのでしょうか、家事や育児にも時間や気持ちの余裕がなくなってきています。ますます子どもも「早く大人になってほしい」と成長を急かす親御さんが増えた印象です。仕事や家事を効率化するのは合理的かもしれませんが、子どもの成長は違います。数十年やそこらで人間の成長スピードが変わるはずもなく、子どもの心も体も一人前に成長するには、急かされない環境で、ゆったりとした時間が必要です。

▶ 個人の努力だけではどうしようもない
お話ししてきたように、人の精神構造は建築のようなもので、突貫工事でつくればいろいろな問題が生じます。後から補強もできますが、それにはとても大変な労力と時間がかかってしまいます。
だから、時間をかけて基礎工事をすることが大切なのです。「まだやってるの」と言われるぐらい時間をかけたほうが建物は安定します。
誰もが愛着の問題を抱えやすい世のなかになったのが現代です。本書を手にとったみなさんも、過去のできごとを思い出すにつれ、いろいろと思い当たることがあったのではないでしょうか。いつの時代も、親と子がじっくり向き合う時間がとれれば理想的なのです。
しかし、家族関係、人間関係は社会の影響を大きく受けます。個人の努力だけではどうしようもない部分もあるのです。
さまざまな精神疾患で受診する患者さんと話をしていると、最初は気づかなかった生育の問題に気づくことがよくあります。本人も意識してこなかった自己肯定の問題が浮かび上がり、それが主題になって診察が進むこともあります。毎回ほんの10分程の診察でも愛着の問題に目をやり、改善していくこともできると感じています。
自分の愛着の問題に気づいた人は、親との関係の再構築が困難であっても、周囲の人との間で愛着形成を補うことで心の補強工事をしていくことは可能です。

▶ 愛着形成を社会全体で支える
かつて日本社会は地縁が深く、近所のおじさんおばさんと家族ぐるみのつき合いがありました。子どもたちは親や家族と愛着を形成した後、愛着を身近な大人に広げることで、親との愛着に不備があっても、身近な大人との関係でそれを補うことができました。
ところがいま、地縁社会は失われ、子どもは親や先生以外の大人と交流する機会はとても少なくなっています。愛着を親子関係だけのことにせず、身近な大人との関係を豊かにすることで、愛着形成を社会全体で支えるようになることが望まれます。

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ススキノの首刈り事件〜北海道発、猟奇的殺人事件2024

2024-10-04 19:27:23 | カウンセリング
娘が男性の頭部を持って帰ってきた。
父親は精神科医。

映画やテレビドラマのストーリーではなく、
現実に起きた事件です。

我々はどう理解すればいいのでしょう?

取材記事が目に留まりましたので、紹介します。
1997年にやはり猟奇的殺人事件を起こした「酒鬼薔薇聖斗」との共通点に言及しています。

今回の事件の父親は精神科医です。
このような患者を診療するプロです。
どうしようもなかったのでしょうか?


▢ 「ススキノ首狩り娘」はいかにして誕生したのか
…精神科医の父が娘の凶行を止められなかった哀しい理由「異常な人間の特殊な犯罪」では片付けられない
2024/06/23:PRESIDENT Online)より一部抜粋(下線は私が引きました);

▶ 失敗しない子育てなんてあるのだろうか
・・・自分の娘が小学校低学年の時、同級生のひと言に激怒し、彼の首にカッターナイフを突きつけたとしたらどうであろう。
 親を奴隷のように扱ったり、架空の恋人と虚空を見つめながら愛を語ったりするようになったら、私だったらどう対処できたのだろう。

▶ 頭部のない全裸男性の遺体が発見される
 精神に異常をきたしたのだから精神病院にでも入れろと、多くの親たちはしたり顔でいうのだろうが、娘の父親は精神科医、しかも名医だったというのである。
 週刊文春(6月20日号)の「ススキノ首狩り娘(田村瑠奈・30)と精神科医父(60)のSMプレイ」は、娘の母親・浩子(61)の冒頭陳述や綿密な周辺取材で、この事件の“深層”に迫ったすぐれたルポルタージュである。文春を見ていこう。
 昨年7月2日、札幌市内のラブホテルの一室で、頭部のない全裸男性の遺体が発見された。被害者は、恵庭市に住む会社員のA(当時62)だったが、ホテル内や周辺の防犯カメラは、大型のスーツケースを引き、現場を1人で立ち去る小柄な同行者の姿を捉えていた。
 捜査当局は被害者と接点のある女に絞り込んで捜査を進めたが、この世にも稀まれな猟奇事件は単独犯ではなかった。娘とその両親による犯行だったのである。
 7月24日、北海道警は、職業不詳の田村瑠奈を殺人、死体損壊、死体領得、死体遺棄容疑で、その父親で精神科医の修はほう助容疑で逮捕した。翌25日、母親の浩子もほぼ同じ容疑で逮捕された。

▶ 「おじさんの頭を持って帰って来た」
 文春は、1年後の今年6月4日に札幌地裁で開かれた浩子の初公判での冒頭陳述をもとに、こう書いている。
 娘と夫がAを殺して首を家に持って帰ってきたことを知らなかった浩子は、二階のリビングで起床して、同じ階にある洗面所に向かった。
 「浴室に見慣れないプラスチックのケースが置かれていた。中には、黒いゴミ袋のようなものが入っているのも見える。勝手に触れば、瑠奈の機嫌を損ねてしまうだろう。浩子は容器の中身を確認しなかった。
 数時間後、三階の部屋から起きてきた瑠奈が、さらりとこう口にする。

▶ 『おじさんの頭を持って帰って来た』」(文春)
 にわかに信じられるものではなかった。その場を取り繕った浩子は、翌日、ススキノで頭部のない遺体が見つかったというニュースを目にする。娘のいったことは本当だったのだろうか?
 「その数日後のこと。浩子は瑠奈に呼び出された。
 『見て』
 普段と変わらない自然な口調だったため、浩子は警戒心を解き、促されるまま浴室に足を踏み入れる。目に飛び込んできたのは、洗い場に置かれている、皮膚を剥がされて全体が赤くなった人間の頭部だった――」
 この時の心境を浩子は、弁護士にこう語ったという。
 「この世の地獄がここにあると思い、深い絶望感に襲われました」
 なぜこのような娘が育ったのだろうか?

▶ 同級生の喉元にカッターナイフを突きつけ…
 北海道で生まれ、北海道教育大学旭川校を卒業した浩子は、1993年3月、旭川医大卒で精神科医の修と結婚した。翌年2月、生まれたのが瑠奈であった。
 一人娘だった瑠奈は、両親の愛情をたっぷり受けて育った。小さな頃の瑠奈は、友達を自宅に招いて遊ぶ普通の子どもだった。
 だが、小学校2年生の頃から次第に不登校気味になっていったという。
 両親はそれでも瑠奈の個性を尊重し、家庭教師をつけながら娘を見守ろうとしたそうだ。
 この頃から、何事においても「瑠奈ファースト」という親子関係が形成されていったと、検察側は冒頭陳述で指摘したそうである。
 だが、小学2年生の幼いわが子が不登校気味になっていれば、修のように精神科医でなくても、しばらく見守ってやろうと思うのではないだろうか。
 だが、小学5年生の時、瑠奈が同級生の喉元に刃物を突きつける“事件”が起きた。
 その当事者は、瑠奈の服装を「アニメのキャラみたいだな」といっただけなのに、急に筆箱からカッターナイフを持ち出してきて、馬乗りになられ、「次いったら刺すからな」といわれたという。

▶ 「田村瑠奈は死んだ」と宣言
 瑠奈の父方の祖父がこう話している。
 「瑠奈は小さい時から“病気”があったんです。息子の修が言うには、癇癪の一種だと。何かあったら脳の中に蜘蛛が出てきて、悪さをして、その瞬間は、瑠奈も自分で何をやっているか分からないんだって」
 事件から間もなく、修が札幌市厚別区に三階建ての自宅を購入。瑠奈には三階が与えられた。
 だが、状況は好転せず、中学に入学してからは一切登校できなくなっていった。その頃から瑠奈は、人体の構造に興味を持ち始め、頭蓋骨の模型などを部屋に展示するようになったという。
 修は精神科医だったが、自分の子どもを診るというのは客観的な判断ができなくなると考えたのだろうか、瑠奈が中2の頃に別の精神科医を受診させたそうだ。主治医の意見も聞きながらフリースクールに通わせていたが、そこにも通えなくなり18歳の頃には完全な引きこもり状態になってしまった。
 そして自殺未遂を繰り返し、「田村瑠奈は死んだ」と宣言したという。これを弁護側は、「瑠奈の死体に五~六人の人格、魂が入り込んでいると思い込む『ゾンビ妄想』が出始めた」といっているという。
 両親が瑠奈と呼ぶことを許さず、「お嬢さん」と敬語を使わせ、修を「ドライバーさん」、浩子を「彼女」と呼ぶようになった。

▶ 父親と娘で「SMプレイ」の練習を…
 やがて瑠奈には「ジェフ・ザ・キラー」なる妄想上の恋人もでき、時折虚空を眺めて「彼との会話を楽しんだ」という。
 ホラー映画やSMに興味を持ち始め、ススキノの「怪談バー」へ行きたいというようになった。昨年5月28日、修の運転でススキノに足を運び、クラブ「キングムー」の閉店イベントにも出かけ、そこで女装したAと出会ったのだ。
 だがAは、「女装はするけど、好きなのは女の子」だった。知り合ってすぐにAと瑠奈はラブホへと向かったという。
 そこでトラブルが起きた。Aは短時間に何回も性行為に及んだが、最後は、避妊具をつけるという瑠奈との約束を破ってしまったのだという。
 別れた後Aの仕打ちに怒り狂っていたそうだが、瑠奈は、Aが謝ったら許してあげる、次にはSMプレイをしたいと両親には話していたようだ。
 だが検察側は、人体に関心があった瑠奈は遺体を解体して弄ぶことを計画し、両親もそれを容認し、協力したとみているという。
 「SMの女王」になりたいという瑠奈のSMプレイの練習のため、家で修と2人で練習をしていたそうだから、異様というしかない。
 娘と父親はAを探し当て、7月2日、ラブホへAと瑠奈が入って行った。

▶ 「娘と地獄まで付き合う」という覚悟があったのか
 「入室早々、全裸になったAさんを浴室に誘導した瑠奈は、SMプレイを装ってアイマスクで彼の視界を塞ぎ、両手を後ろ手にして手錠をかけた。そしてハンディカメラを用意する。
 『お姉さん(Aさん)が一番、反省しなきゃいけないのは、私との約束を破ったことでしょ』
言葉と同時に、瑠奈の殺意が爆ぜる。刃渡り約八・二センチの折り畳みナイフを、Aさんの背後から右頸部に何度も突き立てた。(中略)その後、瑠奈は用意していたノコギリを使い、約十分でAさんの頭部を切断した」(文春)
 先の祖父がこうもいっている。
 「病気のある瑠奈を大切にしていたのは分かる。『修さ、抱え込んだってダメなんだよ』って言ってきたけど、うちの子はこういう症状が出るから、これでいいんだと。ドライバーさんとか呼ばれていたっていうのも、従属してるんじゃなくて、そうやって瑠奈に付き合ってあげていたんだろう。殺人まで起こすなんて、二人とも分かってなかったと思う」
 だが、精神科医の父親と、やはり学歴のある母親が、なぜ、娘の鬼畜のような行動を止められなかったのか。娘と地獄まで付き合う。そういう覚悟があったのだろうか。
 これを読みながら、私が週刊現代の編集長だった1997年5月に起きた「少年Aの事件」を思い出していた。

▶ 小学6年生の時にAが作った異様な作品
 中学校の正門の上に小学4年生の男の子の頭部を置くという残忍な犯行は、世の中に大きな衝撃を与えた。その前には小学生の女の子をハンマーで殴り殺している。
さらに不敵にも「酒鬼薔薇聖斗」と名乗り、新聞社に犯行声明を送りつけたのである。メディアも総力を挙げ て取材合戦を繰り広げた。だが杳ようとして犯人像を絞り込めなかった。
 それから約1カ月後、私はタクシーの中で逮捕の一報を聞いてのけ反った。14歳の少年だったのである。
 事件の詳細は省くが、事件から2年後に少年Aの母親(父親も書いてはいる)が手記『「少年A」この子を生んで……』(文藝春秋)を出版した。
 その中にこのような記述がある。
 「学校の図工の時間に、Aが赤色を塗った粘土の固まりに、剃刀の刃をいくつも刺した不気味な作品を作ったのは、小学六年生のときでした。『粘土の固まりは人間の脳です』と説明し、聞いた担任の先生がびっくりして、夜七時頃に家を訪ねてこられたのです」
 「当時は(温度計を万引きした=筆者注)その理由が分からず、ただただ不思議でした。でも、その頃Aが、猫を解剖したり、温度計の水銀を集めて猫に飲ませたりしていた、と逮捕後の報道で知り、頭を何かで殴られたような気分になりました」

▶ 田村容疑者とAの共通点は多く見つかる
 「Aの中一か中二か、どちらか忘れてしまいましたが、春休みのときに、家の軒下の空気孔から、家では誰も使っていないはずの家庭用の斧が出てきました」
 「中学二年の十一月には、レンタルビデオ店でホラービデオを万引きし、警察に補導されたことがありました」
 「鑑定書の中で、あの子は自分の空想で作りあげた友達を語り、その姿を描いていました。
 『エグリちゃん』と名付けた身長四十五センチぐらいの女の子。
 その絵は気持ち悪くなるようなグロテスクなものでした。
 頭から脳がはみ出て、目玉も飛び出している醜い顔で、エグリちゃんはお腹が空くと自分の腕を食べてしまうそうです。
 『ガルボス』という空想上の犬(絵はない)も友達で、『僕が暴力をふるうのは「ガルボス」の凶暴さのせい』と、話していました」
 「精神鑑定の結果、精神や脳には異常はない。あの子は一体、何者なんでしょうか?」
 同級生の喉元に刃物を突きつける。人間の脳に見立てた粘土に剃刀を突き立てる。ホラー好き。空想の人間と対話する。田村瑠奈容疑者と少年Aの共通点は多く見つかる
 ましてや瑠奈の父親は精神科医である。このままでは娘は大変なことをしでかすと見通していたのではないか。

▶ 狂気に気づいた時点で手が打てるとは限らない
 しかし、娘の暴走を止めるどころか、犯行に加担してしまったのだ。母親は、自分は傍観者のように証言しているようだが、そうではあるまい。
 3人だけの異常だが親密な世界をつくり、その中だけで生きていけるのなら、それでいいではないか。他人に迷惑はかけていないのだから。そう考えたのだろうか。
 しかし、娘はその世界からハミ出し、自分の欲望のハケ口を外に求め始めた。その先に何があるのかをわかっていたはずだろうが、両親はその現実を直視することが怖かったのではないか。
 そして娘の狂気が暴走してしまった。もはや両親にはそれを止める体力も気力も残っていなかったのだろう。
 だからといって、両親の罪が軽いというわけではない。少年Aの母親も、子どもの狂気に気付いた時、何らかの手を打てたのではなかったのか。世の多くの親はそう考えるに違いない。だが、果たしてそうだろうか。
 少年Aの母親は事件が起きた後もこう綴つづっている。
 「私の知っていたAは、親バカかもしれませんが、人に必要以上に気を遣うなど、繊細でやさしいところのある子でした。すぐ人を信じて傷つきやすく、臆病で純粋すぎる。根がバカ正直なので、学校でも先生に思ったことをそのまま言うなど、不器用で心配になる部分があるほどでした

▶ 「異常な人間の特殊な犯罪」で片付けていいのか
 この母親は子どもの躾けに厳しく、自分の母親から「あんたは叱りすぎる」と窘たしなめられていたというから、溺愛しすぎて盲目になっていたのではないようだ。だが、親が見ているのは子どものごく一部分でしかない。
 どうしたら自分の娘や息子の本当の姿や本音を知ることができるのだろう。そう悩んでいる親たちは多いのではないだろうか。専門家と称する人たちのトリセツ的な子育て論が役に立つとは到底思えない。
 この2つの事件を、異常な人間が犯した特殊な犯罪と片付けてしまっていいのだろうか。
 誰もが失敗する子育てだからこそ、失敗から学ぶことは多いし役に立つことも多いはずである。
 早くも少年Aの事件は世間の関心が薄れ、忘れ去られようとしている。だが、この2つの猟奇殺人事件は、「子育て」という観点から今一度、徹底的に研究、分析される必要があると、私は考える。


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リチウム処方の変遷

2024-09-22 06:57:34 | 双極性障害
リチウムは双極症(旧名:双極性障害、もっと昔は躁鬱病)の特効薬であり、欠かせない薬として君臨してきました。
しかし近年、その考えが少し変わってきたようです。
各疾患(他の病気でも使用されていた?)への使用率が減少してきたという記事が目に留まりましたので紹介します。

やはり双極症で多く処方されていますが、20年間の推移は約40% → 30%と減少傾向、
いやいや、双極症でも30〜40%しか処方されていないことに私は驚きました。

さらに、統合失調症にも2〜3割で処方されていることも以外でした。

以前調べた際は、リチウムが双極症に効くことは偶然発見され、メカニズムが不明ながらもずっと使われてきたことを知りました。
現在のエビデンスはどうなっているのでしょうね。

▢ 双極症に対するリチウム使用、23年間の変遷
  
 薬剤の疫学データによると、双極症に対するリチウムの使用は、徐々に減少しており、他の適応症への注目も低下している。ドイツ・ミュンヘン大学のWaldemar Greil氏らは、1994~2017年のリチウム処方の変化を調査した。Pharmacopsychiatry誌オンライン版2024年8月22日号の報告。
 ドイツ、オーストリア、スイスの精神科病院を含む精神医学における薬物安全性プログラムAMSPのデータを用いて、1994~2017年のリチウム処方を分析した。さまざまな疾患に対するリチウムの使用は、2001年以前と以降および3つの期間(T1:1994~2001年、T2:2002~09年、T3:2010~17年)により比較を行った。
 主な結果は以下のとおり。

・対象は、成人入院患者15万8,384例(女性の割合:54%、平均年齢:47.4±17.0歳)。
・リチウム処方は、統合失調症スペクトラム患者で2001年以前の7.7%から2001年以降の5.1%へ、情動障害患者では16.8%から9.6%へと、統計学的に有意な減少が確認された。
・各疾患サブグループにおいてもリチウム処方の減少が認められた。
【統合失調感情障害(ICD-10:F25)】27.8%→17.4%(p<0.001)
【双極症(ICD-10:F31)】41.3%→31.0%(p<0.001)
【うつ病エピソード(ICD-10:F32)】8.1%→3.4%(p<0.001)
【再発性うつ病(ICD-10:F33)】17.9%→7.5%(p<0.001)
【情緒不安定、境界性パーソナリティ障害】6.3%→3.9%(p=0.01)
・T1、T2、T3における比較は次のとおりであり、双極症に対するリチウム処方は、2002年以降、あまり減少していなかった。
【統合失調感情障害】26.7%→18.2%→16.2%
【双極症】40.8%→31.7%→30.0%
【うつ病エピソード】7.7%→4.2%→2.7%
【再発性うつ病】17.2%→8.6%→6.6%
・リチウムと併用された主な向精神薬は、クエチアピン(21.1%)、ロラゼパム(20.6%)、オランザピン(15.2%)であった。
 著者らは「入院患者に対するリチウム処方は、双極症だけでなく、さまざまな疾患において減少していることが確認された」としている。

<原著論文>
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オーバードーズ(市販薬乱用)2024

2024-09-19 16:06:51 | 精神科医療
日本思春期学会で薬物依存の講演を聴講しました。
最近増えてきた「市販薬乱用」の話を興味深く聴きました。

2014年にはなかった市販薬乱用・・・
どうやらその主因は「危険薬物禁止」であり、
それが激減すると同時に増加し、
つまり「簡単に手に入る依存性薬物」として注目を浴びたことらしい。

さらに市販薬は個人で入手し個人で乱用できるという、
現代社会の抱える「孤独」「孤立」とリンクしやすい特徴がさらに拍車をかけた、
という説明で、頷きながら聞きました。

ポイントと感じた箇所をメモしておきます。

▢ 乱用された市販薬ランキング
1.ブロン錠・ブロン液(せき鎮静・痰除去薬)
2.パブロン・パブロンゴールド(総合感冒薬)
3.ウット(睡眠鎮静剤)
4.ナロン・ナロンエース(鎮痛剤)
5.イブ・イブクイック・イブプロフェン(鎮痛薬)
6.ドリエル(睡眠薬)
7.バファリン(鎮痛薬)
8.コンタック(総合感冒薬)
9.トニン・新トニン・シントニン(せき鎮静・痰除去薬)
10.セデス(鎮痛薬)
11.ベンザ・ベンザブロック(感冒薬)
12.レスタミン(抗アレルギー薬)
13.ロキソニン(鎮痛剤)
14.ルル(総合感冒薬)
・・・
と馴染みのある市販薬の名前が並び、驚かされます。

▢ 乱用市販薬の二大成分
・メチルエフェドリン(覚醒剤の原料)
・ジヒドロコデイン(麻薬の一種)

これも医療関係者にはお馴染みの成分です。

▢ 市販薬を乱用する背景
・つらい気持ちをやわらげたいが、誰にも相談できない。
・生きるための手段・・・「死にたい」気持ちから一時的に逃れることができる。
・居場所としてのインターネット(SNSの匿名性)、家庭・学校に居場所がない。

リストカットの背景も「死ぬため」ではなく「生きるための手段」と説明されており、
現代社会が抱える病理が別の形で現れているということでしょう。

▢ 市販薬乱用者の共通する要因
・体質(ドーパミン放出機能の弱さ)
・幼少期の経験・生育環境
(例)親からの虐待・冷遇、学校でのいじめ、
   褒められる・認められる経験の乏しさ
 ・・・脳内報酬系(褒められ認められることによる天然のドーパミンの快感)を経験していない。
・トラウマ(性暴力、凶悪犯罪との遭遇)
 → 以上の要因があると薬物により得られる快感に絶大な魅力を感じやすい(感じるのはしかたない?)
 → 依存症になりやすい。

・・・脳内報酬系が自然に日常的に稼働する経験がないので、薬の快感に抵抗できないということ。
 演者は「生育環境など過去の話を聞くと、“薬に依存してもしょうがない”というひどいエピソードばかり」と話していました。

▢ 「孤立の病」としての薬物依存
・社会的孤立・・・人とのつながりがない
・薬物に手を出すキッカケは「つながり」を得るため
  → 「仲間」と見なされる
  → 大切な人との絆が深まる
  → 薬物使用・・・対人的な緊張感・不安の緩和、劣等感の解消
       ⇄ ひと付き合いの苦手さ、自尊心の低さ
・「助けて」が言えない・・・援助希求能力の低さ
・依存症の「自己治療仮説」(苦痛の回避)
・(安心して人に依存できない病気)

・・・市販薬乱用者は、従来の「楽しむためにクスリを使う」薬物中毒のイメージと異なり、みな真面目で孤独です。
人付き合いが苦手で人を頼るのも下手、つらさから逃れるためにクスリに手を出す、そしてそのクスリは近所の薬店で売っている・・・という悪循環ができやすい構図が浮かび上がります。

▢ 薬物依存啓発運動の功罪
・薬物乱用防止教育「ダメ、ゼッタイ!」
・薬物自体についての知識伝授としては意義あり。
・しかし依存症者への誤った理解と偏見を生じやすい。
・刑罰による排除・規制の強化は必要な支援と逆方向
・依存症者はさらなる孤立へ

薬物乱用者は病気なので、本人の意志があっても止められない、
それを非難すると逃げ場がなくなってしまい、孤立が深まる悪循環・・・。

▢ ハーム・リダクション
・薬物問題は刑罰や規制では解決しないことが世界共通の認識
薬物問題を抱える人に必要なのは刑罰ではなく、治療と支援
・WHO「薬物問題を非犯罪化し、健康問題として扱うこと」(2014年)
・ハーム・リダクション(被害の低減):薬物を強制的に止めさせることよりも、薬物による健康被害を減らし、命を守ることが重要。

・・・日本はこの考え方がまだまだ浸透していませんね。

▢ 支援者にできること
・薬物を使用したことを否定しない。
・止めること・止め続けることの難しさへの理解(簡単に手放すことはできない)
・根気強くつながり続けること(ゆるくつながり、時にはお節介も必要)。

<オーバードーズに対して周囲はどうする?>(NHKのHPより)
・つらい気持ちにより添う。
・解決には時間がかかると心得る。
・専門機関に迷わず相談する。


コメント
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