発達障がい・こころのやまい

専門外ながら相談を受けることがあり、その際に読んだ本や集めた情報を書き留めました(本棚9)。

「こんなツレでごめんなさい」(望月昭著)

2014-04-06 20:33:11 | 
 文藝春秋、2008年発行

 「ツレがうつになりまして」はよい映画でした。
 「ツレうつ」はうつ病になった旦那(ツレ)を妻(細川貂々さん)の視点から描いたものですが、では本人自身はどんな風に感じて過ごしていたのだろう、とすごく興味が湧きます。
 そう、この本の著者はうつ病になった旦那である「ツレ」本人なのです。

 紋切り型の医学書には記載のない、なかなか”一筋縄ではいかない”うつ病の真実がそこに書かれていました。

 まず、診断。
 ツレは単極性のうつ病と診断されていますが、その前に本人曰く「絶好調」の時期があったことなどを考慮すると双極性障害の可能性も否定できない、さらに発病初期は幻覚や幻聴、妄想のようなものもつきまとっていたことを考えると統合失調症の可能性も否定できない・・・。
 ま、診断は専門家に任せますが、線引きが難しい疾患群ですね。

 はっきりした理由/きっかけがないのに長期間うつ状態に陥り自分ではどうしようもなくなることが健康と病気の境界線でしょうか。
 理由/きっかけがあって落ち込むのであれば、時間が解決してくれそうです。
 しかし、自分ではわからないと解決しようがない。

 結局「うつ病」とは症候群であり、DSMの診断基準では「うつ状態が2週間以上続く」という症状だけでくくっている概念ですから、その中にはいろんな病態があってしかるべき。一口に議論するのは無理というものです。
 著者も「どの本を読んでもよくわからない・・・」と嘆いていますが、医者の私にもどう捉えるべきなのかピンときません。

 著者夫婦はクリスチャンです。
 宗教は「うつ病」を救えないんだなと改めて感じました。
 むしろ、著者がキリスト教関係ではなく仏教関連本を読みあさっている下りを興味深く読みました。
 ストレスを上手く受け流す手法では仏教の方が優っている?
 ・・・今後の課題です。

 回復期のたいへんさも綴られています。
 
 僕は、四十歳を人生の節目として意識していたから、最初はその日までに病気を治して、社会的にも復帰したいと考えていた。でも、それはどう考えても無理だった。
 何度も「僕は気力を振り絞って、憎いうつ病と闘って、勝つぞ!」と思ったのだが、悲しいことに、気力を振り絞ると、それだけでグッタリし病状が悪化したように思われるのだった。
 ・・・「これは闘って勝とうとするのがよくない病気なのだ」と気づくようになった。

 ・・・良くなったと思うと悪くなる。悪くなったと思うと、それほどでもない。一日の中にも浮き沈みがあり、数日周期での波があり、もう少し大きな波もあった。体力、気分、感情、意欲、判断力や能力、すべてに波がある。その波はそれぞれが勝手に不規則な何診なっていて、自分でも上手くつかむことができない。そして、良くなったと思っていると必ず直前よりも悪くなるので、失望してくじける。

 もちろん、波を描きながらも回復してきているので、それを意識することもある。そうなると、持ち前の性格で頑張りを発揮して社会に復帰しようと焦ってしまったり、そうした焦りでエネルギーを使い果たして、あっという間にまた元通り。

 回復過程は長く続き、最初の頃と、随部女苦なった頃とでは、気力も波もねじけた性格もそれなりに異なっているのがダ、そうしたものに悩まされ続けていたことでは、ずっとそうだった。その困難の全てを含めて「うつ病」という病気とすべきなのだろう。


 ツレさんの「はまると疲れを忘れて”やり過ぎ”てしまう性格」が元凶なのでしょうね。
 しかし、発病前と同じ仕事ができないことを受け入れることは、青年期には難しいことです。
 自分の人生はこれから、というときに、テンションを上げてはダメ、これも無理、あれも無理、と自分自身に制限をかけないと再発してしまうのですから、つらいです。
 大人になることは自分の限界を知り妥協していくつらい過程、と読んだことがありますが、うつ病の発症はそれをさらに(病的なまでに)限定されてしまう宣告のようなものだと思いました。

 「専業主婦(主夫)」をめぐるやり取りは面白く読みました。
 「専業主夫してます」と自己紹介するといろんな反応があり、感心する人がいる一方で、「子育てもしていないで主夫気取りするな」という厳しい意見もあり。本人は子どものようにかわいがっているイグアナで子育てしていると心の中で反発していますが(笑)。

 最後に、一応うつ病を克服したツレさんが、自らの闘病体験を振り返って記した文言が秀逸です;

 決して元のように戻れないが(病気になる前は無理をしていたのだから)回復して別のところに戻ってくる。
 今まで、知らなかったものや興味も覚えなかったものが、向こうから自分のところにやってくる。世界にはこんなものもあったんだぞ、というように。
 そして、ある日ふと、生きていて良かったと思うのだ。
 そんな病気だ。
 病気をしたことも、意味があったのかもしれない。今ではそう思う。

「乗るのが怖い」(長嶋一茂著)

2014-04-06 20:31:58 | 
副題:私のパニック障害克服法
幻冬舎新書、2010年発行。

 著者はご存じ長嶋茂雄の長男です。
 彼がパニック障害だったなんて知りませんでした。

 患者としての苦しみやトンネルを抜け出す方法を経験者として語っているので説得力があります。
 ただ、あくまでも経験談であり科学的な根拠に乏しい記述も無きにしも非ず。医療者としての私は全てを認めることはできませんが、参考になる文言があちこちにちりばめられていました。

 興味深く読んだのが、抗うつ剤の副作用としての「自殺衝動」
 こんな風に記されています;

 とにかくうつがひどい。
 ベッドから起きられない、仕事に行けない、約束が守れない、わけもなく涙が出るー
 ・・・
 だから仕方なく抗うつ剤を飲むのだが、今からすればそれが合わなかった。副作用が出て何度の自殺衝動が起きた。それまで経験したことのない、まるで蟻地獄のような果てのない絶望感。私は心底破れかぶれになって「もう死のう、本当に死のう」と思った。
 ・・・
 その時の自殺衝動で何より恐ろしかったのが、それが自分の意志に関係ないところから、湧いて出てきたことだ。
 抗うつ剤を飲んで寝ると、朝の3時頃に発熱・発汗し、息苦しくてパーッと体が熱くなって目が覚める。そして起きた途端に目場パチッと冴えて、どこからか「自殺したい」という声が出てくるのだ。その「自殺したい」というのは自分の声じゃない。心の中から出た声じゃないのにーーそれはまるで魂がむしばまれるような恐怖だった。その上に、「俺はそのうち、自分の意志に関係なく自らの命を絶ってしまうのではないか」という恐怖が覆い被さってくる。
・・・
 薬はもちろん必要だけれども、副作用が出る可能性も十分覚悟して服用しなければならない。だから私はこの本で、最終的には薬に頼らない克服法を目指したのである。


 それから、パニック障害克服のための基本スタンスは含蓄に富んだ表現です;

 自分の体は神様からもらった体だと思い、
 自分の中の自分と対話し、
 自分で自分の体をいたわること。
 なぜなら、結局のところ、自分の肉体は自分の魂しか褒めてくれないから。


 暗くて長いトンネルを孤立無援状態で戦い抜いた言葉ですね。

メモ
 自分自身のための備忘録。

パニック障害でない人が、パニック障害を100%理解するのは不可能。
 この苦しみは、女房も子どもも本当には理解してはくれない。医者も理解できない。
 それが当然なのだ。なぜならパニック障害を経験していないから。

人生の目的は「幸福感」ではない。
 人生が「自分探しの旅」であるとするならば、その最終目的地が「幸福感」であってはならないと私は考えている。
 現代社会においては、多くの人が、幻のような幸福感を揺るぎないもののように錯覚して塗ろうし続けている。「もっともっと症候群」になり、「スーパーマン症候群」になりーー。その結果、心と肉体がちぐはぐになり、挙げ句の果てには心を病んでしなうのではないだろうか。
 私はパニック障害になって、人間が生きていく目的は幸福感でも何でもなく、結局、一つしかないのではないかと考えるようになった。仕事は仕事での目的がある、プライベートはプライベートでの目的がある、と分けて考えるものではなく、最終的な目的は、シンプルにたった一つだけ、それは「自分が何であるのかを知ること」なのではないだろうか。

「薬や医師に依存する、頼る」という考えのままでは間違えてしまう。
 脳科学では「自分で自分を導く」というような言い方をするようだが、結局、パニック障害も同じで、本当に根本的に治すためには、まず自分自身で自分の心身を奥深くカウンセリングすることからスタートしなければならない。
 自分はいったい何者なのか。
 本当に必要なものは何なのか。
 何がつらくて、何に疲れているのか。
 その原因は何なのか。
 自分は何を最終目的に生きているのか。


ゆっくり吐いて、ゆっくり吸うだけの呼吸法
 呼吸法というと一見難しそうに思うかもしれない。実際、文献などを読むと何百種類もの呼吸法がある。私は凝り性なので・・・数限りない呼吸法を試してみたけれど、結局、あまり特殊で難しいものはパニック障害には必要ないことがわかった。
 パニック障害に必要な呼吸法の基本というのは、「ゆっくり息を吐いて、ゆっくり息を吸う(ただし、順番は吐くことが先)」という、ただこれだけ。それだけで十分、自律神経は落ち着いてくることがNASAのデータでも確認されている。
 この呼吸法は乗物恐怖の際にも有効だ。「あ、ヤバイな」という予感がしたら、とりあえず目を閉じてゆっくり吐いて、ゆっくり吸う。それだけで気分が落ち着いてくるはずだ。

パニック障害は自分の人生を見つめ直す絶好の機会だ。パニック障害のピンチは、自分次第ですごいチャンスに変えられる。

社会が悪い、会社が悪い、上司が悪い、親が悪い、誰々が悪いと思っているうちは、パニック障害は治らない。
 「そんなの関係ないよ」と流せる自分を確立すること。
 パニック障害にかかる人には「休んでいることに罪悪感を持つ人」が非常に多い。その自己嫌悪や自己否定から、余計にうつの症状が増してしまう。勇気を持って「人間、ダラダラすることも非常に需要なのだ」と考え方を変える必要がある。

パニック障害を含めて、自然から離れれば離れるほど人間の体は悪くなる。
 根治のポイントは「自分の肉体を自然に帰してあげること」だと思う。

トップサーファーが失敗して波に飲み込まれたときどうするか?
 高さ十数メートルに及ぶこともある波に飲み込まれたら、3分間は上がってこれない。「その時はどうするんだ>」と効くと、彼は「まずは身を任せる」と言うのだ。
 波の下は、すごい勢いで海水がグルグル回っているから、上と下がわからなくなる。それに巻き込まれているときは、パニックになってもがいたら死ぬ。だから、とりあえずは身を任せ、グルグルされるままになって、ちょっと波が収まったときにパッと目を開けて、泡が昇っていく方に思い切り手だけ動かす。その時、足も動かすと酸素が海面まで持たないので「手だけ動かす」のがポイント。

「逃げる」のではなく「しのぐ」ことが大事。
 したたかに、ずるがしこく生きる。しのぐためには「まあいいや、だいたいで」と言い続けよう。

「生きていく理由もないけど、さしあたって死んでいく理由もない」(バルタザール・グラシアン)

「はじめての認知療法」(大野裕著)

2014-04-06 20:30:46 | 
講談社現代新書、2011年発行。

前項(「開き直る」心のセラピー)と同じ著者です。
こちらは概念論に終わることなく、実際の認知療法の入口まで解説してあるので、説得力がありました。

「あとがき」にエッセンスが書かれているので引用します;
「認知」という言葉は硬いですが、ものの考え方・受け取り方のようなもの。
私たちは自分のまわりで起きていることを自分なりの方法で判断し、解釈しながら生きています。
ですから、同じ場所で同じ体験をしていても、人によってその受け取り方は様々です。
「認知療法」というのは、認知に注目することで、気持ちや行動をコントロールする治療法です。


一つの現象をどう捉えるか、には個人差がありますが、ストレスがかかると偏り・歪みが生じがち。
それを自己分析することにより自覚し、バランスがよい方向へ向けていく思考訓練法、と私は受け取りました。

確かに「思い込み」によるデメリットは自分の経験でも多々あります。
うつ・不安障害など、病的バランスに陥った時だけでなく、ふだんの生活にも役立つ考え方だと思いました。

<紹介されているお役立ちHP>

「心の健康」(厚生労働省)・・・うつ病の認知療法・認知行動療法マニュアル(平成21年度厚生労働省こころの健康科学研究事業「精神療法の実施方法と有効性に関する研究」)他がダウンロード可能。

★ 「うつ・不安ネット」・・・著者が2008年に解説したセルフヘルプ用認知療法活用モバイルサイト。
①「簡易抑うつ症状尺度(QIDS・J)」を用いたうつ度のチェックがサイト上で可能。
② 認知再構成のために、困った状況、その時の感情、自動思考、自動思考の根拠と反証を書き込んで、考え方のバランスを取る練習ができる。自動思考の根拠と反証を書き込むと適応的思考の案が自動返信されてきて、それを推敲することでバランスのよい考え方をする練習ができる。
③「こころ日記」を使って自分の心に目を向けながら毎日の生活を整理したり、「こころ体温計」や「こころの変化天気図」を使ったりして行動活性化の手助けをする。
④ 問題解決の技法を用いて、効果的で実行可能な解決策を考えることができる。
⑤ うつ病や不安障害の説明、認知療法のスキルやリラックス法が、テキストや動画などで解説、紹介されている。マインドフルネスによる気づきを助ける動画も活用可能。
⑥ 毎週金曜日に著者のメルマガが届く。

メモ
自分自身のための備忘録。

認知は「自動思考」と「スキーマ」の二つのレベルに分けられる。
自動思考】・・・比較的表層的なもので、ある体験をしたときに瞬間的に頭の中を流れる思考やイメージを指す。自然に、そして自動的にわき起こってくる考えやイメージという意味。
スキーマ】・・・とは自動思考の基礎になっているその人なりの「こころのクセ」であり、その人がずっと持ち続けている基本的な人生観や人間観である。これは、生まれながらの素質と環境の要因の影響を受けながら、それまでの体験を通して形作られてきた個人的な確信で、その人の心の規則になって考え方や行動をコントロールしている。
 自動思考が極端すぎると、現実を客観的に見つめることができなくなって、かえって自分を追いつめてしまうことになる。思うように事態が改善しなかったり、つらい気持ちが続いているときには、そうした自動思考に無理がないかどうか要確認、これが認知療法である。認知療法ではまず自動思考に注目して認知の偏りを修正し、現実に目を向けながら問題を解決していく中で、次第にこころの規則(スキーマ)にも目を向けていくようにする。

否定的認知の三徴
 うつ状態の時、私たちは自分を責めるようになっており、人間関係にも自信をなくし、そして将来についてもどうしても暗く考えてしまう。このように、自分自身、周囲との関係、将来の三つの領域に対して悲観的に考えるようになっている認知の状態を、アーロン・T・ベック博士は「否定的認知の三徴」と呼んだ。

認知を変えるには
 気持ちや行動をコントロールしたいと考えたときには、気持ちが動揺したときの考えやイメージ(=自動思考)に注目して、それが極端になっていないかどうかを調べてみるようにするとよい。ただし、自動思考が間違っているとか正しいとかという判断するのではなく、どの部分が極端でどの部分が現実に沿った判断なのか、現実を通して丁寧に確認することが大切である。

認知療法の流れ
1.症例の概念化・・・問診を通して症例を理解し、患者の考え方の特徴(スキーマ)を明らかにする。
2.行動的技法と認知再構成法を同時進行
行動的技法
 下記の技法を望井って考えのバランスを取り、うつや不安などを和らげていく過程を手助けする。
・行動活性化:治療者が患者さんの問題を一緒に整理しながら、日常の生活の中で楽しいことややりがいのあることを増やしていく。
・問題解決技法:具体的な問題を解決するスキルを伸ばしていく。
・アサーション(主張訓練):自分の気持ちや考えを適切な形で相手に伝える。
認知再構成法
 患者さんの気持ちが大きく動揺したりつらくなったりしたときに、どのようなことを考え(自動思考)、それが気分や行動にどのように影響しているかを現実に沿いながら検討していく。そうすることで、自動思考の内容と現実との「ズレ」に気づくことができ、柔軟でバランスのよい考え方ができるようになって、気持ちが楽になる。
3.スキーマの修正
 最後に、患者さんのこころのクセ(スキーマ)を理解して患者と共有し、必要であればそのスキーマを修正し、治療が終結する。

問題を解決する手順
1.問題リストを作る
 今気になっていることを思いつくまま書き出す。
2.解決目標を設定する
次にあげる「チェック項目1」の条件を満たすものを取り出して最初の目標にする。
・チェック項目1
① 自分自身にとって重要である
② 解決可能である
③ 具体性がある
④ 将来につながる
・チェック項目2
① これまでに同じような問題に直面したことがあるか
② そのときにどう対処したか
③ それは成功したか
④ 成功しなかったとすれば何がよくなかったのか
⑤ 成功したとすれば何がよかったのか
・チェック項目3
① この問題が解決できたときのメリット
3.問題解決技法
① 問題解決志向:問題に取り組める精神状態を作る。問題解決を妨げている自動思考を書き出してみて、それに反論してみるとよい。
② 問題の明確化と設定:取り組む課題を決める。すべての問題を一度に解決することは困難なので(だからこそ悩んでいる)、何が問題かを具体的に考えて一つだけ選び出す。
③ 解決策の案出:ブレイン・ストーミングをする。問題を絞り込んだ後は、その問題に対してできるだけ多くの解決策を考えてみる(数の法則)。ばかばかしいと思うものも却下せずに全て書き出すことが大切。落ち込んでいるときや不安になっているときには、よい方法まで切り捨ててしまっていることがあるので。
④ 解決策の決定:解決策の利点と欠点を検討し、実行策を決める。ただし完璧な方策というものは存在しないので、ほどほどによい解決策を模索すべし。 
⑤ 行動計画の立案:解決策の行動計画を立てる。計画は簡単なものから複雑なものへ、やさしいものから難しいものへと進んで行くようにする。うつ状態の時には気持ちが焦っていることが多く、元気だったときを基準にして物事を行おうと考えがち。そのためにどうしても目標を多核設定してしまいやすいので、意識的に目標を低めに設定するように心がける。
⑥ 解決策の実行:行動計画に基づいて実行する。
⑦ 結果の評価:成功すればその行動を続ける、うまくいかないときは必要に応じて②から④のいずれかに戻って同じ手順を繰り返す。計画通りにできなかったからと言って、自分を責めないようにすべし。落ち込んでいるときにはマイナス面ばかりを見てしまいがちなので、自分の予測がどの程度現実的だったかを客観的に評価して、今後の行動に生かしていくことが大切である。

人間関係はストレスの最大原因である
 アメリカの精神科医ホルムスとレイによるストレス評価法(点数);
1.配偶者の死(100)
2.離婚(73)
3.夫婦の別居(65)
4.交流・刑務所入り(63)
5.家族の死(63)
6.けがや病気(53)
7.結婚(50)
8.解雇(47)
9.夫婦関係の和解調停(45)
10.退職(45)
11.家族の病気(44)
12.妊娠(40)
13.性の悩み(39)
14.出産(39)
15.転職(39)
16.経済状態の変化(38)
17.親友の死(37)
18.職場の配転(36)
19.夫婦げんか(35)
20.1万ドル以上の借金(31)
21.担保・貸付金の損失(30)
22.仕事上の責任の変化(29)
23.子どもの独立(29)
24.親戚とのトラブル(29)
25.自分の輝かしい成功(28)
26.配偶者の転職・離職(26)
27.入学・卒業・退学(26)
28.生活の変化(25)
29.習慣の変化(24)
30.上司とのトラブル(23)
31.労働時間・条件の変化(20)
32.転居(20)
33.転校(20)
34.趣味やレジャーの変化(19)
35.宗教活動の変化(19)
36.社会活動の変化(18)
37.1万ドル以下の借金(17)
38.睡眠習慣の変化(16)
39.家族団らんの変化(15)
40.食習慣の変化(15)
41.長期休暇(13)
42.クリスマス(12)
43.軽度な法律違反(11)
・・・良い体験をしたときも人はストレスを感じる。結婚は50で解雇よりもストレス度が高い!

気持ちを伝えるキーワード「みかんていいな」
「み」・・・”み”たこと(客観的事実・状況)
「かん」・・・”かん”じたこと(自分の気持ち)
「てい」・・・”てい”あん(提案)
「いな」・・・”いな”(可否を尋ねて否定された場合の対案)

(例)ある会社員がうつ病で自宅療養に肺って間もなく、様子を尋ねるメールが上司から届いて動揺し、しばらく連絡を取らないで欲しいと頼んだときのメール;
「お気遣いいただきましてありがとうございます。メールの内容を拝見しましたが、私はまだ心身ともに不安定な状態にあります(客観的事実・状況)。そのために、長目の休養が必要で、その間は仕事のことは考えないようにした方がよいと主治医から言われています(客観的事実・状況)。たしかに、仕事のことを考えると気持ちが動揺しますし、体調も悪くなります(自分の気持ち)。少し気持ちが整理できれば自分の方から連絡させていただきますので、それまで待っていただけないでしょうか(提案)。ただ、会社の事情もあると思いますので、どうしても必要なときにはご連絡いただければありがたく思います(対案)。」

■ わかりきったことを質問されると、見下されているような気持ちになってきます。「絶対言うことを聞くものか」という反発心さえわいてきます。


「開き直る心のセラピー」(大野裕著)

2014-04-06 20:29:10 | 
 新講社、2008年発行。

 著者の肩書きは慶応義塾大学保健管理センター教授で、巷では「認知療法」の第一人者とされているそうです。
 手元にある数冊の著書から、取っつきやすそうなものを選んで読んでみました。

 う~ん、ちょっと期待外れかな。
 「開き直る」ことに関して、10ページですみそうな内容を、あれやこれやと膨らませて繰り返し書いているだけ、という印象が拭えず、途中で退屈してしまいました。

 現状を受け入れる、自分の能力を認めて無い物ねだりはしない、それから次を考える・・・まあ、言い回しはいくらでもあります。

 役に立ったことと云えば「人生の目標と生きる意味は違う」という文言でしょうか。
 この二つを一緒にしてしまうといろいろ苦しくなってくるけど、分けて考えられれば穏やかな生活が手に入る、という含蓄のある言葉。
 よくかみしめたいと思います。

 それから「人間はもともとわかり合えないもの」という言葉に目がとまりました。
 村上春樹の初期三部作「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」のどれかに出てきたフレーズと記憶しています。
 村上氏のテーマは当初 detachment であり、そこから生まれた文言です。
 しかし後年、それが attachment に変化してきたことを彼自身認めていますね。
 彼の作品が世界的に受け入れられている理由は、detachment/attachment の過程に共感するからではないでしょうか。

 「わかり合えないから、わかろうと努力を繰り返した方がいい」
 なるほど。

「鬱の力」(五木寛之&香山リカ対談集)

2014-04-06 20:27:06 | 
幻冬舎新書、2008年発行。

言わずと知れたお二人(作家の五木氏、精神科医の香山氏)による対談集です。
前項目と同じくこれも「うつ病」関係の本ですが、必ずしも鬱を否定的に捉えていない題名に惹かれて読んでみました。

五木氏の、
「鬱は力、無気力な人は鬱にならない」
「20世紀後半から21世紀初めにかけて、社会全体の流れが『躁』から『鬱』へ転じてきた」
「鬱の時代には、鬱で生きる」
というとらえ方は医者にはない発想で、斬新に聞こえました。

前半は知的好奇心をくすぐられ面白く読ませていただきましたが、後半は話が一般論化しすぎて焦点がぼけてしまったのが残念です。

メモ
自分自身のための備忘録。

2007年の子どもの「うつ病」有病率
 小学5年生から中学1年生の対面調査(何百人)で、7.4%が精神科医から見るとうつ病という診断に当てはまった。とりわけ中学1年生は10.7%と高率。

うつ病の生涯有病率
 一生のうちに1回うつ病になる率が15%、女性は5人に1人、男性は10人に1人。
 今の精神科医療の世界では、統合失調症の重症例が激減し、代わりに増えているのがうつ病である。特に10代から20代の若い人や子どもの間で、うつ病がものすごく増えている。

うつ病の診断は簡単?
 今の診断基準だと、原因はともあれ2週間鬱状態が続いたら「うつ病」と言わざるを得ない。けれど私は、それをうつ病と言っちゃいけないと思う。「うつ病」と「うつ状態」は分けて考える方がいい。心の健康には、抗うつ剤に頼るよりも、自分の内面に向き合う方が有効な場合もある(香山)。

「うつ」を広辞苑で調べると・・・
 第一義には「草木の茂るさま。物事の盛んなさま」と書いてある。エネルギーと生命力にあふれているにもかかわらず、時代閉塞のなかでそのエネルギーと生命力が発揮できない。そのうちに中で何となくもやもやとしてくる「気のふさぐこと」というのは、あくまでも第二義。
 「鬱蒼たる樹林」というときの鬱は、肯定的な表現であり、だから「無気力な人は鬱にならない」と僕(五木氏)は言っている。エネルギーと生命力がありながら、出口を塞がれていることで中で発酵するものが鬱である。
 鬱の奥には「憂」という、外に向けられるホットな感情と、「愁」という、人間の実存を感じたときに起こる何とも言えないものという、二つの感情があり、要するに人間的だということ。この時代に鬱を感じるということは、その人がとても繊細で、人間的で、優しい人間であることの証拠である。

米国精神医学会の「DSM-」の功罪
 それまで診断基準が世界各国でバラバラだった状態であったが、1980年に発表されたDSM-がグローバリゼーションの役割を果たした。
 DSM-では、鬱の背景を一切問わない。失業して鬱になった人も、脳に問題があって鬱になった人も、貧困などの社会的要因で鬱になった人も、その症状が2週間以上続いていればうつ病ということにするという、非常にシンプルな診断基準になった。
 それまでは重視されてきた病因論的診断から症状だけによる診断へと、あまりにも急速に変わってしまい、精神科医の中でも大きな混乱が起きている。精神科医は今、自分で自分の首を絞めているような状態になっている。

SSRIはドラッグに近い?
 新しい抗うつ剤であるSSRIはドラッグ(麻薬)に近い。それまで主要薬だった三環系抗うつ剤は、例えば今私が飲んでも眠くなったり口が渇くだけで、少しも効かない。ところがSSRIっていう、1990年代後半から世界中で圧倒的にシェアが大きくなった抗うつ剤は、これもアメリカのグローバリゼーション戦略の一つといわれているが、俗称「ハッピー・ドラッグ」といわれるくらいで、元気な人が飲んでもある程度効く。
 この薬が登場したこともあって、精神科の診療現場では「うつ病」と「鬱な気分」を区別しなくてもよくなった。どちらにしても結局、治療法はある種の薬を出すだけでよくて、まったくもって便利になってしまった。

「悲しいときには明るい歌ではなく悲しい歌を聴きたいもんなんだよ」

神のいない日本では、どんなに自分が孤独になっても神だけは見捨てないという、最後のよすがもない。
 欧米における神は「誰が見捨てても愛してくれるもの」という役割があり、ここが決定的に違う。日本には、一神教的な絶対神としての神がいないので、いわば神無き人生を送らなければならない。おそらくキリスト教文化圏の人たちの鬱と、神無き民族にとっての鬱というのは違うような気がする(五木)。

ヨーロッパのエコロジーは人間中心
 キリスト教は根本的に、エコロジーには合わない。自然をどんなふうに開発しようと、草木を切ろうと魚を捕ろうと、生活を豊かにするためには何をしてもいい、というのが基本だから。
 ヨーロッパのエコロジーの考え方は、これ以上木を切ったり、海や大気を汚したりすると、大事な人間の生活まで危うくなるから、もっと制限しようという発想で、あくまで人間が中心である。

日本における鬱の文学の系譜
 夏目漱石は完全に鬱、芥川龍之介も鬱、宮沢賢治だって多少躁の気もあるけど、基本的には鬱の人(五木)。

アメリカは「神の国」である。
 明治以来の西欧理解はひどく偏っている。アメリカがいかに「神の国」で、合衆国憲法とか独立宣言に、どれくらい神という言葉が出てくるか日本人は知っているだろうか。司法・行政・立法の全部にわたって神が関係していて、経済も含め、あらゆる所へ神の影が落ちている国なのに、アメリカというのは物質文明の国だという受け取り方をしてきた経緯は正しい理解とは言えない。