再び緊急事態宣言が発令されました。
以前のような緊張感に乏しいと思っているのは私だけではないでしょう。
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新型コロナウイルスは1年たっても「新型」なのでしょうか(余談ですが昔「ニューミュージック」というジャンルが設けられたときに、「今後新しいものはどう呼ぶのかな」と思った記憶があります。)。確かに1年前はわからないことだらけで、みるみる悪化して死亡するタレントもいたので万全を期さなければならなかった。
しかし、この1年で大分わかったこともあるはずなのに「旧態依然」の対応をしているのはいかがなものでしょうか。そのような気持ちでamzonで上記の本を購入しました。
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WHOも含めて巷では接触感染・飛沫感染ばかり主張されていますが、この広がり方を考えると著者の主張している「空気感染」が一番しっくりきます。感染の仕方に関してはどれも証明されていないので、現状を鑑みて最悪の空気感染を前提に対策を考えることが必要と思います。それはすなわち「防ぎきれない」ということも示しているのではないでしょうか。そのことを誰も言わない、言おうとしない。「国民の命を守りきる」というのはどのレベルを表現しているのでしょうか。「今後一切死亡者を出さない」という決意表明でしょうか。残念ながらそんな病気はひとつもありません。新型コロナウイルスに限っては死亡者を出さないということは果たして現実的でしょうか。どんな病気でもゼロリスクにはなりません。「死亡者を出してもいいのか」という批判を恐れているのかそのことも誰も言わない。連日本日の死亡者数が○○人に増えましたという報道されています。そのうちにこれを「今日の死亡者は○○人に抑えられました。」ととらえられるようになることが必要なのではないでしょうか。この本でも触れていますが、もちろんその死亡者のひとりが私かもしれないし家族かもしれない。しかし「公衆の」「衛生」とはそういうものです。「この人を死なせない」という個々の「治療」とは観点が違うのです。
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「防ぎきれない」感染症に立ち向かうためにいつまでも過剰な防衛をし、全体を萎縮させている構造はおかしい。そういうことを指摘し、国民に過度な不安を与えないようにわかりやすく伝えるのが専門家でありメディアであり、大きな視野でトリアージのような舵を切るのが政治家の役割のはずですが、現状は正直真逆ですね。ワクチンさえ間に合えばという気配もありますが、ワクチンごときだけですぐに抑えこめた感染症は今までありません。
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大げさに言えば死生観のようなものにもつながるかもしれませんが、「正しく恐れる」とはそういうことだと思います。
toko
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