この辺りの田んぼでも、稲刈りが終わりに近づいている。昔はこの時期、農家は老いも若きも一家総出で大忙しだった。今は機械化で稲刈りと脱穀が同時に出来、楽々の作業のように見える。自分の田舎では、田植えと稲刈りのシーズンには一週間くらいの”農繁休校”で学校が休みになった。我が家は専業農家ではなかったので、母が本当に大変だった。よく母の手伝いをした。朝暗いうちに起き、懐中電灯を持って、父を起こさないように母と二人でそっと田んぼに稲こぎに行ったこともあった。今この近所では田んぼで子供が親の手伝いをしているのを見たことがない。機械化でその必要も無くなったということなのだろう。
機械化になっても、手作業で柵に稲を丁寧に掛けて干しているところもある。この光景は懐かしく心に響くものがある。稲を干すあの支柱、柵を何と言ったのか、たしか、稲木と言ったのだと思い出した。今はスチールパイプを使っているようだが、昔は支柱は文字通り木(丸太)を使っていて、横木は主に竹を使っていたように思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/61/2acd4637cdd5c6784e949ed02ca437a7.jpg)
農作業をみると、田舎のことを、子供の頃のことを思い出すが、千葉から栃木に引っ越して、故郷は一層遠いところとなった。故郷は自分にとっては帰りたいところではない。”ふるさとは遠きにありて思うふもの。そして悲しくうたふもの。” その思いが強いが、忘れがたきところでもある。夢の中では、今でも、生まれてから18年間過ごしたあの田舎の家に住んでいることが多いのだ。“故郷忘じがたく候” 司馬遼太郎にそんな題名の作品があったことを思い出した。
機械化になっても、手作業で柵に稲を丁寧に掛けて干しているところもある。この光景は懐かしく心に響くものがある。稲を干すあの支柱、柵を何と言ったのか、たしか、稲木と言ったのだと思い出した。今はスチールパイプを使っているようだが、昔は支柱は文字通り木(丸太)を使っていて、横木は主に竹を使っていたように思う。
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農作業をみると、田舎のことを、子供の頃のことを思い出すが、千葉から栃木に引っ越して、故郷は一層遠いところとなった。故郷は自分にとっては帰りたいところではない。”ふるさとは遠きにありて思うふもの。そして悲しくうたふもの。” その思いが強いが、忘れがたきところでもある。夢の中では、今でも、生まれてから18年間過ごしたあの田舎の家に住んでいることが多いのだ。“故郷忘じがたく候” 司馬遼太郎にそんな題名の作品があったことを思い出した。