セミの季節。セミは南にゆくほど賑やかなようだ。那須ではそれほどではなかった。千葉は那須と比べるはるかに賑やかだ。我が故郷の四国はもっと賑やかだった。故郷の町は山に囲まれた盆地。千葉よりもセミの声はもっと賑やかだったと思うが、一山超えて海側に出るとそこはみかん畑、タイゼミが鈴なり、と言った感じでそれはそれはすごいセミの声。
セミの季節になると長い竹の先に網をつけたのを持ってよくセミを捉えていた。夏の盛りに一番多いのはアブラゼミ。ミンミンゼミやタイゼミ(本当の名前はクマゼミ?)は家の周りではそんなに多くなかった。ミンミンゼミやタイゼミが庭で鳴き始めるのを耳にすると網を持って家から飛び出す。自分は木登りが得意。『木登り名人』などと言われて得意になっていた。タイゼミだったかアブラゼミだったか忘れたが築山の高い木の上で鳴いているのを狙って木に登った。セミが逃げないようにそろりそろりと。竹の先につけた網をに右手に持って。もう少しで届くところで、左手を伸ばして枝をつかんだ。セミしっかり眺めていたので掴んだ枝が枯れ枝と気が付かなかった。
体は左に傾き背中から下に落ちた。どのくらいの高さだったろうか。10メーター近くはあったのではないだろうか。下は幸いに池。その辺りは水は浅かったが、底はレンコンを植えていたこともあったような柔らかい土。その中に体はめり込んだ。何秒間だったろうか、しばらく息ができなかった。息ができるようになって大きな声で泣いた。母が来てくれた。ドブにめり込んでいたので全身真っ黒けだったようだ。家の前の川に連れられて行って、母は体を洗ってくれた。綺麗になった。それで終わり。すぐ横の大きな庭石に当たらなくてよかった。
あれは何歳の頃だったろう。戦争は終わっていたので小学校の1年か2年の頃だったように思う。
木登り得意で、木によく登って遊んだが。落ちたのはそれ一回だけだったと思う。屋根の上にもよく登った。あれは今思うととても危険だったのではないかと思う。大きな屋根で急勾配。親父に見つかると怒鳴られた。
大人になってからも、前に住んでいた家の庭、そして那須でも木の剪定、果樹の収穫でなんども木に登った。一度だけ落ちた。梅の木から。下が刈り込んだサツキで無事。会社の先輩で脚立から落ちて背中を打って一月以上入院した人がいたけどまあ自分は幸運だった。
もう歳なんだから馬鹿な真似はやめよう。先日も妹の亭主が入院している病院に行って医者の話を聞いたけど、歳をとると壁にちょっと頭をぶつけるだけで血管が切れることがあるそうだ。若い時わなんでもないことでも年寄りは大事に至ることがある。気をつけなくてはね。
猿も木から落ちるというけど、故郷の家にはサルスベリの大きな木があった。だけどそんなに登りにくい木ではなかった。