謎の円盤UFO SID;白い便所興梠(べんじょコオロギ)

2021-11-25 22:24:47 | 映像/映画

Uさん、こんばんは。

久しぶりのUFO(SHADO)ネタです。

 

※実は、このネタ、8割書きかけたところで、投稿内容を誤って一瞬で消してしまっています。結構うまくまとまっていたので、(このアクシデントで)投稿への気持ちが萎えてしまい、本当は筆が進まないのですが、何としても取り上げたいネタなので、押して書いてみます。うまく行くかな。

 

今回取り上げるのは、SID(Space Intruder Detector;シド)です。

SIDは、読んで字のごとく、宇宙空間でUFOを探知するためのスーパーコンピュータ(人工知能)を搭載した人工衛星です。

言ってみれば、映画2001年(2010年)のディスカバリー号に搭載されたHAL9000が、外装を纏って単体で宇宙空間に浮かんでいるようなものです。

 

SIDは、地球を中心にしてムーンベースがある月の丁度反対側に投入されています。

広い宇宙で、どこからともなくやってくるUFOを広範囲かつ迅速に探知するため、ムーンベースは、地球の半面、SIDはもう一つの半面と、監視体制における役割分担をしているという設定です。

 

そして、SIDが実際にUFOを探知すると、その位置・速度・方向・数を捕捉して、迎撃の位置、ミサイルの発射タイミングをムーンベースに知らせます。

電子データも送信しますが、いちいち、おっさんの声でムーンベースの隊員に知らせるという具合です。注意喚起しているのでしょうか。

 

そして、指揮官たる人物(初期はエリス中尉)が、これまた肉声で、UFO迎撃に向かう小型攻撃宇宙船インターセプターに、攻撃ポイント・タイミングを伝えるという段取りです。

なぜ、こんな手順になっているかというと、UFOがものすごい高速度(どうやら光速らしい)で飛来するからなのだそうです。だから、予め攻撃のためのデータを計算して、作戦準備する必要があるらしいのです。ですけれど、肉声ってどうなの、先進的なのか、古色蒼然としているのか分かりません。

 

それで、案の定というか、エリス中尉が肉声でのデータ伝達の際、数値の誤読なにかで伝達誤りを起こしてしまい、その結果、インターセプターがUFOに攻撃されパイロットが死亡、UFOの大気圏内侵入を許すという事件が発生します。

 

エリス中尉は、この責任をとって、ムーンベース勤務を解任されそうにになります。”中尉”なのに、”注意不足”だということで(このあと直ぐに挽回して、解任が撤回されることに)。

 

それならSIDから直接インターセプターにデータを送ればよいと思います。

そして、インターセプターにAIを搭載して攻撃のタイミングは、自動で判断すればよいのです。

乗員も必要ないですね、全部機械仕掛けにすればよいと思うのですが、そうすると人間でなくスーパーマリオネットで良くなってしまうということで、サンダーバードに逆戻りです。これではいけません。

 

話を戻せば根源的な問題があり、光速で飛来して来たものをこの位置で把握したら、どんな手を打っても、そもそもほぼ迎撃は不可能です。

そして月からほんの一秒足らずで地球にUFOは着いてしまうのですから、もっと離れた位置から対応する必要があるんじゃないの思ってしまいます。

 

そうすると、月面基地ではなくて、火星か木星とか土星の衛星に、前衛基地を設ける必要がありますね。あの時代では、知見が不足していて、設定を構成するのは無理でしょうね。

 

仮に、あちらこちらの惑星や衛星に基地を設けることが出来、太陽系全体に探査網を構築出来たとしても、今度は探知範囲がものすごく広くなりますから、SIDも沢山必要です。

ところが、こうなると場合によっては両者が遠隔過ぎて、前進基地(探査機)と、命令指示をする基地との通信に時間が掛かるようになり、UFOを探知できても対応が間に合わなくなります。結局、AIに攻撃能力を持たせて、自律的防衛機構を構築する必要があるなぁとか余計なことをどんどん考えてしまいます。

 

兎に角、高速のUFOに対峙するための防衛の要がSIDです。

これに気が付いた宇宙人がSIDを攻撃するというエピソードがあります。

 

アンパンマンの攻撃の要は実はジャムおじさんで、これに気が付いたバイキンマンがジャムおじさんを叩く、という構図に似ています。

宇宙人もなかなか良いところをついていますね。

 

バイキンマンが駄目なのは、ジャムおじさんを攻撃したのが一度キリというところです。

成功するまで、毎回ジャムおじさんを叩くべきです。

 

それかバタコさんを誘拐してどこかに連れ去ってしまえばよいのです。

とことんやれば間違いなく上手く行っていたというのに。

 

また、話がずれました。

 

で結局のところ、SIDって何よってな話ですが。

宇宙空間に浮かぶ、カマドウマ(便所興梠)です。

 

 

造形が今一つです。丸い前頂部に、目玉のようなものが付いています。

キャノピー(操縦窓)なのか、レーダーなのか、とにかくこれがお目目のように見えます。

 

色々な形のアンテナがあちこちについています。

後ろにあるものは太陽光パネルでしょうか。羽にしか見えません。

 

ここからのアングルだと、前頭部はしゃれこうべのようだなぁ。

そしてかなり地球に近い位置に浮かんでいます。もう少し地球から離れていてもいいんじゃないでしょうか。

 

宇宙空間に一人っきり。AIも寂しいのかな。

サンダーバード5号の搭乗員は、1~3か月おきの交代だったそうです。

 

以上、落ち着いた男性の声がダンディなSIDについてでした。

 

では、ごきげんよう。

さようなら。


一番好きなデジタルカメラ~Nikon COOLPIX5000(E5000)

2021-11-24 21:10:14 | 写真撮影/撮影機材

Uさん、こんばんは。

写真関連の投稿が多くなってきています。

趣味の話を取り上げるのが、一番無難ですからね。

 

本当は仕事や専門性のある分野のことを取り上げて行きたいのですが、現状取り立てて記事にするほどのモノがありません。ただの事務職員ですから。

もう少し今やっていることを続けて軌道に載せ、それなりの経験を積むことが出来たときに、記事として投稿し、皆さんに還元していきたいと思っています。

 

さて、今回のテーマです。

結論から言いますと、それは、Nikonのコンパクトデジタルカメラ、COOLPIX 5000(E5000)です。

 

Nikonのデジタルカメラ聡明期に、スイベル式のCOOLPIX 950(E950)という上級機がありました(デジタル一眼レフではありません。今日的な括りでは、コンパクトデジタルカメラに位置付けられます)。

スイベル(スイバル)式というのは、簡単に言いますと筐体が2体の組み合わせで出来ていて、接合部分を軸に片方を折り曲げて操作部とし、もう片方は水平にして、撮影対象に向けるレンズ部にするという機構を持ったものです。

 

COOLPIX 950は、ニコンの中級機以上の高品質感と性能、そしてそのイメージを継承したコンパクトデジタルカメラの高級機種でして、その当時の代表的な機種の一つです。その後、ニコンはスイベル式の後継機;990を出しますが、この形式での開発は次の995で終わりました。

 

COOLPIX 5000は、その後に発売された、通常の形態をした高級コンパクトデジタルカメラです。

その特徴は、自分の視点で言いますと、500万画素になった少し大き目のCCDサイズ(2/3型)と補色系フィルターによる、独自の色合いを持った高精細な画像が得られることです。

他にも、バリアングルモニターの採用、35ミリ版換算での28mmスタートの広角ニッコールレンズの搭載などがありました。

 

兎に角、補色系フィルターというのは、ともすると色転びが甚だしく、とんでもなく突飛な色合いになることが多いのです。

が、E5000は、嵌ると高精細で立体的な素晴らしい絵を出してくれました。

色合いが地味っぽくなりがちな補色系フィルターの欠点をかわすべく、RAW撮影も出来るのですが、自分は敢えてjPEGのまま撮影し、微妙な色合いも受け入れました。これはE5000で撮影している証だからです。

 

しかしながら、動作の鈍重さは如何ともし難く、中古でもう一台購入して、2台同時使用でレスポンスの遅さを回避しようと試みましたが、結局は2台とも手放してしまいました。

あれから、暫くCCD時代は続きますが、補色系フィルターを採用したカメラは販売されていないため、時代のあだ花的なところはあったのでしょうね。

光量の少ない曇りの日や夕刻が近づくと、E5000の色合いが暴れ出しますが、十分な光があるところでは、自分にとってはとても良い描写となります。

 

E5000は沖縄旅行に連れて行きました。

一昨年、灰燼に帰してしまった首里城正殿の貴重な写真もこのカメラで撮影しています。

太陽光溢れる南国の沖縄では、E5000の活躍は素晴らしかったのです。

 

E5000が旅立ったとき、所有していた記念に、同梱されていたコンパクトフラッシュを一つ手元に残しました。

容量はたった32MBしかありません。Nikonの銘がある正規品です。

 

一応、CFが使えるCanon EOS-1DMK4がありますけれど、実用には全く耐えない容量です。

E5000というお気に入りのカメラがあったという思い出、記念品としてこれからも手元に置いておきます。

 

あっ、もう一つE5000について。

そのツラ構えについてですが、フラッシュ周りの逆おにぎり型(ゆるいダイヤモンドともいえる)の縁取り(造形)は、かっこ悪くて嫌いでした。

発売された当初は、通常ではない筐体の縦横比とデザイン性の悪さもあって、嫌いな方のカメラでしたね。

どうしてE900系の素晴らしいデザインを出したニコンが、こんな醜悪なデザインのカメラを出したのか不思議に思っていました。

 

そうしたら20年振りぐらいに、Z5~Z7シリーズでニコンは再びやらかした感があります。

ふう。言いたいことは言いましたので、これでお開きとしましょう。

 

では、失礼いたします。

ごきげんよう。

さようなら。

 


枝野氏と敗戦した党との関係

2021-11-23 22:50:06 | 時事

Uさん、こんばんは。

先の衆議院選挙で、他の野党との共闘を旗印に戦った立憲民主党ですが、予想以上に自党の議席を減らしました。

そして党の代表枝野氏は、当初のその釈明に追われていたわけですが、結局、選挙戦敗北の責任を取って、選挙の数日後に党の代表の辞任を表明し、実際にその座から降りています。

 

民進党と希望の党の合流騒ぎから生じた混乱の中で、枝野氏が”個人商店”としてスタートした立憲民主党です。

 

烏合の衆たる多くの元同志達、多勢の動きに反旗を翻し、一人立ち上がった枝野氏の党への世評の評判が高まると、それ、勝ち馬に乗れとばかり、旧民進党や希望の党等の残党が、小さくてまだ幼かった立憲民主党に押し寄せます。

忽ち、100人を超える大所帯の政党に急成長します。

 

そうして、政党の政策を置き去りにしたまま、つまり右や左の意見をつめ切らないまま、数は力とばかり、党員拡大を是として政党活動がスタートします。

寄り合い所帯の異夢同床、とまれ呉越同舟、肝心の党の方針がぶれたまま、では何を以て求心力・政策の要としたと言いますと、結局のところ、時の政権の与党たる”自民党”に対する政策・政権運営批判の一本打法です。常に立憲民主党は、政権交代を軸として国会で時の自民党政権と対峙してきました。

 

確かに、安倍政権には後ろ指差されても仕方がないような、後ろめたいことも沢山しています。

それに対する擁護は一切するつもりはありませんが、立憲民主党は、常に批判の一本槍に映り、政府の方針が変わればそれに応じて、立憲民主党の立ち位置(主張)もするりするりと変えてきました。批判のための批判。民主党時代と変わらぬ顔ぶれ、変わらぬ思想・発想。それらは一度、国民から否定されたはずなのに。

 

危ない橋を渡っているな、個人的にはそう感じてきました。

それは時折、ニュースになる各政党の支持率で、立憲民主党の支持率が一向に上がらなかったことで次第に確信に変わっていきました。

 

見掛けの党勢拡大に驕りを感じ、枝野商店の手作り看板が色褪せて見えました。

誰のための党改革、誰のための新党立ち上げだったのだろうか。

国民のためではなく、取り巻きの代議士・議員の保身のため?

 

党を守る=自分の党首という立場を守るという、全てが守勢に回ってからはもう駄目ですね

周りの意見に左右されてしまうのですから。右側に右耳を傾け、左側に左耳を傾け、どっちに向いたら良いのやら。

 

で、

特に、左側の方の人たちは注意です。あの人たちは隙あらば機に乗じて数の力ですぐに組織を乗っ取ろうとしますから。

組織から輩出した人間というのはどこまで行っても組織を使って自己の勢力を(秘密裏に)拡大しようとする姑息さがあります。

意外と狡猾なんです。

 

だから、自分が思うに、今回の失策は枝野氏にもし責任があるのというのなら、共闘を強く勧めた取り巻きにも重大な責任があると思います。

むしろその方が大きい。調整が出来ずに流された党首にも問題はありますが、左傾を画策した議員も同罪です。

陰に隠れて冷や汗をかいているのではあるまいか。

 

元々、枝野氏はどちらかというと、右寄りの中道です。だから今回の共闘は可笑しいなと思っていました。

そして、枝野氏は野党共闘について問われると、常に曖昧な答えに終始し、東京8区の騒動では調整役としての能力の限界を晒してしまったし、敗戦の将は語るでは、当初は強弁でその場を切り抜けようとしていました。

 

でも、自分に思うに枝野氏は立憲民主党内の左派のマリオネットになってしまっていたんだと考えています。

汗を拭き拭き、あんな弱気な枝野氏は見たことがありません。

 

でもね、恐らく彼にとっては野党共闘は最後の賭けだったんです。巨大与党を倒すには、この手を使ってみるしかなかった。

強力な副作用を持った禁断の劇薬なんですけれど、その効き目に掛けてみるしかなかった。

 

悩みに悩んだんでしょうね

菅首相のままならこの劇薬は使わなかったでしょうけれど、岸田首相の誕生で目論見が狂ってしまった。

戦いの先が読めない短期決戦で、”乾坤一擲”の野党共闘(共産党共闘)が、思わぬ結果を招いてしまった。

 

そしてこの機に党勢を拡大しようと試みた枝野氏は、自らが潰れてしまって将来を失った可哀そうな福耳の布袋様となりました。

 

ええ、上手くまとめられませんでした。

では、ごきげんよう。

さようなら。


正しさを開き直らないこと~衆院選敗北の共産党

2021-11-22 21:04:02 | 時事

Uさん、こんばんは。

 

先の衆議院選挙では、立憲民主党と共闘し、自らは改選前議席を割った日本共産党です。

選挙後の会見で、志位委員長は”考え方は間違っていないので、責任問題にはならない”といった旨の発言をしました。

 

そうですかね。

政策、党の主張を一種懸命訴えて、それが国民に受け入れられずに、選挙に敗北した、議席を減らしたということです。

”党の方針が正確だった”って、時計じゃあるまいし、”正確”って一体何でしょう。何と対比しての正確なのか分かりませんが、少し譲って”党の方針は正当でかつそれに確信を持っている”という意味でしょうか。

 

そうしますと、それを受け入れなかった国民は”不当で、確たる義も持っていない愚かな衆盲ということでしょうか”

やはり、(自民党とは少し意味もありますが)高いところから我々をみているというところでは同じです。

 

常識的には、通常の感覚では引責すべきところです。

だって国民のためと思って政策を掲げて戦って、それが受け入れられず党勢を減じたのだから。

明らかに方針が間違っていました。そしてその方針を最終的に決定した、組織のトップには責任があります。

 

会社ならば。

経営方針を立てました。それに基づいて商品を開発しました。プロに頼んでコピーを作り高額なCMを打ちました。

市場に打って出ます。全く売れませんでした。大赤字となります。 

曰く....会社の考え方は間違っていない(社長談)。

株式会社では、株主総会で、叩かれて直ちに社長は辞任です。

 

国民の常識的な意識というのは、そういうものです。

つまり因果関係が明確であるならば、それを前提に是非を決める。

 

言い訳が見苦志位、考え方がおか志位、不遜な態度が厚かま志位。

国民はそう感じています。禅譲のない全体主義的傾向に国民は根底では恐怖を感じています。

 

そういえば、共産党の執行部って、志位委員長と小池書記局長、市田副委員長ぐらいしか知りません。

党の顔たる、役員がまるで誰なのか分からない。大変な中央集権になっているような感じを受けます。

 

だらしのない他党に比べて襟を正した良いところも沢山あり、正しいこと、正しい主張も沢山しているのに、肝心の党運営に関すること、自分たちの地位に関することになると、忽ち当事者性を失ってしまう。

 

これでは党勢を拡大することは将来に渡って絶対に無理です。

国民が望んでいるのは、何よりもその透明性・公明性ですから。

 

時事問題は堅苦しくなりますね。こんな話題好きですか。どうでしょう。

 

では、これで失礼します。

ごきげんよう。

さようなら。


写欲を引き起こすものでなくては

2021-11-21 21:08:13 | 写真撮影/撮影機材

Uさん、こんばんは。

 

「キヤノン機のシャッターフィーリング」に関連した投稿です。

一昨日、カメラ全般のシャッターフィーリングについて言及しようとしたところ、最初にキヤノン機のことに触れてしまったので、そのままこのメーカーについてのお話になってしまいました。

 

が、自分が言いたかったのは、特定のメーカーについての事ではなく、写真機という一種の道具における、操作官能性についてでした。

 

写真機というのは、実際に人が手に取り、接眼レンズを覗き、対物レンズを繰り出しで焦点を合わせ、各種の機能ボタンを押下・動作させることで、そのイメージが撮像素子に結像され機械内部の保存機構に記録されます。

 

そして写真機のこの道具性;人が手に取り・操作したときの感覚、すなわち、可動部の動きが滑らかだったり、グリップがすっと手に馴染んだり、ファインダーが広く明るくて見やすいなど、感覚・感性に響くようなモノとしての作りこみの良さは実に大切なことだと考えています。

 

外見・すなわち意匠も同様であり、人の心に訴えかけるような美的感覚も重要です。

 

大枚をはたいて買ったカメラが押すと凹むようなペラペラとした貧相な外装で、直ぐに塗装が剝げ落ち、ボタンが取れたり外れたり、シャッターを押すと、ガシャンという大きな安っぽい音、手の平にダイレクトに帰ってくる衝撃。レンズの焦点合わせのリングがゾリゾリと摩擦があって、除き窓は狭くて暗く、対象に焦点を合わせにくい....外見は縦横のバランスが取れておらず、奇抜な色合いで塗装されているどうしようもないカメラ・レンズだけど、撮れる写真はそれなりに素晴らしい。

 

そんなカメラ、進んで使いたいと思う人は少ないでしょう。余程の銘柄でなくては高額な製品がこれで許されることは少ないと思います。

 

肝心の絵が良くても、他のことが気になって、どうにも写欲がなかなか起こらないかもしれません。

 

人が道具として使う以上、物としての上質さ、手に取ったときの印象・手から伝わる感覚・目から得られる情報が、すなわちカメラを操作することから得られるフィーリングが、写真撮影においては併せて大事な要素であり、このことで良い写真を撮ろうという意欲が一層喚起されると自分は考えています。

 

そして決定的な場面で操作を行う、事を決するときに使用するシャッターボタンのレリーズ感覚、シャッター機構の動作音・ショック、ファインダーの見え具合は、とりわけ大事な要素ととらえています。

 

話が随分戻りますが、あの投稿の冒頭で書いた、”自分の意見は異なる”というのは、絵が良ければシャッター音やショックはそれほど論議にならない、大した問題ではない、と切り捨ててしまえないものはやはりある、ということなのです。

 

それらは大事ですよ。それらの事柄を気にしている人はそれなりにいます、ということに言及したかったということなのです。

 

だから掲示板でシャッター音が不満ということについて書き込み、追従した他の投稿者からけんもほろろ、皆から袖にされ、意見が一蹴されても悲しまないでで良いと思います。

 

市井には、この感覚を大事しているアマチュアカメラマンが沢山います。

 

自分などは、フィルム時代から写真撮影を行っている古い人間で、更新の激しいデジタル機器に対する向き合い方としては、時代遅れの感覚なのかもしれませんが、これからもこの気持ちを大切にしたいと思います。

 

※ですが実際のところ、自分もシャッターフィールも悪く、筐体の仕上げも安っぽく、ファインダーも見ずらいカメラを何台も持っています。優柔不断でしっかりした判断が出来ないまま入手し、何となく手放せずにいるカメラ達です。現実には、思うような機種はなかなか手に入れられませんね。

 

では、これで失礼します。

ごきげんよう。

さようなら。