21世紀 脱原発 市民ウォーク in 滋賀

<脱原発 市民ウォーク in 滋賀> の 活動報告、お知らせなど を掲載 ♪
ときどき、トピックも ~☆

脱原発 市民ウォーク in 滋賀 11月の予定

2022-09-18 21:28:57 | 記事
◆ 第108回 脱原発 市民ウォーク in 滋賀 ◆

40年超えの老朽原発再稼働の日本初の実績作りのため、2カ月半も前倒しで
8月10日に再稼働するはずの老朽原発・美浜3号機では、
放射性物質を含む水7トンが漏洩していることが発覚し、
その後もいろいろトラブル発生して、8月30日に前日発表で関電は
無理やり再稼働させています。

大阪地裁仮処分も間もなく出され、司法の力でも再稼働は止められます。
老朽原発は廃炉しかない!

老朽原発の再稼働止めて、若狭から日本から世界から原発をなくしましょう!

1450万人の近畿の水源=びわ湖と私たちの未来=子どもたち孫たちを守りましょう!
ご一緒に歩きましょう! 参加無料! 予約不要! 

<とき・ところ> 
2022年 11月19日(土)13:30  JR・京阪膳所駅前集合  

★コース = ときめき坂 ~ 元西武大津ショッピングセンター前 ~ 関電滋賀支社前~
       ~ びわ湖畔

☆主 催=21世紀 脱原発市民ウォーク in 滋賀 実行委員会
☆呼びかけ人・・・池田進(原発を知る滋賀連絡会 電話077-522-5415)
         岡田 啓子(ふぇみん@滋賀 電話077-524-5743)
         稲村 守(9条ネット・滋賀 電話080-5713-8629)


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<10月の予定>

10月15日(土)15:30~16:30まで、さいなら原発・びわこネットワーク主催の
井戸謙一弁護士講演会が、大津市におの浜の解放県民センターで開かれます。
内容は大阪地裁の老朽原発・美浜3号機の運転禁止仮処分決定についてです。
講演終了後、16:45~会場前出発で関電滋賀支社経由、oh!meないしは膳所駅までの
デモ行進がおこなわれますので、そこに10月は皆さんで結集参加したいと存じます。

■■ トピックス ■■

<8.10(水)老朽原発・美浜3号再稼働阻止!現地緊急行動>

本年8月10日に関電は予定を2カ月半前倒しして老朽原発・美浜3号機を
再稼働すべしだったが、8月1日に放射能汚染水漏れ事故、
その後もトラブル発生で、8月10日の再稼働は延期。
しかし、私たちは抗議行動を実施した。


美浜原発ゲート前をデモ(写真中央に3号機が見える。左は原発PR館)8月10日



原子力事業本部前(福井県美浜町)で抗議行動 8月10日


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「脱原発 市民ウォーク in 滋賀」 チラシのダウンロードは ⇒ コチラ

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株主代表訴訟で 東京地裁が 福島原発事故は不作為による「人災」 と判断

2022-09-11 19:26:37 | 記事

《 第107回脱原発市民ウォーク in 滋賀のご案内 》

ようやく暑さが和らぎ過ごしやすい季節になりました。
コロナ禍は依然として続いていますが、次回の脱原発市民ウォークを
9月17日(土)におこないます。どなたでも自由に参加できます。
都合のつく方はぜひ足をお運びください。
★午後1時半JR膳所駅前広場に集合★


■■ 株主代表訴訟で東京地裁が福島原発事故は不作為による「人災」と判断 ■■
■■■ 東電元会長らに13兆円の賠償命令 ■■
■■■■ 問われる国の責任 ■■


みなさんもご存知のように、去る7月13日、東電福島第一原発の事故をめぐり、東電の株主48人が「津波対策を怠り、会社に巨額の被害を与えた」として事故当時の経営陣5人に対して22兆円を賠償するよう求めていた株主代表訴訟の判決が東京地裁で下されました。東京地裁(朝倉佳秀裁判長)は、巨大津波を予見することができたにもかかわらず「対策」を先送りして事故を招いたと認定し、取締役としての注意義務を怠ったとして、勝俣恒久元会長ら4人に計13兆円を支払うよう命じました。

旧経営陣の責任を巡る訴訟としては、この株主代表訴訟の他に、勝俣恒久元会長ら3人を業務上過失致死罪により強制起訴した刑事裁判がありますが(検察庁が起訴しなかったために検察審査会の決定を経て起訴されましたが、一審では3人は無罪とされています)、原発事故で経営者の責任を明確に認めた裁判はこれが初めてです。株主代表訴訟における東京地裁の審理は実に9年余にわたりました。

この巨額の前代未聞の賠償額は個人で支払うことができるような額でないことは明らかですが、裁判の目的は賠償そのものよりも福島第一原発事故の責任の所在を明らかにすることであったと考えられます。その意味では旧経営陣に事故の責任があっとする明確な判断を下したこのたびの東京地裁の判決は非常な意義を有するものであると言えるでしょう。

また、この株主代表訴訟の判決の意義はそれだけではなく、後に述べるように、旧経営陣の責任の有無を判断する過程において、福島第一原発の事故は、事故が予見可能であったにもかかわらず何も対策を講じなかった旧経営陣の怠慢により起きたものであること、すなわち旧経営陣の不作為による「人災」であることを明確に認めたことです。これまで福島原発事故に関して様々な訴訟が行われていますが、福島第一原発の事故が事業者の不作為による「人災」であるとする明確な判断が下されたことはありませんでした。この意味からもこのたびの判決は極めて重要な意味を持つものであるといえます。

【株主代表訴訟の意味、原発事故賠償責任の法的枠組みについて】

この訴えを起こしたのは東京電力の株主たちであり、福島第一原発の事故により東電が負担することになった様々な費用に関して、その費用を会社が負担して終わりにするのではなく、当時の経営陣が個人として賠償することを株主として求めるというのが今回の裁判の内容です。株主が会社に代わって裁判を起こして会社に対して賠償するよう求めるという形をとった裁判であるため「株主代表訴訟」と称されます。
 
原発の事故に関しては、「原子力損害賠償法」(原賠法)により法的規定が設けられており、原発事故が起きた場合は、その事業者(電力会社)が損害を受けた人に対して賠償責任を負うと定められていますが、経営陣は個人として責任を負わないものとされています。このため、これまでに行われている損害賠償請求の民事訴訟では、事故当時の経営陣の責任について司法は判断を下していませんでした。また、7月の脱原発市民ウォークの案内に掲載した一文にも記しましたように(福島第一原発の事故は ほんとうに 防げなかったのか? - 21世紀 脱原発 市民ウォーク in 滋賀 (goo.ne.jp))、去る6月17日に、国の責任を問い、国に対して損害を賠償することを内容とする被災者による集団訴訟に対して、最高裁は国に賠償責任はないとする判決を下しましたが、当時の経営陣の賠償責任については何も判断を下していませんでした。したがって、このたびの裁判は事故に関する経営陣の賠償責任を問うた初の裁判ということになります。

上記のように「原子力損害賠償法」では経営陣は損害を被った人に対して賠償責任を負わないとされています。しかしながら、別の法律、すなわち「会社法」の規定では、経営陣が職務を怠って会社に損害を負わせた場合は、経営陣は会社に対して賠償責任を負うものとされており、会社が賠償を求めない場合は株主が裁判を起こすことができるとされています。このたびの裁判は東京電力(会社)が当時の経営陣に賠償請求を行わなかったために、株主たちが上記のような「会社法」という法的仕組みを使って起こした裁判ということになります

【判決内容】

判決書は非常に長文のものであり、その骨子を7月14日付けの朝日新聞から引用しておきます。判決文の要旨が福島民報のサイト(東京電力株主代表訴訟の東京地裁判決(13日)要旨 | 福島民報 (minpo.jp))に掲載されていますので、関心のある方はご覧になってください。

判決の骨子
・原子力事業者には事故を万が一にも防ぐ社会的義務がある。
・国の地震予測「長期評価」には信頼性があり、巨大津波は予見できた
・武藤氏(事故当時の副社長)は津波対策を不合理に先送りし、武黒氏(事故当時の副社長)はそれを是認した。
・勝俣(事故当時の会長)、清水(事故当時の社長)両氏は武藤氏らの判断が妥当なのかの確認を行った。
・浸水対策(注1)で原発事故は回避できた。
・東電の損害は廃炉、被害者への賠償、除染、中間貯蔵対策で、計13兆3210億円(勝俣恒久元会長ら4人が連帯して支払うよう命じた:注2参照)。

(注1:非常用電源など、原発の重要施設に海水が浸水するのを防ぐための対策)
(注2:東電が被った損害とされた約13兆円の内訳は、廃炉のための費用約1兆6千億円、被災者への賠償が約7兆1千億円、除染・中間貯蔵対策が約4兆6千億円とされています)

判決はまず「ひとたび事故が起きれば、国土の広範な地域、国民全体に甚大な損害を及ぼし、我が国そのものの崩壊につながりかねない」と原発事故の特殊性を指摘し、原子力事業者には「最新の知見に基づき、万が一にも事故を防止すべき社会的責任・公益的義務がある」と明示しており、次いで重大な事故を起こさないように求められているにもかかわらず、経営陣は安全意識と責任感に欠けていたと指摘しています。すなわち、この判決は、事故の最大の原因は危機意識を著しく欠いていた経営陣の怠慢にあったことを意味しています。

この裁判における中心的な争点は、津波を巡る判断でした。すなわち、「巨大津波は予見可能であったか」「津波対策を講じていれば事故を防ぐことができたか」ということでした。

この判決の内容は一言でいえば、「2002年に政府の地震調査研究推進本部が公表した地震予測の《長期評価》には科学的信頼性が認められ、そのため巨大津波は予見可能であったと考えられる」「このため主要な施設・設備に津波対策を講じていれば、重大事故が回避できた可能性は十分に存在していた」「したがって津波対策を講じなかった経営陣に賠償責任がある」とするものです。すなわち、この判決は、福島第一原発の事故は経営陣が適切な判断を下さず、必要な対策を講じなかったことにより引き起こされた、防ぐことができた「人災」であると判断したことを意味しているものであるということができます。これまで福島第一原発の事故に関して様々な訴訟が起こされていますが、福島第一原発の事故は人災であるとする判断が下された例はありませんでした。先にも述べたように、この意味において、このたびの株主代表訴訟における東京地裁の判断は画期的なものであると言えます。

【裁判により異なる津波をめぐる判断】

このたびの東京地裁による判決は、前述の去る6月17日に最高裁が下した国による賠償を求めた4件の集団民事訴訟において「国に賠償責任はない」とした判決とその内容を大きく異にするものです。すなわち、巨大津波の予見可能性と事故を防ぐことができた可能性という点に関する裁判所の判断は、正反対とも言うべきものです。また、このたびの株主代表訴訟における判決は東電の元役員たちの刑事責任(業務上過失致死罪)を問うた刑事裁判における元役員たちは無罪とした判決(2019年9月19日、東京地裁)の内容とも異なっています。

これらの三つの裁判の判決内容が異なっているのは、津波をめぐる判断が異なっていることによるものです。どのように異なっているか、刑事裁判・一審判決(東京地裁)、避難者訴訟・最高裁判決、株主代表訴訟・東京地裁判決における津波に関する判断を以下に示します。




▼注1「刑事裁判一審判決」:東京電力の旧経営陣3人が福島第一原発の事故を防げなかったとして、検察審査会の議決によって業務上過失致死罪で強制的に起訴された裁判。2019年9月19日に1審の東京地裁は3人全員に無罪を言い渡し、その後、検察官役の指定弁護士が控訴しています。控訴審の判決は今年の12月か来年1月ごろと予想されます)
▼注2「避難者訴訟・最高裁判決」:国による賠償を求めた四つの集団訴訟に関する2022年6月17日の、「国に賠償責任はない」とした最高裁判決。
▼注3:国の「長期評価」に基づいて東電が社内で2008年に試算した結果、津波は敷地南部で15.7メートルに達すると予測されました。実際には、事故時に津波は14~15メートルに達していたとされています。なお、事故以前、東電は、土木学会の津波の評価指針に基づいて津波の高さを想定し、福島第1原発に到達する波の高さを5.7メートルとして原発を設計していたとされています)


2002年に政府の地震調査研究推進本部が公表した、巨大津波を伴う地震の可能性を指摘した「長期評価」について、刑事裁判では専門家の意見が分かれていたことなどを理由にその信頼性が否定されましたが、今回の判決では、「長期評価」は「公的な機関や会議体で、相当数の専門家によってとりまとめられた」ものでありとして科学的信頼性があるものと認定しました。

津波対策により事故を防ぐことができたかという点に関しても、上記のように裁判により異なる判断が下されています。避難者による集団訴訟に関する去る6月の最高裁判決では「実際の津波は長期評価に基づく想定よりもはるかに規模が大きく、国が対策を義務づけていたとしても事故は防げなかった」とする判断を下しました。原告側の「原子炉建屋に浸水防止の対策を講じていれば事故には至らなかった」とする主張に対しては、「事故前は防潮堤設置が中心的対策であり浸水防止対策という発想は一般的でなかった」として退けていました(しかし、最高裁が判決を下した際、裁判官の一人は「真摯な検討を行っていれば事故を回避できた可能性が高い」と反対意見を表明していました)。

一方、今回の判決では、日本原子力発電の東海第二原発が茨城県による津波予測に基づき実際に浸水対策を講じていたことなどを挙げ、経営陣から指示があれば担当部署は「浸水対策を発想することは十分に可能であった」としています(「事故はほんとうに防げなかったのか?」と題した脱原発市民ウォークの7月の案内に掲載した一文において記しておきましたが、東海第二原発はこの浸水対策を講じていたことにより電源を確保することができ、大事故を免れています)。

【経営者の責任についての株主代表訴訟における東京地裁の判断の内容】

このたびの裁判において、東京地裁はまず、国の機関である「地震調査研究推進本部」が公表した「福島沖を含む日本海溝沿いの領域では、どこでもマグニチュード8クラスの地震が30年以内に20%程度の確率で発生する」とした「長期評価」に関して、被告側から信頼性は高くないとする反論があったものの、実績のある専門家によって承認された、相応に信頼性を有する科学的知見であるとする判断を下したうえで、5人の元役員には対策を講じる義務があったにもかかわらず、義務を怠っていたと認め、さらに「求められた安全意識と責任感が根本的に欠如していたと言わざるを得ない」と厳しい指摘を行っています。原発を運転する事業者の責任を重く見た判断といえます。

問題の中心は想定に基づいて対策を講じていたとしても結果的に事故は防げなかったのではないかという点でした。この点に関して、先にも記したように去る7月の国の責任を問うた被災者訴訟の最高裁判決では、「国(当時の原子力保安院)が対策を講じさせていたとしても事故は避けられなかった」と判断しましたが、このたびの判決で東京地裁は東電が適切な対応を行っていれば事故は避けられた可能性が十分にあった判断しました。具体的には、原発施設の扉などの浸水防止対策(水密化)を実行していれば、事故の原因となった主要設備内への浸水を防ぐことができた可能性があると結論づけました。その結果、東京地裁は主要施設などの浸水防止対策(水密化)に関する工事は2年程で完了できたはずであるとして、(事故の2年前の)2009年までに津波の可能性についての説明を受けていた勝俣会長ら4人に対して賠償を行うよう命じました。

賠償額は計約13兆円であり、過去最高の額の賠償命令です。常識的にみて、とても個人で支払うことができる額ではないものの、原告の立場からすると、事故の責任の所在を明らかにするという目的は果たすことができたと言えます。賠償を求められた4人の元役員は判決を不服として7月27日に控訴しています。一方、22兆円の賠償を求めていた株主側も控訴しています。

公判において、「(対策を講じなければ)事故が起きるとは思わなかったのか」との質問が、勝俣恒久・元会長らの尋問に際して投げかけられましたが、しかしいづれの被告も「情報が上ってこなかった」「(長期評価は)信頼性がないと説明された」と、責任を曖昧にする受け身の弁解に終始していたとされています。地震予測に関する「長期評価」という専門機関の指摘があったにもかかわらず対策を見送っていたことについて、それが「当時の東電では『合理的』だった」と裁判長は指摘していました(以上は2022年8月22日付け朝日新聞による)。これは当時、東電が安全への投資や法令順守をおろそかにして経営合理性ばかりを追求していたことを指しているものと思われます。

今回の判決は「事故が起きれば無過失であっても賠償責任を負う事業者は存続の危機に陥る」(注参照)として、経営者に厳格な注意義務を求めたものです。電力各社の経営幹部は原発を稼働させる以上、個人としても重大な責任から逃れることができないと覚悟しなければならないことをこの判決は意味しています。このため、この判決が最終的に確定したならば、電力業界に大きな影響を及ぼすものと考えられます。

(注:不法行為において損害が生じた場合、加害者がその行為について故意・過失が無くても、損害賠償の責任を負うという意味。いわゆる「無過失責任」のこと)。

【原発推進を事実上国策としている国・規制機関に事故の責任はないのか?】

上記のようにこのたびの株主代表訴訟の判決では、いったん事故が起きれば事業者は無過失責任を負い存続の危機に陥るとして経営者に厳格な注意義務を求めていますが、一方、原子力規制の任を負っている機関を設けている国は去る6月の最高裁判決において、津波は「想定外」であったとの理由により賠償責任を免れています。原発事業が事実上の国策あるいは国策民営であることを考えるならば、このような状態は、すなわち原発事故に関して事業者は「無過失責任」を負い片や国は免責されるという状態は、極めていびつな責任分担であると言わざるを得ません。
国の責任については、前述のように、最高裁は「津波は想定をはるかに超える規模であり、東電に対して(当時の規制機関である原子力保安院が)東電に対して対策を指示していても事故を防げなかった」とする国の責任を否定する判断を示しました。この判断に対して原告側の弁護士は「肩透かしのような判決」「対策を講じていても事故は防げなかったとするのは結論ありきの判決」と批判しています(弁護士の発言内容は原発訴訟、国の責任認めぬ「最高裁判決」の問題点 | 特集 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース (toyokeizai.net)による)。最高裁の判決は国の立場を「忖度」した判決に他ならないと言うべきかもしれません。

結局のところ、福島第一原発で大事故が起きたことの責任は電力会社である東電のみにあるのではなく、原子力発電という極めて大きな危険性を常に潜在的に伴っている科学技術を事実上国策として推進してきた政府に、「ひとたび事故が発生すると、我が国そのものの崩壊につながりかねない」(このたびの東京地裁の判断)という責任の重さに関する自覚が欠落しており、この自覚の欠落が原子力規制当局(当時の原子力保安院)が東電に対して津波対策に関して何も指導・監督を行わないという怠慢を招いたこと(注参照)が事故のもう一つの見落とすことができない原因であると考えざるを得ません。このような状況を考慮するならば、政府が福島第一原発の事故に関する責任を免れることができないことは明らかであり、この意味において国は事故で被害を負った人々に対して賠償責任を負っていると言わざるを得ません。

(注:原子力保安院が津波対策に関して積極的に動こうとしなかったことの大きな原因は、保安院が本来原発推進の立場にある経済産業省内に、すなわち経産省の外局である資源エネルギー庁の下に設けられていた機関であったことであると推測されます。このため保安院は民主党政権下の2012年9月に廃止され、代わりに経産省ではなく環境省の外局として、より独立性が高いとされる原子力規制委員会が設置されました)

先の国による損害賠償を求めた民事訴訟に関する、「事故は予見不可能だった、規制機関が対策を指導していたとしても被害は防げなかった、したがって国に責任はない」とした最高裁の判決内容は、これまでに述べた株主代表訴訟における東京地裁の判決内容とくらべるならば、科学的批判に耐え得るものないでないことは明らかです。 

原子力発電が事実上国策として推進されてきたという事実を考えるならば、国はこのたびの株主代表訴訟の東京高裁の判決を尊重し、原子力損害賠償法(原賠法)の内容を大幅に見直すなど(注参照)関連法規を見直す措置を講じることなどにより、原発事故に際しての、賠償を含めた、国の責任を明確に規定すべきです。
(注:現行の原子力損害賠償法では、過失の有無を問わず、事業者が事故の賠償責任を負うと規定されている一方で、事業者の支払い能力を超えた場合は「国が必要な援助を行う」ということも規定されています。しかし国の責任の範囲は必ずしも明確ではありません。国に責任はないとした最高裁の判決において、菅野博之裁判長は、原発事故が起きた場合について、「本来は国が過失の有無に関係なく、被害者の救済に最大の責任を担うべきと考える」と付言していましたが(原発事故の賠償責任「なし」でも…国には賠償基準を見直す責務ある 原発避難者訴訟:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp))、「国が過失の有無に関係なく」とすることは認識不足です。なぜなら、原発事業が国策である限りは、国は事業者の行為に関して監督・指導の責任を負っており、このため少なくとも看過できない大事故が起きた場合は国にも過失があったことになる、すなわち国は当該の過失に関して責任を負っていることを意味していると考えるべきです。すなわち、原発事故が起きた場合、責任の程度や賠償の程度はともかく、本質的に国は事業者の過失に関して少なくとも一定の責任を負っているということを認識すべきです。この最高裁判決には、原発事業は事実上の国策であるため、国は原発事故に関して責任を免れることはできないとする認識がまったく欠落していると言わざるを得ません。

【最後に;規制体制を徹底的に強化しなければ、原発事故は再び起きかねません】

前述のように、このたびの株主代表訴訟において、福島第一原発の事故は事故対策を講じようとしなかった当時の経営陣の不作為による「人災」であったとする判断が東京地裁により下されました。またこのたびの裁判では、政府の責任の有無については、訴訟の対象でなかったために何も判断を下していませんが、これまでの訴訟の判決すなわち国の責任が問われた被災者による訴訟の最高裁判決において、当時の原子力規制機関であり、津波による事故の可能性やその対策に関する東電の方針や姿勢を把握していたものと考えられる原子力保安院が何ら事故に備えて監督・指導の責任を果たしていなかったことが事実上認められているため、国・原子力保安院にも、不作為により事故を招いたことの責任があったということになります。事業者に対する監督・規制の任を負っていた原子力保安院が東電に対する指導・監督を怠っていた原因のひとつは、先に述べたように、原子力保安院を所轄しているものの本来は原発を推進することを方針としている経産省から原子力保安院が十分な監督指導の権限を与えられていなかったことではないかと考えられます。すなわち、経産省の下での事業者に対する監督・規制の体制が弱体であったために東電に対して津波対策を命じることができなかったものと考えられます。そうでなければ、保安院による適切な監督指導の下に津波対策が講じられ事故を防ぐことができた、あるいは被害の程度を大幅に軽減することができたものと考えられます。したがって、今後福島第一原発におけるような大事故をくり返さないためには、原子力規制機関に事業者に対する監視・指導に関する強力な権限を与え、権限を確実に行使することができる体制を整えることが是非とも必要であると言わざるを得ません。

事業者に対する監督・指導に関して、規制機関に強い権限を付与することは可能です。たとえば、米国原子力規制委員会(NRC)は強い権限を備えており、そのためNRCの緊急対策センターが全米約100基の原子炉の運転状態を24時間オンラインで監視しているだけでなく(2011年5月11日付け朝日新聞記事「特派員メモ」より:注参照)、各原発にNRCの係官を常駐させており、必要と判断すれば原発施設のどこにでも自由に立ち入る権限を係官に与えています(注:短い記事であり撮影が禁止されたために写真は添えられておらず、そのため詳細は不明ですが、おそらく映像を通じての監視であり、取材に同行した日本の技術者は「これであれば現場にいるのと変わりがない」と感嘆したとされています)。

福島原発事故後、新たな規制機関として原子力規制員会が設置され新基準に基づいて安全性に関して審査を行っているとされているため、原発施設に安全性に関しては事故以前とくらべて大幅な改善が施されているのではないかと考えられます。しかし、原発に対する規制当局の監視体制と問題点が認められた場合の事業者に対する監督・指導の権限とその体制という点に関しては、福島原発事故後どの程度の改善が具体的に図られているのかは定かではありません。前述のように被災者による国の責任を問うた訴訟の最高裁判決において、規制機関がその本来の役割を果たしていなかったにもかかわらず、国・規制機関に責任はなかったとする最高裁による判断が下されたことを根拠にして、国が規制機関の事業者に対する指導・監督の権限と監督の体制を大幅に見直し、事故防止のための確実な実効性を備えた機関へと改革することを怠るならば、大事故を防ぐことができないという事態が再び生じ得るのではないかと懸念されます。

去る8月24日、岸田首相は原発の新増設や建て替えについて今後検討を進めるとの考えを表明しました。しかし、原発の新増設などを云々する以前に、まず「人災」であった福島第一原発の事故に関する損害賠償も含めた国・規制当局の責任を明確に認め、大事故が再び起きることを確実に防ぐために、現行の事業者に対する監督・指導の権限とその体制を根本的に見直し強化することにより、実効性のある対策を講じることに努めるべきです。

このたびの判決で福島原発事故の責任が当時の経営陣にあることが明確にされましたが、このたびの判決は地裁レベルのものであり、高裁・最高裁において今後どのような判断が下されるか、予断を許しません。原発問題に限らず、日本の裁判は最終的に判決が確定するまでに非常な期間を要するために、市民の権利に関わる重要な裁判であっても私たち市民が途中で関心を失いがちであることは否めません。しかし、未曽有の原発事故である福島第一原発の大事故の責任を問う裁判は国民にとって非常に重要な意味を有するものです。今後も関心を失うことなく、このたびの裁判の行方にご注目ください。

2022年9月6日

《脱原発市民ウォーク in 滋賀》呼びかけ人のひとり:池田 進
 大津市木下町17-41 
 TEL:077-522-5415 
 メールアドレス:ssmcatch@nifty.ne.jp

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