21世紀 脱原発 市民ウォーク in 滋賀

<脱原発 市民ウォーク in 滋賀> の 活動報告、お知らせなど を掲載 ♪
ときどき、トピックも ~☆

脱原発 市民ウォーク in 滋賀 2月の予定

2023-01-27 15:19:31 | 記事
老朽原発動かすな!
岸田政権の原発回帰反対、老朽美浜3号、高浜1・2号廃炉!
 
◆ 第110回 脱原発 市民ウォーク in 滋賀 ◆


◇岸田政権忖度の12.20大阪地裁の老朽原発・美浜3号機仮処分申立て却下に抗議!
◇岸田政権は宏池会をかなぐり捨てて、自民党の本性丸出しで、
軍拡・原発推進にひた走る!
◇福井では新たな老朽原発うごかすな!仮処分闘争申立てが開始、
太平洋へのフクイチ汚染水垂れ流しが始められようとしている。
子ども甲状腺がんや原発廃炉作業での労災損賠闘争裁判も進行している。
市民・労働者の被害の実態・現地の声を総結集して、岸田政権の原発回帰政策を
許さない大闘争を開始しよう! 
老朽原発40年停止は法律だ!

1450万人の近畿の水源=びわ湖と私たちの未来=子どもたち孫たちを守りましょう!
ご一緒に歩きましょう! 参加無料! 予約不要!


<とき・ところ> 
2023年 2月18日(土)13:30  JR・京阪膳所駅前集合  

★コース = ときめき坂 ~ 元西武大津ショッピングセンター前 ~ 関電滋賀支社前~
       ~ びわ湖畔

☆主 催=21世紀 脱原発市民ウォーク in 滋賀 実行委員会
☆呼びかけ人・・・池田進(原発を知る滋賀連絡会 電話077-522-5415)
         岡田 啓子(ふぇみん@滋賀 電話077-524-5743)
         稲村 守(9条ネット・滋賀 電話080-5713-8629)

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<トピックス>


老朽原発美浜3号機うごかすな!関電本店前全国集会(22.12.4)でのドイツのテレビ局



上記集会後の御堂筋デモ



上記集会で、中嶌哲演さん



1.7「脱原発市民ウォークinしが近江八幡2021」で、呼びかけ人あいさつ=にしむらしずえさん

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「脱原発 市民ウォーク in 滋賀」 チラシのダウンロードは ⇒ コチラ

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福島第一原発の大事故を省みず 政府が原発の新増設など原子力政策の大転換を正式に決定 懸念される原子力規制委員会の独立性

2023-01-14 20:17:59 | 記事
《第109回脱原発市民ウォーク・イン・滋賀のご案内》

あけましておめでとうございます。今年最初の脱原発市民ウォークを
1月21日(土)におこないます(午後1時半:JR膳所駅前広場に集合)。


みなさんもご存じのとおり、昨年末に政府は脱原発を正面から否定し、
原発の新増設など原子力政策を大幅に転換することを正式に決定しており、
状況は市民にとって一段と厳しいものになっています。

寒い中ですが一人でも多くの方が脱原発市民ウォークに参加してくださるよう
お願いいたします。誰でも自由に参加できます。
都合のつく方はぜひ足をお運びください。


■■ 福島第一原発の大事故を省みず政府が
      原発の新増設など原子力政策の大転換を正式に決定■■
■ 懸念される原子力規制委員会の独立性 ■


政府は昨年12月22日、原発の新規建設や実質的な運転期間の延長などを内容とする「GX(グリーントランスフォーメーション)実現に向けた基本方針案」を取りまとめました。今年閣議決定を行い、関連法の改正案が通常国会に提出されます。岸田首相が第2回GX会議で原発政策の大幅な転換を意図し検討を指示したのは昨年の8月24日、それからわずか4カ月後に、原発政策は根本から転換されることになりました。国のこれまでのいずれの「エネルギー基本計画」においても、2011年の福島第一原発の大事故以来の方針が堅持されてきました。すなわち、できる限り原発に依存しない社会を目指して原発の新増設・建て替えを想定した文言は盛り込まれていませんでした。2,021年に閣議決定された最新のエネルギー基本計画においても、原発への依存度を「可能な限り低減する」と明記されており新設などには言及されていなかったのですが、このような方針が撤回され、原発政策は原発の新増設などを正面から掲げるものに転じることになります。

【原発政策転換の内容の概要】

 このたび首相が示した基本方針案では「原発を最大限に活用する」とされています。政策転換の概要は以下の通りです。より詳細な内容とその問題点についてはすでに前回の脱原発市民ウォーク(2,022年11月)の案内に記しておきましたのでご覧ください。
 
政策転換の主な柱は、原発の建て替えあるいは新増設と原発の運転期間の実質的な延長の二つです。

 原発の新増設・建て替えに際しては「次世代型革新炉」と称される改良型原子炉を想定しているとされていますが、「革新炉」の定義は不明瞭であり、市民団体「原子力資料情報室」の問い合わせに対して経産省は、海外で建設されている原子炉も含めて新たに建設される原子炉はすべて「革新炉」であると解釈するという回答を行っています。

 原発の運転期間の延長は、原子力規制員会の審査や司法判断など(運転停止の仮処分など)で運転が停止されていた期間を運転期間から除外するというものです。現行の制度では運転期間は原則40年、最長20年延長と定められていますが、この政策変更により最長運転期間は60年以上となる可能性があります(現存する世界の原発で60年を超えて運転されている原発は存在していません)。また、政府の方針では言及されていませんが、通常13カ月内に1回と定められている2カ月から2カ月半を要する定期検査による運転停止期間も対象とされるとなると、現行の40年の運転間は80カ月~100カ月すなわち6~8年程度延長されることになります。

 政策転換の内容は、上記の二本の柱の他に、今夏の実現を目指して、これまでに再稼働している10基の原発に加えて新たに7基を再稼働させること、「核燃料サイクル」の促進が方針として挙げられています。しかし、再稼働を目指す原発のなかには地元の同意が得られていない原発や住民の避難計画が策定されていない原発などがあるため、国の主導で再稼働を推し進めようとしても、その実現可能性は定かではありません。また、核燃料サイクルの中核施設である青森県六ケ所村の再処理工場の建設はトラブル続きであり、これまで26回も完成時期を延長しており、工事を行っている日本原電は、最近も2022年9月の完成を意図していましたが、昨年末、完成時期を2年延期し2024年上期に変更すると発表しています。このため核燃料サイクルの推進には極めて不確定な要素が存在していると言わざるを得ません。

【原発政策の大転換に至る過程】

 2011年3月、東電が福島第一原発の大事故を起こした後、当時の民主党政権は原発の規制を徹底的に強化するため、それまで原発推進を方針とする経産省の下に設置されていた規制機関「原子力保安院」を廃止して、独立性の高い新たな規制機関である「原子力規制委員会」を経産省ではなく環境省の下に設置し、新たな規制基準を設けるとともに、原発の運転期間を40年とすることを決定し、2030年代に脱原発を目指すとする方針を掲げました。

その後2012年に自民党が政権の座に復帰してからも、2030年代に脱原発を実現という民主党政権の方針は引き継がなかったものの、安倍政権・菅政権を通じて原発の新増設・建て替え問題は一貫してタブー視されており、前述のように国のエネルギー基本計画においても原発への依存度を低減することは明記されていたものの原発の建設に言及することはありませんでした。それが、なぜ岸田政権になってから、「突如」原発政策を大転換し、原発の新設による原発の推進に大きく舵を切ることになったのでしょうか?

後にも触れますが、この時期に至って突然のごとく原発政策を大転換を行うことの直接的なきっかけとなったのは(あるいは意図的に「きっかけ」としたのは)、昨年2月に始まったロシアよるウクライナ侵攻に端を発したとされる天然ガスなどの化石燃料の「需給状況の逼迫」であろうと考えられます。しかしながら、ウクライナ侵攻はあくまでの原子力政策大転換のきっかけあるいは口実に過ぎず、いつのころからか確定的なことは言えないのですが、ウクライナ侵攻のかなり以前から、原子力政策を大きく転換するための素地が存在していたものと思われます。すなわち、一見したところ、岸田政権による突如の政策転換のように思われるものの、その内実は、福島原発の事故後の原発事故・東日本大震災からの復興対策が軌道に乗るまでの時期はともかく、安倍氏と菅氏が率いた自民党政権は政策として示すことは行わなかったものの、自民党や経産省などの政府機関は常に原発推進の意図を内に抱えていたのではないかと推測されます。また、財界や産業界からも、程度の差はあれ原発推進の圧力が常にかかっていたことも自民党政権あるいは自民党内に大きく影響を与えていたものと考えられます。

例えば、エネルギー基本計画は少なくとも三年毎に必要があれば検討を加え改訂することが法律で定めらいるため、2003年に最初の計画が策定され、その後、2007年、2010年、2014年、2018年、2022年に改定されていますが、福島原発事故後の第5次や第6次の改定に際しては、外部の財界や産業界からは原発の新設などを声が挙がっていただけでなく、自民党内には最近では原発新設を強く主張する議員組織が存在しており、第6次基本計画の策定に際しては、具体的に海外で開発されている小型原子炉(小型モジュール炉)を国内で建設するよう強く求めていました。

安倍内閣を引き継いだ菅内閣の時代には、2020年10月の首相就任演説で、脱炭素化を目指して、自然エネルギーを最優先することを宣言し、原発に関しては安全性を優先すると述べるにとどまっていました。脱炭素化実現のために自然エネルギー推進を掲げた菅政権が退陣した後、岸田政権発足の当初は、岸田首相は原発政策の転換に「そこまで意欲的でなかった」(首相周辺の話)とされており、政策の大転換を主導したのは元経産省次官で福島原発事故後に東京電力の取締役を務め、原発推進派の筆頭格であると目される首相の最側近である政務秘書官の島田隆氏であるとされています(以上は2022年12月23日付け朝日新聞による)。

以上が岸田政権が原子力政策の大転換を決定するに至るまでの過程の大筋ですが、昨年8月の第2回GX会議で岸田首相が政策転換の指針に関して検討を行うよう求めた後、実際の審議は経産省内に設けられている学識経験者、消費者団体の関係者、原子力産業や電力業界の代表者など21人の委員から構成されている「原子力小委員会」において行われました。しかし21人の委員のうち原発に反対していたのは市民団体「原子力情報資料室」の代表者と消費者団体の代表者の二人だけに過ぎず、残りは原発推進に賛成の委員で占められていました。

つまり初めから結論ありきの審議会であり、原子力小委員会による審議は、単に政府が勝手に決めたのではなく、審議会の検討を経た上での結論であると、決定に至る過程の正当性を示すための形式的なものに過ぎなかったと言わざるを得ません。

結局のところ、このたびの政策転換を行ったのは岸田首相ではあるものの、転換の真の立役者は経済産業省ではないかと考えられます。経産省とその前身である通産省は戦後一貫して自民党政権の下で、政権が変わろうとも、日本の経済活動と産業活動の司令塔の役割を果たしてきました。そして経済・産業活動を支えるために欠かすことができない電力源として原子力発電を優先してきたのです。おそらく経産省からすれば東電の福島第一原発の大事故は一時的な不運な出来事としか認識しておらず、事故後も原発の維持・推進という方針を変更する意図はほとんどなかったのではないでしょうか。事故後、国民の声は厳しく、さまざまな世論調査で最近までは原発に反対する意見が過半数を占めていましたが、その間も経産省は経済界・産業界の支持を背景に何とか機会を捉えて原発を復権させたいと考え常々計画していたものと推測されます。

先年、地球温暖化防止のためにEU議会が原発を脱炭素化の有効な手段の一つとして認め原発への投資を認めるとする決議を行ったために欧州で原発復権の動きが出現していること、そしてロシアのウクライナ侵攻に端を発したエネルギー需給状況が逼迫していることを渡りに船として、経産省は財界・電力事業を含む産業界の強い支持を背景に岸田政権の下で原発政策の大転換を強力に後押ししたのです。『「原子力(政策の推進)に踏み込んでいただき助かりました」。今月(昨年12月)中旬、首相官邸で財界重鎮から声をかけられた岸田文雄首相は上機嫌だった。原発回帰を鮮明にするGX実行会議を1週間後に控えていた」と報じられていますが(2022年12月3日付け朝日新聞)。この事実は上記のような政策転換の過程をよく象徴していると言えるでしょう。

《参考》
岸田首相が政策転換に関して検討を行うよう求めた昨年8月末の第2回GX実行会議から昨年12月末の第3回GX実行会議で政策転換の基本方針が取りまとめられるまでの間に行われた、原発の新増設の賛否を問う、報道機関による世論調査の結果は以下の通りです(日付は結果が発表された期日です。

NHK(2022年12月12日)      原発の新増設に賛成:45%  反対:37%
読売新聞・早大(2022年8月24日)        賛成:58%  反対:39%
朝日新聞(2022年9月16日)           賛成:34%  反対:58%
毎日新聞(2022年9月18日)           賛成:36%  反対:44%
日本経済新聞(2022年9月19日)         賛成:53%  反対:38%

読売新聞は「初めて原発賛成が反対を超えた」と報じています。各世論調査の結果の数字は様々ですが、全体として原発に反対する人々の割合が低下しつつあることは確かなようです。

【懸念される原子力規制委員会の弱体化】

この度の政府による原子力政策の転換決定に先立ち、政策転換の検討を首相が指示した第2回GX実行会議(2022年8月24日)が開催されたひと月少々後の10月4日に、原子力規制委員会は、運転休止期間を運転期間から除外し運転期間を実質的延長することを意図して原子炉規制法における「運転期間は原則40年」とする規定を削除することを容認する意向を示しました。原子力規制委員会の発足当時は委員でなかったものの昨年9月27日に委員長に就任したばかりの山中伸介氏は、この問題に関して、「運転期間の上限を一義的に決めることは科学的・技術的に困難」として、原子炉法等規制法を所管する規制員会は、運転期間の原則を何年にするかは『政策判断』として関与しない立場にある」と、消極的とも解することができる立場を表明し、同日の記者会見でも「(運転期間について)規制委が意見を述べることはない」として(以上は2022年10月6日付け東京新聞など)、運転期間の実質的な延長に事実上賛成しています。しかしながら、委員長に就任してからわずか1週間後の上記のような発言は拙速の感を免れません。新委員長は果たして規制委員会の他の委員たちとどこまで話し合ってこのような判断を下したのでしょうか?非常に疑問に感じられます。私は上記の新委員長によるは発言の内容を知って少なからぬ違和感を抱きました。運転期間が長くなればなるほど、特に強い放射線を常に浴び続ける原子炉中心部では老朽化・脆弱化が進行し、原子炉中心部の老朽化が進めば進むほど事故を起こす確率が高まることは科学的に自明のことであること、すなわち運転期間をより長くすることは事故の確率を高める方向すなわち避けるべき方向に向かうことなることを意味していることを考慮するならば、原発の安全確保を使命とする規制委員会としては、運転期間の実質的な延長に関して何等かの注文を付けるべきであると考えられるのですが(注参照)、規制委員長の反応は上記のように極めて消極的なものでした。このため、福島原発事故から十年余を経て、事故の反省の上に立って新たに発足した原子力規制員会へ何か変質しつつあるのではないかという疑問がわきました。これまでの規制員会ならばもっとはっきり物を言ったのではないか・・・
(注:2010年代半ばに行われた滋賀県の原子力防災会議の委員たちと関電の関係者との意見交換の場を私は傍聴したことあるのですが、その際、県側の委員である京大の研究者は関電側の出席者に対して「原子炉の老朽化は必ずしも緩やかに直線的に進行するわけではなく、ある時点から急激に進行するということも考えられる。したがって常時、老朽化の状態をしっかり観察することが大切だ」と述べていました)

福島原発事故後の新たに発足して原子力規制委員会をどのように評価するかは、人さまざまであると思われ、規制委による原発の規制がまだまだ不十分であると考える方も少なからずおられるのではないかと思います。しかしながら、私は個人的には、不十分な点が多々あるとしても、福島原発事故以前であったならばおそらく実行が困難であった事柄を実行に移したという事実なども存在しており、その意味で一定の評価を与えてもいいのではないかと考えています。

たとえば、規制員会による無視することができない重要な功績の一つは、「国家プロジェクト」と位置づけられていた「高速増殖炉もんじゅ」の開発計画を中止に追い込み、廃炉とすることを国に決定させたことです。「もんじゅ」計画は核燃燃料サイクル実現のために中核を成す施設でした。この計画の事業主体は「日本原子力研究開発機構」であり、1983年から、日本の代表的な原子力事業者である日立、東芝、三菱重工などが建設工事を手掛けましたが(建設費は約6000億円)、冷却材のナトリウムが漏れる事故を起こすなどトラブル続きであり、最後には部品の検査がまったく杜撰なことが発覚するなどしたため、2015年に規制員会は「新たな事業主体を1年以内に見つけない限り計画を続行することは認めない」とする命令を下しました。その結果、新たな事業主体を見出すことができなかったため、翌年、政府は「もんじゅ」計画を中止し、廃炉とすることを決定するに至りました。多額な費用と膨大な時間と労力が費やされた国家的な大プロジェクトが途中で中止された例は、原子力事業に限らず、ほとんど過去に例がないのではないかと考えられます。私は「規制委が一年以内に事業主体を代えなければ計画の続行を認めないとした」という報道に接したとき、これだけの大規模なプロジェクトだから一年以内に新たな事業主体など見つかるはずがない、規制委はどこまで本気なのだろう、結局は政府の圧力に負け途中で腰砕けになるのではないと疑っていたのですが、規制委は初志を貫徹して「もんじゅ」を廃炉に追い込んだのです。「もんじゅ」の廃炉が規制委の決断と努力の結果であることは明らかであり、規制委は原発の規制に関してまぎれもなくその本来の役割を果たしたのです。また、2021年に東電柏崎刈場原発において、外部からの侵入者を防ぐための設備の不備など初歩的なテロ対策の不備があることが発覚しましたが、規制委はこのテロ対策の不備を問題視して、核燃料の移動を禁じることを命じました。この命令は実質的に東電が目指している刈場原発の再稼働を禁止することを意味する極めて厳しい処分です。福島原発事故以前であれば規制当局がこのような厳しい処分を下すことはなかったのではないでしょうか。テロ対策の不備は現実には必ずしもすぐに実害をもたらすものではないにもかからず規制委がこのような厳しい処分に踏み切ったのは、後回しにされがちな原発の安全確保におけるテロ対策の重要性を他の大手電力会社にも強く認識させることが規制委の責務であると判断したうえでのことではないかと考えられます。

一方、規制委は当初、原発の運転期間を原則40年と規定していたものの、実際にはこれまでに17基にも及ぶ原発の再稼働を認めており、そのためこの原則は実際には原則となっておらず形骸化しているのではないかという疑問点が存在していること、また条件を満たせば一回だけ運転期間を20年延長することを認めていることなど、市民の目から見て、規制委はその任務を果たしているのか疑われる点が存在しているのも事実ですが、上記にように「もんじゅ」問題などへの対応を考えるならば、規制委は福島第一原発の事故後、不十分な点があるとしても一定の役割を果たしてきたのではないかと私は考えます。

しかしながら、一定の役割を果たしてきたとしても、規制委を取り巻く環境は、いつのころからは定かではありませんが、以下に記す事実などから考えると、発足当時からは大きく変化しつつあるのではないかと疑われます。

たとえば、福島原発事故後、経産省ではなく環境省の下に通常の行政組織よりも独立性が高い「国家行政組織法第3条3項」に基づく組織(いわゆる「三条委員会」)として規制委が発足した時点で同時に規制委の事務方の役割を担う「原子力規制庁」も設置されており、規制庁の幹部(トップ3:規制長官、次長、原子力規制監)は原発を推進してきた経産省の官僚からではなく警察庁と環境省の官僚から選任されたのですが、いつのまにか、この規制庁のトップの人事は変化しており、昨夏からは規制庁のトップ3はすべて経産省出身の官僚で占められています。

また、規制委の委員長の人事に関しても不自然な点が存在しているのではないかと思われます。すなわち、昨年9月末に三代目の委員長が選任されたのですが、選任にあたって規制委発足当時からの委員であり二代目の委員長を務めてきた更田豊志氏が続投するのが自然な流れと見られていたのですが、更田氏は委員会から退いてしまい、途中から委員に就任した山中伸介氏が選任されました。規制委は大学などの専門家5人により構成されているのですが、この委員長交代により、発足当時の委員会のメンバーはすべていなくなりました。

また、一方において、岸田首相は昨年4月に、「規制委の審査についても、合理化、効率化を図りながら、どこまで再稼働できるかを追求していかなければならない」とテレビで発言し(昨年9月19日付け朝日新聞)、規制の運営や審理のやり方にまで干渉するような態度を示しています。

さらには、この度の原子力政策の大転換に先立ち、政策転換の重要な要因である運転期間の見直し(実質的延長)に関して、規制委の事務方である規制庁が、規制委からの指示を受ける前に経産省のエネルギー庁(エネ庁)と話し合っていたという、規制の独立性を疑わせるような事実が報じられています。2022年12月28日の朝日新聞は以下のように報じています。
《規制庁・エネ庁 事前に7回面談 / 原子力規制 問われる独立性》
原発の運転期間の見直しで、原子力規制委員会の事務局・原子力規制庁は27日、10月の規制委からの指示の前に、経済産業省エネルギー庁と7回にわたり面談したほか、法改正の具体的検討を始めていたことを明らかにした。山中伸介委員長らには面談内容を報告せず、面談記録も作成していないという。原子力規制の独立性や組織ガバナンスが改めて問われそうだ。
エネ庁との面談について規制庁は「安全規制についての協議・調整・すり合わせは一切しておらず、問題はない」などと説明。また、エネ庁が岸田首相から8月に具体的検討を指示される前に法案の検討を始めていたことも判明した。
原子力政策を巡っては岸田首相が7月28日に政治決断が必要な項目を示すよう経産省に求め、8月24日に運転延長などで年末までに検討するよう指示。規制委は10月5日にエネ庁の担当部長から状況を聞いたうえで新たな規制の検討を規制庁に指示した、としてきた。     
だが規制庁によると、エネ庁と7月28日に1回目の面談をし、原子炉等規制法を含む束ね法案の検討を始めたと伝えられた。9月末までの面談は計7回で、経産省の審議会の資料に修正を求めたこともあった。電話でのやりとりは計数十回。規制庁でも8月23日に法改正に向けた検討を始めた。鈴木達郎・長崎大学教授(原子力政策あ)は「運転延長を定める法案化という重大な事柄だ。(規制)委員会に報告ぐらいはすべきだった」と話した。

なお、この記事の続報を朝日新聞は12月9日に掲載しています。内容は以下の通りです。
《原子力推進側と面談 記録を / 山中委員長、規制庁に指示》
 規制委の山中委員長は12月28日の会見で「規制委の独立性が失われかねない行為とまでは考えていないが、透明性については疑問があった。きちんとルールを作って守っていただくのが、国民の信頼を得る第一歩だ」と話した。 この日の会合で山中委員長が「今後のあり方を議論したい」と提案。委員からは「報告がなかったことは不適切」「情報を入手するために推進側と接触すること自体は問題ないが、情報共有が必要だった」「密室協議はしていませんといっても(面談記録がなければ)証明できない」といった意見が出た。
上記のいくつもの事実をつなぎ合わせて考えると、規制委は今や発足当初の姿から大きく変質しつつあり、当初の独立性が損なわれ弱体化しつつあるのではないか、このままでは原発推進を終始方針としてきた経産省の影響を免れることができないのではないかという懸念を抱かざるを得ません。

【おわりに】
 
これまでに述べてきたとおり、このたびの岸田政権による原子力政策の大転換、すなわち原発への回帰という政策は、福島第一原発の大事故という未曽有の体験をした日本に市民にとって極めて衝撃的なものです。しかしながら、まことに残念なことですが、岸田政権によるこのたびの政策の大転換に対する市民の反応は、大メディアなどがウクライナ侵攻ばかりの盛んに報じていることなどもあって、芳しいものであるとはとても言い難いものです。

昨年7月に立ち上げられたGX実行会議は経団連会長や大手電力会社で構成されている電気事業連合会などの面々が参加して非公開で行われました。また、実行会議の求めに従い政策転換の是非や妥当性などに関して検討を行った経産省の原子力小委員会は、大半のメンバーは原子力や電力業界の専門家らの「推進派」で固められていたため、当然のように政府の検討方針に沿って議論が進められたに過ぎません。一方、秋の臨時国会でも野党の追及はもっぱら安倍元首相の国葬問題や旧統一教会問題に絞られて、原発政策転換の問題は焦点とはなりませんでした。このため経産省幹部は「神風が吹いた、こんなに条件がそろうことはない」とまで言っています(経産省幹部の発言は昨年12月23日の朝日新聞による)。

このように市民の目を欺くがごとき政治手法により政策の大転換が行われたのでと言わざるを得ないのですが、どのような過程を経て政策転換が行われたにしろ、私たち市民はこのたびの政策転換に強く反対し、政策転換を止めなければなりません。政策転換に対する市民の反応は上記のように芳しいものではないというのが現実ですが、それでも私たち市民は最低限、政策転換に反対する意思を明確に表明することに努めなければなりません。

このような厳しい状況の中で市民原子力資料情報室やFoeJapanなどの市民団体が政策転換に関する反対署名と求めたり、政策転換に関するパブリックコメントに応募するよう求めています。あなたに適した方法で、これらの反対表面の場を活用してください。

2023年1月14日

《脱原発市民ウォーク in 滋賀》呼びかけ人のひとり:池田 進
 大津市木下町17-41 
 TEL:077-522-5415 
 メールアドレス:ssmcatch@nifty.ne.jp

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