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2010年1月帰国、イエメン、青少年活動隊員より

社会学特論レポート:「移動と移民についての課題」

2013-03-31 | Weblog
吉備国際大学大学院 通信制 連合国際協力研究科 修士課程
「社会学特論」第3回レポート(2010年)

レポート課題:移動と移民についての課題
移動と移民に関する問題群について教科書(3)※のなかから受講生各自の関心事項を一つ選び、グローバリゼーションについての議論と関連付けて論じなさい。必要に応じて、教科書(1)(2)で示されている諸見解とも照合し、結論部分では、自分の見解を根拠付けて述べること。(レポートの長さ:要約を含め3500字以上)

※教科書(3):伊豫谷登士翁編『移動から場所を問う-現代移民研究の課題』有信堂高文社、2007

レポート本文
1. ビジネス界の人の移動
 今回のレポートでは、「移動と移民についての課題」について、テキスト序章『方法としての移民』を参考にしながら、ビジネス界での労働力の視点から考えてみた。

 ビジネス界では、昨今、グローバルな人材は、国内とほぼかわらない感覚で海外へ赴任するし、日本へも赴任してくる。「商品や資本の自由化は極端なまでに進みながら、人の移動への規制は強化され続けるのである(注1)」、「人は、国境を越えたからといって、容易には出自=ナショナリティを脱することはできない(注2)」は、ビジネス界のグローバル人材たちにはそれほど適用されない(注3)。ビジネス界では、グローバル人材の出自は、生産要素の出自と同じように「脱色され(注4)」、企業や企業グループに利益を生める人材なら、出自はどこでもかまわない。

 この現象は、過去、労働力の必要なところへ、労働力の供給のために人が移民という形で移動してきた今までの移民と逆のようでもある。今は、労働力のある場所へグローバル人材が移動していく。そのほうが効率がよい。移民したエスニック集団の飛び地現象をエスニック・エングレイブというなら、これはビジネス界のマネジメント・エングレイブと呼べるだろう。

 グローバル人材として出自を脱色された人材は、もはや人ではなく、能力を持った生産資材、もしくは資本と化す。ビジネス界のグローバル人材は、そのビジネス能力だけが問われる。それは報酬という名で経済価値に換算され、その人材の出自は生産要素と同じように不問となる。世界中のどの都会に行っても同じような「『コスモポリタン』で『フレキシブル』(取替え可能)なビル街が広がる(注5)」ように、世界中のどのビジネスエリアに行っても同じようなグローバル人材がマネージメントする現象が見られるようになる。これはグローバリゼーションのひとつの現象かもしれない。
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<脚注>
1.テキスト(3):伊豫谷登士翁編、『移動から場所を問う-現代移民研究の課題』、p. 12
2.前掲、p. 12
ちなみに、「モノやカネの出自が問われることはない(注 )」についても、私がボランティアとして滞在していた中東のアラブの最貧国と言われるイエメンという国でさえ、中国製は買いたくない、日本製品は高いが品質がいい、といったコメントが日常きかれた(注3)ので、こちらも完全には支持できない。
4.前掲、p. 12
5.テキスト(2):梶田孝道編、『新・国際社会学』、名古屋大学出版会、[2005]2008、第7章「グローバル化の諸力と都市空間の再編-グローバル都市・東京の「下町」から-」p. 137

2. その他人材の周辺化
 このような、かつて商社や一部製造業に限られていたグローバル人材が、日本の一般企業の中でも急速に増え、国境を超え、出自を問われず移動するようになった。そして、このような移動ができない非グローバル人材との間で差が出始めている。たとえば、私の勤務する*******社では、現在人事制度の見直し中で、社員全員海外転勤を含めた全国転勤あり、の雇用条件への転換を検討中である。だが、実際には、海外へ派遣できる社員とできない社員がいる。さまざまな理由があるが、簡単なところでは語学力の問題も含まれる。マネージャークラスを派遣するのに通訳はつけられない。もともと、海外でマネージャーをするなどという選択肢が人生設計の中にまったく入っていなかった社員も多い。が辞令が出れば受けるしかない。もしくは1年に一度、勤務内容の希望を出す際に、海外不可、と強く希望を打ち出すことは制度上可能だが、海外拡大を目指す企業において、海外不可の希望を強く打ち出すことがどのような結果を生むか想像に難くない。これを社員の周辺化というのではないだろうか。

 「『地方性から自由に逃走できる人は、その結果からも自由に逃げ出せる。これこそが、勝利した空間戦争のもっとも重要な成果である』(注6)」。グローバル人材は、この空間戦争の勝利者であり、それ以外の人はここから疎外されるということになるのだろう。(注7)しかし、その勝利のために、「『自らの人生を自らが描く』状況は、グローバル人材にも多くの負担をもたらす(注8)」。
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<脚注>
6.テキスト(3):伊豫谷登士翁編、『移動から場所を問う-現代移民研究の課題』、p. 14、バウマンの言葉の引用
7.個人的に、自分の勤務する企業でのこのような周辺化は避けたい。グローバルであろうがなかろうが、本人の自由意志、希望で選択した勤務内容が、会社の利益に貢献する限り、対等、同等の社員である人事体系にしておきたい。理想論でしかないのだろうか。
8. テキスト(1):梶田孝道編、『新・国際社会学』、第2章「エスニシティの社会学」、p. 35、ここで筆者(樋口直人氏)は、「個人化に耐えうる資源を持つ『旅行者』」と表現している。

3. 国籍、出自の意味
 「移動する人々は、なぜアイデンティティを問い続けられるのか(注9)」。これまでの移動する人々や移民は、そのアイデンティティを、自分の起源や文化のよりどころ、貢献するべき集団、所属はどこか、といった自らの立ち位置として模索していた。が、グローバル人材がその国籍や出自、アイデンティティに求めるものは若干異なる。それは、現実的な保護や安全保障である。「近代国民国家は、移動の自由を掲げながらも、人々を国民として掌握しようと試みてきた(注10)」。移動も移民も、定住を常態とし、いずれは定住すべきものと解されていたが、今のグローバル人材は、未来の定住を問題にしない。(注11)それでも、「固定的に考えてきた場所(注12)」が問い直され、「安定した場所が消失」(注12)し、それが常態となった状況の中で、グローバル人材は、自身の安全をパスポートが保障してくれていることを知っている。「日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の諸官に要請する(注13)」。また、たとえば日本という国への信頼が自身の安全保障につながることもある(注14)。こういった場合は、自身の安全保障につながっている日本という国への信頼が継続されるような国であることを望む。これについては、「空間をつくりあげてきた側」「場をつくりあげるコストを負担してきた」一員として、要望する権利はあるだろう。(注15)
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<脚注>
9.テキスト(3):伊豫谷登士翁編、『移動から場所を問う-現代移民研究の課題』、p. 8
10.前掲、p. 6
11.自身の出身国に最終的に落ち着きたい、というような要望を持っていない、という意味ではなく、あくまでビジネスマンとしての就業期間は定住の意志がない、という意味。
12.前掲、p. 3
13.日本国旅券表記より
14.逆に、反日感情のある国や地域では、それが危険を招くこともある。
15.ただ、今現在、その場にいてそれをつくりあげるコスト負担をしていないため、要望することはできても要請する権利はないかもしれない。

4. 日本の周辺化
 以上のように、ビジネス界ではグローバリゼーションの影響により、グローバル人材とそれ以外の人材が区別され、グローバルに動けない人材は周辺化される現象が起こりはじめている。「ローカルな場に固定される人々、空間を移動できない人々は、社会的な損失と降格を受け入れざるを得ない(注16)」。労働者集団のいる国へ、地域へ、場所へ、グローバル人材が移動する。その際、日本は人件費が高く、教育水準も高く、効率のよい取替え可能な、つまりさほど専門性を要求されない労働者が集団でいる国、場所ではないため、日本自体がこの流れの中で周辺化されていく可能性がある。日本企業がタイやベトナムに工場拠点を移しマネージャークラスの社員を派遣していることから見ても、グローバリゼーションにおける日本の周辺化はすでに始まっていることが伺える。

 日本は、築き上げてきた社会や技術力を消費されて終わってしまうのだろうか。人の見ていないところでも手を抜かないことを美徳とする道徳観が築き上げた優秀な製品が長い歳月をかけて築き上げた国際的な日本ブランドに対する社会信用、コツコツ築き上げた技術力が外国資本に技術者ごと買われてしまう。かつて金と銀との交換比率が海外で3:1の折、5:1で交換していた日本から大量の銀が海外へ流出したように、グローバルな荒波の中で、合理的な利己主義、自己利益の最大化を目指す価値観に日本も日本人も慣れていない。ぽかんとしている内今までそれを築き上げるコストをまったく負担してこなかったグローバル資本、グローバル人材にどんどん消費されてしまう。この結果、日本や、グローバル人材になり損ねた大多数の日本人は貧富の二極分化で貧のほうへ大量に押しやられることにならないか懸念される。日産のカルロス・ゴーン氏の年俸9億円近い報酬、ソニーのストリンガー氏の8億円強、これは世界的な合理性から見たら妥当(あるいは若干少ないと言われるかもしれない)だが、日本の企業文化からしたら法外だ。個人の利益の最大化の先にあるもの、庶民の生涯賃金よりもはるかに高額、使い切れないお金を報酬として受け取ることの先にあるものは何だろう。

 グローバル人材とそうでない人材の区別があってもよいが、それが格差や不平等、差別につながる貧富の二極化のような現象につながることは避けたい。グローバル人材の道を選んでも選ばなくても、結果が経済格差ではなく、海外に行くか行かないかの違いぐらいの範囲で、個人が本当にその志向でどちらの道かを選択できる程度にしておきたいところだ。

 「近代は移民の時代である、といわれる。共同体から個人を解放し、移動の自由を掲げてきたのは、近代という時代であった。近代の市民革命や産業革命は、共同体的な束縛から個人を解放した、といわれてきた(注17)」。その結果、「これまで接することのなかった人々との接触を引き起こすとともに、『われわれ』や『故郷』という共通した意識を生み出した(注18)」。移動の自由、国の保護、選んだ国で選んだ人生を送る権利と可能性を手に入れたと思ったら、次には、定住化することにより、グローバル人材と定住しかできない人材と選別されるリスクが待っていた、というような皮肉な結末が起きはじめている。世界中でマネージメントに飛び回り驚くような報酬を手に入れるグローバル人材市場の国際競争はとうにはじまっているが、日本は、このような結末への進行にまきこまれないよう、グローバル人材でない人材を非専門的な単純労働力化するのではなく、高い教育水準を持ち、勤勉、志、道徳といった日本独特の文化を背景とした誠実に仕事をする人材として「人財」化することが必要である。これらの「人財」によって技術開発やその活用、商品化レベルで国際競争力を持ち続け、世界をリードする国のひとつであり続ける、そしてその道徳観を持った公平、公正な商売で世界からの信用を保ち続ける。この価値観に賛同する世界中の人には広く門戸を開き、日本で、この信用を築き上げるコストを負担する人はこの成果を享受できる状態にする。

 日本のビジネス界に身を置く者ができることとして、ビジネス界の動向を見ながら、この実現に向けて適切な声を上げていきたい。 <約3,700字>
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<脚注>
16.テキスト(3):伊豫谷登士翁編、『移動から場所を問う-現代移民研究の課題』、p.13、ただし、このテキストの中では、この引用部分は、グローバル人材以外の人々のことだけを表すのではなく、場の移動はできても空間的に移動できない人々(能力的な問題)のことを含む。日本の場合は教育水準も高いため、途上国等と比較して空間的に移動できない人々より、場の移動ができない人々のほうが多いと考えられる。
17.前掲、p.5
18.同

【参考資料】
・ アサヒビール㈱ホームページ、『長期ビジョン2015 & 中期経営計画2012』http://www.asahibeer.co.jp/ir/event/pdf/presentation/2009_plan.pdf、2010年11月14日取得
・ 同、『アサヒビールグループ 長期ビジョン2015』http://www.asahibeer.co.jp/ir/managementplan/#chapter1、2010年11月14日取得
・ ブルームバーグ・ニュース、2010.7.1記事「日本企業は外国人役員が高給取り-ゴーン首位でストリンガー続く」、http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=newsarchive&sid=azLDr5iBvTKc、2010年11月14日取得

【参考文献】
・ テキスト(1):梶田孝道編、『新・国際社会学』、名古屋大学出版会、[2005年]2008年
・ テキスト(2):佐藤寛『開発援助の社会学』、世界思想社、[2005年]2009年
・ テキスト(3):伊豫谷登士翁編、『移動から場所を問う-現代移民研究の課題』、有信堂高文社、2007年
・ 『国際協力用語集 第三版』、国際開発ジャーナル社, [1987年]2005年 以上

社会学特論レポート:国際協力におけるアクター間の相互作用

2013-03-31 | Weblog
吉備国際大学大学院 通信制 連合国際協力研究科 修士課程
「社会学特論」第2回レポートより(2010年)

レポート課題:国際協力におけるアクター間の相互作用
①教科書(2)の第1部(開発援助を社会学的に見る)を要約し(約1,000字程度)、②国際協力の問題群から受講生各自の関心に応じて研究課題(テーマ)を設定し、その課題に密接に関連すると考えられるアクター(活動主体)を複数指摘し、アクター間の相互作用について論じること。(レポートの長さ:要約を含め3000字以上)

レポート本文
① <略>
② 国際協力におけるアクター間の相互作用
  -イエメン日本友好協会でのJOCV(青年海外協力隊隊員)活動を事例として
 
 国際協力におけるアクター間の相互作用について、イエメン日本友好協会での筆者のJOCV(Japan Overseas Cooperation Volunteers,青年海外協力隊)の活動経験をもとに考えてみた。当活動そのものは、当初からアクター間の相互作用を意図して活動が組まれたわけではないが、事後にふりかえれば相互作用の枠組みからの理論付けが可能である。事例としては小規模ではあるが、JICAへのJOCV青少年活動分野への類似の活動要請はコンスタントにあり、他の要請に展開できる考え方や内容も含まれると考えられる。

1.協力の要請内容とアクター
 イエメン日本友好協会の要請の内容は日本語ネイティブの日本語教師による日本語教室の講座講師、運営と、できれば日本文化の紹介もしてほしい、というきわめてシンプルなものだった。イエメンには、欧州各国からも援助が入っていたが、日本語、日本文化という要請の内容から、要請先の国は日本以外には考えられなかった。アクターは、配属されるJOCVと、現地のカウンターパートたちであった。

<補足資料>
要請概要
• 要請先:青年海外協力隊、青少年活動
• 団体名:イエメン日本友好協会(イエメン人実業家が一人で出資している慈善団体。)
• プログラム名:ノンフォーマル教育の充実
• 要請内容:日本語教室の運営、授業(初級レベル)。日本文化を紹介」する各種イベント、教室。日本を紹介し、相互の友好を深められるよう活動を行う。
• 沿革:1990年ごろ設立された協会。2002年に日本大使館より日本語教室を継承。2005年より青年海外協力隊員派遣。

要請時アクター
・ カウンターパート
  ダイレクター 男性60歳代2名
  事務職員 男性、女性20歳代各1名
  日本語講師 イエメン人男性1名、日本人女性1名
・ 指導対象者:10歳代から社会人までのイエメン人、初心者中心。詳細後述。

 活動開始時(2008年2月)、アクターたちにはつながりはあまり見られなかった。日本語教師は担当のクラスの学生に日本語を教え、協会職員は学生の登録をしていた。学生は日本語教室やクラブ活動に来て、仲間と会って雑談をして帰っていった。各人各様に点で動いていたが、誰もが日本がなんとなく好き、協会もなんとなく好き、といった仲良し集団的な、ゆるやかな一体感があった。職員も学生も、時間は守らないものの一応協会に顔は出し、日本人の来訪者があると、学生たちは素直な好奇心とイエメン的ホスピタリティで話しかけ、来訪者たちは非常に心地よい時間をすごしていった。アクター間の相互作用と言えるほどではなかったが、それぞれのアクターたちのキャラクターはあたたかく、協会という空間を共有し、いい雰囲気をつくっていた。

<補足資料>
• 日本語講座学生登録者数は40名、修了者は33名。常時出席者は20名程度。学生たちは、イエメンでいえばある程度以上の富裕層の子弟である。日本語はイエメンでは将来的にも収入につながる可能性がないため、講座料は破格に安かったが、趣味として語学を学べる層に限られた。1講座の学生数は4名程度であり、講座間の交流もほとんどなく、なんとなく時間に来て、なんとなく帰っていっていた。文化的にも、男女が一緒に学習すること自体が珍しい(どちらかというとタブーとされる)ため、学生同士の交流も少なかった。
• 日本語教師はJOCVを含め3名、6レベルを分担、共通のテキストを使っているが、教師間連絡はなし。現地教師への謝礼は協会職員から行っていたが、3ヶ月~半年遅れることもしばしばあった。日本語教師のレベル的には初学者、初級前半の指導としては大きな問題はなかった。
• 協会職員女性はほとんど席におらず、マネージャー室(応接セットなどが置いてあるが空室)で英語のテープをきいていたりしていた。仕事がきらいにも見えなかったが、熱心に仕事をすることもなく、暇をもてあましているというかんじだった。勤務時間は午前10時から1時、4時から6時、ちょうど講座の開始する時間(午後2時)には休憩中。
• 協会職員男性は、協会に住んでいたが、ほとんど協会の日常運営は関与せず、出資者の私設秘書として午後6時ごろから深夜に勤務。協会の仕事としては主に現金の出納をしていた。

3.アクター間の相互作用の開始と効果
 ほとんど組織としての動きには見えなかったが、前述のようにゆるやかな一体感があったため、アクター間の交流を開始するのは難しくなかった。

 JOCVは、まず、協会の運営に必要なため、職員の勤務内容や時間等を把握し、役割分担を明確にした。また、講師、職員、学生が一同に会するよう職員の勤務時間帯を修正した。講座に関する連絡事項等の掲示を開始、協会の連絡は講座に関することも含めすべて職員を窓口とした結果、講師-職員、学生-職員という、職員を中心とした相互作用、コミュニケーションが発生した。職員は連絡をするために講師の意図を理解する必要があり、また、学生の質問の窓口もここに集約したため、その質問に答えるため必然的に理解が深まった。学生は講師には敬意を払うが職員の存在を軽視する傾向が以前は見られたが、これにより職員の地位も上昇した。協会行事である修了式などの式典の司会は役割分担上日本語教師に依頼していたが、そこでは必ず職員への謝辞を述べ、会場全体から拍手を贈り、縁の下の力持ち、黒子で看過されがちな職員の存在と貢献を協会全体の全アクターで認識した。

 学生からの協会に対する質問、講師や講座への不満等すべての窓口を職員に一本化したため、講師も日本語講座に専念できるようになった。講師間も、講師勉強会を開いたり、お互いの講座をききあうなどコミュニケーションの機会を設けることでアクター間の相互作用がまわりはじめた。講師間でお互いのよい部分を見ることが、日本語教師としてのレベルアップにもつながっていった。中東の日本語教育界の水準の教育を提供しているという自覚が静かな自信となっていった。

 学生には、日本文化講座を開催することで日本語講座クラスの枠を越えて学生が一同に会する機会をつくり、先輩学生が後輩学生を指導するなどにより学生同士のコミュニケーションが発生しやすい環境をつくった。これが相互作用につながった。男女が親しく話すことがタブーとされる社会環境の中で、初学者たちには男性も女性もなく話すこの環境は違和感があるが、「他人を助ける」というアプローチで払拭した。(Help は、イスラム教でも重要な教えなのである。)日本の文化を学ぶ、という目的も一助となった。協会の門を入ったら、学生たちにとってそこはもう異文化、外国、精神的な治外法権の場所である。また、これら文化講座やクラブ活動の際、その他のアクターとして、外部の日本人に協力を要請した。外部日本人にボランティアで講師や手伝いをしてもらうことにより、講師、学生、職員ともに、民間の日本人との交流の機会が増えた。日本人もイエメン人との交流を望んでおり、安全にイエメン人と触れ合うことができ、協会では日本語で話すことがそれだけでも学生たちの役に立つ。日本のことが大好きな職員や学生の中で、訪れる日本人も癒されていた。アクター間の相互作用は自然と発生し、機能していた。

 また、協会幹部に対しては、修了式などの式典には出席を促した。学生への訓示の機会や修了証書授与等の機会をつくることで協会の運営への無関心を払拭し、幹部であることを自覚するとともに誇りに思える環境を整えた。式典に出席することで、幹部と職員、講師の交流の機会は増加し、幹部と学生との交流の機会が発生した。ビジネス界で成功しているマネージャーの話は学生たちには新鮮で魅力的である。幹部に見守られているという安心感、協会への信頼感も醸成された。

 こうして、組織のアクターが複数の線で結びつき3次元化すると、どこかが抜けてもすぐに崩れることがなくなる。JOCVが任期満了によりここから抜けたあとも、現地組織だけで影響なく運営され、現在に至っている。

4.組織におけるアクター間相互作用の効果について
 以上、イエメン日本友好協会の事例を通して、アクター間の相互作用は組織には不可欠であり有効であるケースを見てきた。アクター間の相互作用には、相乗効果と減殺作用が考えられるが、当事例の場合、小さい組織だったせいか相乗効果は見られても、減殺作用を感じることはなかった。減殺作用としてたとえば足のひっぱりあいなどが考えられるが、それぞれの役割分担に各1名しかいない状態で、足をひっぱる相手もいなかった。また、当事例では、最初からアクターたちの可能性が見えており、その能力を使える場をつくるだけでよいという、非常に恵まれた環境であった。これほど素地の整った組織前組織での活動は稀であろう。前任のJOCV2名がその基盤を築いており、あとは花を開かせるだけの状態であったことを付記しておきたい。

 このような国際協力は、最終的には、協力を受ける側の自立を目的とするものである。JOCVは、アクターたちに働きかけはしたが、要請はしなかった。たとえば協会幹部への式典への参加の働きかけは職員からfaxや電話を入れる形で行ったが、これに至る方法は、JOCVが職員にそれを依頼や要請したのではない。雑談の中でJOCVが職員に「協会の幹部も来てくれたらいいのにねえ、楽しいのにねえ。」と言うと、職員のほうから「幹部なんだからほんとは来るべきなのよ。電話するわ。」といったかんじ。(幹部には給料も出ているのでその通り。)JOCVも幹部は本来来るべきだと思っているし、楽しいから来てほしいのではなく幹部の義務だと考えているのだがそれは言わなかった。要は来てもらうことが目的であってその目的が達成できればよい。来て、訓辞の場で学生たちの尊敬の眼差しを受け拍手をもらったら、次からは万難を排してでも来ようというものだ。職員はなかなか上手にそのしかけをした。いったんまわりはじめればあとはそれを応用していける。たとえばこの事例では、職員はこの幹部への手法をほかの協力候補者たちにも応用して協力者を広げていける。

 組織では、アクター間の相互作用がお互いの理解を深めるだけでなく、アクター同士の切磋琢磨、成長につながっていく。複数のアクター間が相互に作用し、相乗効果を生みだすことができれば、その組織は向上し、より堅固なものとなる。特に今回の事例のような小さな組織の場合は効果もでやすい。アクター間の相互作用が効果的に機能する組織の構築は、現地の自立化を目指す国際協力の一つの有効な手法であろう。
<約4,000字、補足部分除き約3,000字>

参考資料
・ JICA 平成19年度春ボランティア要望調査票、JOCV 要請番号JL155-07-0-11
・ イエメン日本友好協会配属、平成19年度3次隊青少年活動隊員 第5号隊員報告書

参考文献
テキスト:佐藤寛『開発援助の社会学』、世界思想社、[初版2005年]2009年
『国際協力用語集 第三版』、国際開発ジャーナル社, [初版1987年]2005年 以上