台風10号サンサンは、あちこちに被害を及ぼしながら移動している。
我が地域辺りは今夜半から明日?
良く分からないが、数日前から幾つかの警報が出たり、注意報になったり、解除されたりが繰り返されている。
雨がよく降る。
1分もしないうちにビショビショになってしまうほどの強い雨が。
そしてそれほど時間をおかず、止む。
そんな繰り返しがここ数日。
溜まっているお家仕事もなんとなく手につかず、所在なくテレビを見たり、本を見たり、その辺をチャチャッと拭いてみたり…。
大谷君が成し遂げたメジャー初の34ホームラン34盗塁の興奮もおさまり、「仕方ないな、お昼寝でもしよっか~!」とソファーに横になったら、娘が作ってくれたキルトのほつれが目に入った。
そうだ、午後はこのほつれを直そう!
キルトを持ってきてくれたときの娘のメッセージカードは、大切にとってある。
はじめに決めたのは「伝統的なパッチワークキルトにする」という1点だけでした。
そこからイメージを膨らませて……。
ずばりこのキルトのテーマは「ワイルダー家で使ってそうなキルト」。
ワイルダー家…分かるよね?
大草原の小さな家シリーズのなかで、一番好きだったのは、アルマンゾの少年時代を描いた「農場の少年」でした。
引っ越しを繰り返したインガルス家の生活も楽しかったけれど、一つの場所に根をおろした農民の生活がとても興味深かったのです。
開拓時代の家庭で使われていたようなキルト…そういう雰囲気になったと思うけど、どうかな?
気に入ってくれたら…大切にしまいこんだりしないでください。
生活の一部に置いてください。
ボロボロになるまで使ってもらえるのは制作者にとっての一番の喜び。
長い間しまいっぱなしだった着物も喜ぶと思うよ。
祖母の形見を母のためにリメイクする…。
チクチク縫いつなげる幸せな時間をありがとう。
生存していたら100歳超の母の着物の劣化していない部分を利用して、娘が10年ほど前にチクチクと縫ってくれたキルト。
彼女の願いどおり生活の一部となり、1年中ソファーの上に置いてある。
私の身体がすっぽりおさまるサイズで、私のみならず孫や子たちの昼寝時のお腹を冷やさないよう働き続けている。
※母~私~娘の頭文字が刺繍されている。
愛してやまない「赤毛のアン」と共に、「大草原の小さな家」シリーズも愛読していた。
本箱にはローラ・インガルスの幼少期から、アルマンゾと結婚して母となってからのほぼ一生が記された本が並んでいる。
子供のためにではなく自身のために揃えた本で、何度かの引っ越しも共に経てきて、今でも大切にしている。
ときどき「昔読んだ本をもう1度」と称して古い本を引っぱりだす。
そろそろ、大草原の小さな家もいいかな?
とても思慮深く優しく器用な娘さん
そして愛溢れるメッセージカード
>祖母の形見を母のためにリメイクする…。
チクチク縫いつなげる幸せな時間をありがとう。
この言葉からも深い愛を感じます。
あたたく優しい、ほんとに素敵なキルトですね。
ありがとうございます。
娘は、看護学校卒業直前に交通事故で、けっきょくは看護師にはなれなかったし身体にも障害が残りましたが、一生懸命生きてきました。
その分キツイ子ですが、思いやりも人一倍あるような気がします。
私が一人暮らしになってからは、夏場は月に4~5日、東京から手伝いに来てくれます。
今月は休みを利用して連れ合い君も一緒に来るとか。
最近は草刈り機に夢中になっています。
大人同士になった娘っていいですね。
あのキルトはとても貴重な物だったのですね!
素敵な贈り物ですし、「チクチク縫いつなげる幸せな時間をありがとう」本当に私もこのような気持ちでキルトをしています。
「農場の少年」興味深く読みました!インガルス家と違い、土地に根を下ろした豊かな生活は食事や生活に表されていますね。そしてよく働く事!
夫も10歳頃から田や畑の手伝い、家畜の餌やりと働いたそうで、ふと重なって読みました。「赤毛のアン」は中学生の頃からでしたが、大草原シリーズは親になってからですので視点や感じ方が違っていますね。
こんばんは!
今日も一日滝のような汗をかきっぱなし。
たしかに朝晩はちょっとだけ涼しく感じられるような気がしますが、残暑は長いとの予報にげんなりです。
娘の縫ったキルトはかなり傷んできました。
もともとの布がかなり昔のものですし、1年中使っていますから。
でもキルトって丈夫ですね。
まだまだずっと使えそうです。
私、アンと出会ったのは20歳くらいかな、遅かったです。
ローラはやはり親になってからで、テレビドラマがきっかけでした。
アンは想像の物語だけれど、ローラは自伝なので、物語への接し方はちょっと違いがあるかもしれないけれど、どっちも大好きな愛読書です。
ご主人もせっせとお家の手伝いをなさったんですね。
私も農家生まれなので、小さい頃から手伝わされましたが、それが当たり前であった時代でした。
でも作業が嫌いでサボってばかり。
まさか55歳をすぎて、野菜作りが大好きになるなんて思いもしませんでした。