如意樹の木陰

古い記事ではサイババのことが多いです。
2024年に再開しました。

無題

2007-04-19 22:19:52 | Weblog
また、あいだを空けてしまった。

おじの病が重篤と聞いて、病院に見舞いに行った。
看護婦に病室を訪ねると「自宅に帰った」と言う。
病の具合を尋ねると「自宅に帰ったので、電話で問い合わせて下さい」と言う。
それで、自宅を訪ねてみたら、先ほど病院で亡くなったので、家につれて帰ったところだという。
なるほど「家に帰った」と言うのはそういう意味だったかと、はじめて気がついた。
しかし、なぜ「お亡くなりになりました」とは言えないのだろう。
個人情報になるからだろうか?
それとも、病院では、そのようには言わない習慣でもあるのだろうか?

姪が、理学部に入ったという。
入学祝に何か本をあげたいと思った。
しかし今の時代、本はあふれている。
だが、あまりに多いので、よい本にめぐり合えないかもしれない。
よい本に早く出合えれば、ずいぶん人生は変わるかもしれない。

ところが、ではどの本がよいかとなると、そう簡単ではない。
とりあえず、科学者の卵に贈る本としてふさわしいものにしたいのだが・・・
科学に神秘主義的な思想を絡めたような内容の本は、これから科学を学ぼうとする若者に送るにはふさわしくない。
そういった本に興味があるならかまわないが、あえて薦めるべき本ではない。
もっと本筋に近いもので、楽しめるもの。ある程度評価の定まったもの。無難なもの・・・
だいぶん選択肢が少なくなってくる。
で、「自然界における左と右(紀伊国屋書店)」。彼女は私と同じ左利きだから、多少興味のわき方も違うと思う・・・

左利きでないと気づかないかもしれないが、世の中のあらゆるものは右利き用にできている。
パソコンのキーボード、電卓、カメラ、電話機、ほとんど全ての刃物。あらゆる機械のスイッチ類が向かって右についているのもそういうこと。
昔は、無理して左利きを右に矯正したものだが、今は本人の自由に任せるのが一般的らしい。私もそれがよいと思う。
ダビンチもアインシュタインも左利きだし、アメリカの映画俳優には左利きが目立つ。
ただし、インドに行ったときには少しだけ気になったが・・・左手は不浄とか・・・そういう伝統的習慣も必要がなくなればだんだん薄れてゆくのだろうと思う。

春になって、少し仕事が落ち着いてきたら気持ちが緩んできて、軽い「燃え尽き症候群?」。言い方を変えれば充電期間。それも必要。
桜は綺麗だし、新緑もすばらしい。
たとえば、来年この新緑を見ることができないかもしれないと思って桜や新緑を見れば、また一段といとおしく美しく華やいで見えたりする。
若いうちはそんな事を思ったりする余裕もなかった。
そういえば今年は花の種をたくさん蒔いた。これで7月頃から秋いっぱい、庭に花が絶えることはないと思う。

それから先日、お寺の役員の交代があった。新任の役員が前の役員に学んだ事を話していた。
穏やかにものごとを進める事。そのためにはものごとに白黒をつけないようにすること。ものごとを決めるのに多数決を使わないようにすること。
ちょっと目からウロコ。なるほどと思う。しかし、なかなかむずかしい。何をするにも時間がかかりそう。しかし、そうしないとどこかにしこりが残るのだろう。