海上自衛隊大湊地方隊史料館「北洋館」。むつ市大湊町。海上自衛隊大湊地方総監部内。
2022年10月2日(日)。
スラバヤ沖海戦は、太平洋戦争最初の水上部隊間の海戦である。1942年2月27日,ジャワ(インドネシア)攻略に向った輸送船団を護衛する日本の艦隊は,スラバヤ沖でアメリカ,イギリス,オランダ混成艦隊の攻撃を受けた。日本側は、蘭印部隊(蘭印部隊指揮官/第三艦隊司令長官高橋伊望海軍中将、旗艦「足柄)麾下の、第二水雷戦隊、第四水雷戦隊、第五戦隊、第四航空戦隊、第十一航空戦隊等であった。連合国側は巡洋艦5隻,駆逐艦 10隻。3月1日までにわたる砲戦,魚雷戦によって,連合国の巡洋艦2隻,駆逐艦5隻が沈没、日本側は駆逐艦1隻の損傷で、日本海軍は連合軍の艦隊を撃破した。
3月1日昼間の戦闘後、第三艦隊司令長官の高橋伊望中将は、艦隊に海上を漂流中の連合国軍将兵の救助活動を命じ、3隻の駆逐艦が救助にあたった。山風はエクセターの生存者67名を救助した。
午後10時頃、駆逐艦「雷(いかづち)」は漂流していた連合国軍将兵を発見すると、潜水艦による攻撃といった様々な危険を承知で救助作業に入った。漂流するイギリス兵は、重傷者の後にエクセター、エンカウンターの両艦長が上がり、その後雷に殺到して一時パニックに陥ったが、ライフジャケットを付けたイギリス青年士官が号令をかけると整然となった。この青年士官は、独力で上がれない者には、雷が差し出したロープをたぐり寄せて身体に巻きつけ、そして「引け」の合図を送り、多くの者を救助していた。救助時、イギリス兵達がライフジャケット等を着用しているのを見て日本兵は大変驚いた。
雷に救助されたイギリス兵達は暖かいもてなしを受けた。艦長伝令の佐々木氏によれば、日本側は貴重な真水や乾パンを彼らに配給したが、イギリス兵たちは必要なだけ取ると日本側へ返却し、佐々木氏を驚かせた。 日も暮れ始める頃にはすっかり両軍の兵士達は打ち解け合ってしまい「艦内軍紀を厳守せよ」との指示が出された。
電、雷の2駆逐艦は、イギリス滞在歴があり親英的な感覚を持っていた高橋中将の直属かつ単艦行動中だった幸運が重なり、艦長の決断と個性が遺憾なく発揮された。エンカウンターの将兵を救助した雷駆逐艦長の工藤俊作少佐は、英語で「諸君は果敢に戦われた。今、諸君は大日本帝国海軍の大切な賓客である。私はイギリス海軍を尊敬するが、日本に戦いを挑む貴国政府は実におろかである」と挨拶している。雷の乗組員は、日露戦争蔚山沖海戦でロシア海軍装甲巡洋艦リューリクの乗組員を救助した上村彦之丞中将の気分だったと回想している。
このあと、奥薬研温泉へ向かった。