いちご畑よ永遠に(旧アメーバブログ)

アメーバブログ「いちご畑よ永遠に(旧ヤフーブログ)」は2023年7月に全件削除されましたが一部復活

釧路市立博物館①埋蔵文化財調査センター 釧路炭田 縄文土器 東釧路式土器 

2024年07月05日 09時10分38秒 | 北海道

釧路市立博物館。釧路市春湖台。

2022年6月12日(日)。

釧路湿原の南西端にある国史跡・北斗遺跡の見学を終え11時半ごろ、釧路市街地南東端にある釧路市立博物館へ向かった。12時15分ごろ博物館前の駐車場に着いたときは、激しい雨に見舞われた。

釧路市立博物館はたしかに威容のある建築物だ。1983年竣工、日本建築学会賞受賞作品タンチョウヅルが羽を広げヒナを抱くイメージで設計されたという。同じく毛綱毅曠(もづなきこう)の設計である釧路湿原展望台のミニ展示で見たとおりだった。一般的にはポストモダン、反機能主義とされるが、シンボリズム建築、現代のアールデコ、現代の神殿建築といえる。しばらくすれば、毛綱毅曠の建築群は重要文化財や世界遺産に指定されるだろう。権威主義・アカデミズムに目が曇らされなければ価値が分かるはずだ。

釧路市埋蔵文化財調査センター。博物館エントランスの西ウィングに土器の展示室がある。

釧路炭田の石炭はおよそ7000万年前の地層が屈曲してできた(褶曲という)凹地(くぼち)に植物や動物の遺骸がたまり炭化したものである。西側の浦幌・白糠の石炭層は最も古く、ついで雄別、さらに春採の石炭層順に堆積したと考えられている。

釧路炭田の形成は、約3800万年前の古第三紀漸新世の時代で、釧路管内を中心に、釧路沖の海底を含む広い範囲に浦幌層群と呼ばれる地層が堆積し、そのなかの春採(はるとり)層・天寧(てんねる)層・雄別層・双運層・尺別層に石炭が含まれている。

これらの地層の中には石炭の層が数十枚あり、普通1から3mの厚さだが、5mをこえるものもある。

釧路炭田の炭質は、発熱量は1kgあたり平均5000~6200calで、また揮発分が多く火がつきやすいため燃料用に適している。石炭は、植物が砂や泥にうめられて、長い地質時代をへて泥炭から亜炭、そして石炭へと変化したものである。

釧路の炭鉱は、現在日本で唯一の坑内掘り炭鉱として知られている。

釧路炭田は、函館港開港にともない1856年(安政3年)から採掘をはじめた北海道最古の炭田である。釧路総合振興局から十勝総合振興局の東部に広がる埋蔵量は25億トンの国内最大級の炭田である。日本国内唯一となる坑内掘り炭鉱が年50万トンで生産している。 炭質は亜瀝青炭。炭層が国内の他の炭田に比べて褶曲などが少なく水平でありメタンガス等の包含が少ないため生産の機械化、自動化によって鉱山事故の発生が極めて少ない良鉱である。 太平洋興発は釧路の太平洋炭礦が源流である。

江戸幕府が開国後、1856年に釧路市岩見浜(オソツナイ)で試掘を、翌年には国内最古とされる近代式炭鉱を白糠町の石炭岬に設置したのがはじまりである。

明治20年代から安田財閥による跡佐登硫黄鉱山の経営をきっかけに(硫黄製錬と輸送のための燃料として)、また大正期からは三井財閥、三菱財閥、といった財閥による炭鉱開発が積極的に行われた。釧路地域は、釧路港の開港、硫黄、木材、水産資源、そして石炭といった豊かな天然資源により、東北海道最大の都市として発展してきた。

第二次世界大戦後も、石狩炭田に次ぐ道内2位の炭田として、石炭を京浜工業地帯をはじめ東日本を中心とする各地の工業地帯へ供給し続けたが、エネルギー革命による石油燃料への転換、内外石炭価格差の拡大などを理由として、石炭政策下、1970年までに太平洋炭礦を除いてほとんどが閉山した。現在は、2002年に太平洋炭礦を縮小の上、継承した釧路コールマインが経営する『釧路炭鉱』が年間50万トンレベルでの生産を続け、また、ベトナム等への生産・鉱山保安等に関する技術移転を経済産業省の事業の受託として実施している。

釧路湿原おいたちは、最後のウルム氷期の中でも最も寒冷だったおよそ2万年前にさかのぼる。この時期の気温は現在より10℃近くも低く、海面は約100m低下したため、北海道とシベリアが陸続きとなった。

その当時、今日の湿原域は平らな台地で、川がこの台地を浸食し、現在の河川や谷の原型を作った。その後ゆっくりと気温が上昇し海氷が融け始めたため、陸地へ向かって海が広がる縄文海進が始まった。

約6千年前には最も奥深くまで海が進入し、現在の湿原域のほとんどが海に覆われ。この頃を境に気温は徐々に下がりはじめたため海は退き、約3000年前にシラルトロ湖、塘路湖、達古武湖を海跡湖として残し釧路湿原が誕生した。

釧路湿原の約80%をヨシやスゲの湿原が占めている。ここは川や湧き水で潤されており、常に地下水位が高いという特徴がある。

地表面が地下水位よりも下にあるので、低層湿原とも呼ばれており、ヒメカイウ、ミツガシワなどの植物が多く見られ、ハンノキが林を作っている。

また湿原のいたる所には、池や沼の表面が植物の成長によって埋められてできた谷地眼(やちまなこ)と呼ばれる深い壷状の沼地がある。

ヨシやスゲなどの植物遺体がさらに堆積すると、やがては流水の影響をまったく受けないミズゴケ湿原になる。ミズゴケ湿原の地表面は地下水位よりも高くなるため、高層湿原とも呼ばれる。

高層湿原が釧路湿原に占める割合はわずか2%程度で、ヒメシャクナゲやイソツツジ、ツルコケモモ、モウセンゴケなど、高層湿原特有の植物が見られる。

 

縄文時代早期の土器。

道東の早期には,テンネル・暁式→条痕文系土器群→石刃鏃石器群を伴う土器群という大きな変遷がある。

条痕文系土器群とは,東釧路Ⅰ式・大楽毛式・下頃辺式・沼尻式などと呼ばれてきたものを総称したものである。

沼尻式土器。貝殻を押しつけたり引きずったりして施文した文様を特徴とする貝殻文・条痕文土器のグループで、沼尻遺跡で出土する条痕文のある平底土器。道南西部では土器の底がとがる尖底土器が中心となるのに対し、道東部では平底土器になる。平底土器は液体や食糧などを入れるのに用いられたもので、尖底土器は煮炊き用として使用されたものであった。

大楽毛式土器釧路湿原西側の代表的な遺跡大楽毛遺跡から出土。口縁部に微隆起線を大きく波型に貼付した土器。微隆起線上には刻み目を付ける例が多く、胴部には貝殻条痕文が施されている。

東釧路Ⅰ式土器。筒形・薄手で、土器の表面に繊維質の工具で横方向に擦ったあとが残された特徴をもつ。口が平らなものと波状のものがある。表面に明瞭な文様はない。

 

東釧路貝塚。

東釧路貝塚は、北海道釧路市貝塚一丁目にある縄文時代の貝塚遺跡。国の史跡に指定されている。

北海道釧路市貝塚にある縄文時代早期から近世にわたる、14層以上をもつ複合遺跡で、とくに縄文時代前期の貝塚としては、北海道内では最大規模である。根室本線の東釧路駅に南接し、釧路湿原に面する標高15m前後の平らな台地にある。

縄文時代前期の貝塚の大きさは、東西120m、南北90mの範囲で大小あわせて11のブロックが確認されている。貝層は厚いところで1mもあり、貝類の70%がアサリで占められ、カキ、ホタテ、ウバガイ、オオノガイなどの現生種とともに暖海性のアカガイ、シオフキなども含まれる。

魚類ではニシンが多く、サケ、マス類もみられる。

トド、アシカなどの海獣類や魚類、鳥類などの骨、また、押型文土器も出土している。

食料が手に入った時に行う儀式の場としても利用されていたとみられ、貝層中にはイルカの頭骨が放射状に配列されていた。トド、犬を埋葬した跡があり、イヌにはベンガラが振りかけられており宗教性をうかがわせる。

下層からは縄文時代早期の小貝塚、土器および多数の屈葬人骨が出土している。

墓壙は貝塚の広がる北東側から南東側にかけて、縄文時代前期を中心として、まとまって見つかっており、未発掘分も含めて200基ほどあると考えられる。それに対し住居跡は1軒しか発見されていない。

縄文時代早期の土器群(東釧路I式~IV式)が貝層下から、貝層中からは東釧路V式土器が出土した。また、縄文前期の豊富な骨角器(骨針、組合せ式釣針、装飾文様のある銛、ヤス、ヘアピンなど各種)も出土している。

東釧路III式土器。

東釧路貝塚で出土した土器は地層の下のほうから、東釧路I式、II式、III式、IV式、V式と名付けらた。

東釧路III式は縄文時代早期の終わり頃、北海道内に広く分布した土器で、鉢型の土器で底が平らでクの字状に張り出す特徴を持っている。

縄文時代に入って縄文の文様がもっとも発達した時で縄や紐を転がしたり、押し付けたりして文様がつけられている。

北筒式土器(ほくとうしきどき)縄文時代中期、約4500年前から、4000年前ころまでの円筒形の縄文土器。円筒形の器形は、東北北部・道南部の円筒土器文化から引き継がれたものである。

北筒Ⅰ式土器は、のちにモコト式土器と呼称され、北筒式とは異なる型式として認識されている。

北筒Ⅱ式土器は初期の土器で、北見市常呂遺跡から出土した最古のトコロ6類土器と次の段階のトコロ5類土器・細岡式土器に相当する。

最も古いグループのものは「トコロ6類土器」と呼ばれている。口の部分がやや分厚く作られ、その下に丸い穴がめぐる。胴部は下まで隙間なく縄文がつけられている。

釧路市北斗遺跡からは、これまで時期的な変遷が不明瞭であった北筒様式の土器群が層位的に発見され、第1段階から第5段階にいたる内容がはじめて明らかにされるにいたった。

釧路市 史跡北斗遺跡展示館②北斗遺跡の縄文時代



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。