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長岡市馬高縄文館。長岡市関原町。
2023年9月26日(火)。
岩野原遺跡。長岡市深沢町。
馬高遺跡の南方、長岡市西部の信濃川左岸に広がる越後丘陵東部の渋海(しぶみ)川左岸、標高55mの河岸段丘上にあった縄文時代の大規模な集落跡。昭和53~55年(1978~80)、長岡市教育委員会が遺跡全域にわたる発掘調査を実施した。
遺跡の範囲は東西約300m・南北約150mの舌状台地上に及び、台地先端部の東側に中期の集落、台地中央部の西側に後期の集落が広がっていた。いずれも中央の広場を中心に住居跡や貯蔵穴等が環状に巡る典型的な縄文集落である。
中期の集落には竪穴住居跡82棟、貯蔵用の土坑60基、墓穴とみられる多数の土坑、膨大な遺物を廃棄した土器(ゴミ)捨て場2か所などが確認された。また、後期集落では、竪穴住居跡77棟、貯蔵用の土坑やその他多数のピット群のほか、高床式とみられる掘立柱建物跡5棟や敷石住居1棟が発見された。出土した遺物は膨大な点数に上り、火焔型土器をはじめとする土器類、多種多様な石器類がみられる。出土品は馬高縄文館で展示されている。なお、遺跡は調査後に関越自動車道の土取工事で消滅した。
火焔型土器のほかに、縄文時代中期中葉・東北地方南部の大木(だいぎ)8b式土器、縄文時代後期後葉・東日本に広がる加曽利B式土器が出土している。
新保(しんぼ)・新崎(にんざき)式土器。
現在の富山・石川県域を中心に流行した。新潟平野周辺の中期初め頃は、新保式・新崎式という北陸地方と同じ土器が分布し、中頃から終わりにかけては東北南部の大木8a 式~大木 10 式土器の分布圏に入る。阿賀野川下流域では、大木8a 式土器を主に、馬高式土器も一緒に使われている。この地域では、新崎式の特徴である細い竹を半分に割った道具が、次の時期の馬高式や大木8a 式で2~3本の並走沈線を引くのに使われ、伝統の用具として伝わった。同じ土器型式の広がりは、山間部でも大きな川沿いを交通路として人が動き、モノが運ばれ、情報も伝わってゆくことを示す。