いちご畑よ永遠に(旧アメーバブログ)

アメーバブログ「いちご畑よ永遠に(旧ヤフーブログ)」は2023年7月に全件削除されましたが一部復活

新潟県 長岡市馬高縄文館④三十稲場式土器 藤橋遺跡 

2024年01月31日 14時21分50秒 | 新潟県

長岡市馬高縄文館。長岡市関原町。

2023年9月26日(火)。

特別展 土偶と石棒-縄文の精神文化-

三十稲場(さんじゅういなば)遺跡は、縄文時代後期(約4500年前~3200年前)の遺跡であり、隣接する縄文時代中期(約5500年前~4500年前)の馬高遺跡と同じ規模をもつ大集落址で、ダルマ形の石囲炉や住居址、それに多くの出土品は馬高遺跡に勝るとも劣らない内容をもっており、新潟県を代表する遺跡である。

新潟県の縄文時代後期前葉を代表する「三十稲場式土器」は全体に爪で突いたような「刺突文」と呼ばれる文様が付けられ、また縄文時代には珍しい蓋形土器を作り、煮炊きに使用した深鉢形土器も蓋を受けることを意識して口縁部が外へ開いた特徴的な形に作られている。蓋形土器の内側にはオコゲが付着しているものもあり、単なる飾りでなく実際に使用されていたことがうかがわれる。

入り組んだモチーフを彫り込んだ岩版や翡翠や滑石を磨いた玉砥石なども出土しており、縄文人の精神性の豊かさが垣間見える。また、深さ3mにも及ぶ巨大な穴も見つかっており、土器を作る原料である粘土の採掘坑ではないかと注目されている。

16時30分ごろに馬高縄文館を出て、南西へ約3キロ離れた低丘陵に位置する縄文時代晩期の集落跡・藤橋遺跡へ向かった。16時40分ごろに「藤橋歴史の広場」の駐車場に着いた。施設として、「ふじはし歴史館」と「遺構展示館」があるが17時閉館である。駐車場は南端にあり、歴史館まで500mほどある。途中まで歩いてあきらめた。帰る途中に道路脇に駐車して復元された掘立柱住居を眺めてみた。

国史跡・藤橋遺跡。長岡市西津町。

長岡市附近では、信濃川の左岸に4段の河岸段丘が発達しており、多数の繩文時代の遺跡が分布している。本遺跡は、その最下段に所在し、繩文時代後期から晩期に至る集落跡である。

遺跡のほぼ中央部に小谷が西に向かって入りこみ、それを囲む台地上に住居跡や土壙など多数の遺構が確認され、膨大な量の遺物が発見された。また、遺物包含層は小谷にも及び、木器など有機質の遺物を遺存する泥炭質の包含層の存在が予想される。

住居跡については、柱穴と考えられるピットが密集している。縄文時代では珍しい高床式構造の「掘立柱建物」が多数発見されている。

発見遺物には、繩文時代後期から晩期に至る各時代の土器群があり、特に晩期終末に属する一群は最も量も多く、藤橋式土器として越後・会津地方一帯の標式土器とされている。

石器も多種多様で、石剣・石冠がみられる。玉類には勾玉・丸玉があり、材料には滑石のほかヒスイが含まれ、なかには未完成品もある。ヒスイの原石を入手して玉作りをしていた晩期の集落跡は、山形県玉川遺跡、青森県亀ヶ岡遺跡の2遺跡があるが、本遺跡が単なる地方的な大規模集落にとどまらず、より広域な地方における中心的な存在であったことを示唆する。

 

このあと、長岡インター近くの道の駅「長岡」に向かった。

新潟県 長岡市馬高縄文館③土偶と石棒-縄文の精神文化-



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。