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秋田県北秋田市 世界遺産・伊勢堂岱遺跡 ①環状列石

2023年08月27日 11時21分41秒 | 秋田県

世界遺産・伊勢堂岱(いせどうたい)遺跡。秋田県北秋田市脇神字伊勢堂岱。

2022年10月5日(水)。

秋田県鹿角市の道の駅「おおゆ」から伊勢堂岱遺跡のガイダンス施設である伊勢堂岱縄文館(北秋田市脇神字小ヶ田中田)へ向かい、9時前に着いた。9時開館から見学したのち、遺跡現地へ徒歩で向かった。

伊勢堂岱遺跡を最後に、2022年6・7月に北海道、9・10月に青森・岩手・秋田の「世界遺産・北海道・北東北の縄文遺跡群」を全部見学したことになった。

歩道を振り返ると、伊勢堂岱縄文館、秋田内陸縦貫鉄道「縄文小ヶ田駅」南方の高架橋が見える。

湯車川に架かる縄文渡橋を渡り、北西の台地へ坂道を登る。

遺跡に着き、環状列石Aから順次見学した。

伊勢堂岱遺跡は、秋田県北部の北秋田市に所在し、米代川沿岸の2つの河川に囲まれた標高42~45mの河岸段丘上に立地する。環状列石が集中する段丘端部からは、白神山地をはじめ遠方の山並みを望むことができる。食料となるサケ・マスが遡上し、捕獲できる河川近くであり、後背地には落葉広葉樹の森が広がっていた。

伊勢堂岱遺跡は、縄文時代後期前半(約4000年前)の環状列石を主体とする祭祀遺跡であり、内陸地域における生業及び祭祀・儀礼の在り方を示す遺跡で、隣接して4つもの環状列石が確認されている例は他にない。

遺跡からは、4つの環状列石を主体に、配石遺構、掘立柱建物跡、土坑墓、貯蔵穴、溝状遺構などが見つかっている。環状列石の下部には死者を埋葬した土坑墓がみられ、共同墓地であるとともに、祭祀・儀礼の空間でもあったと考えられる。

周辺からは、土偶、動物形土製品、鐸形土製品、岩版類、三脚石器、石剣類など祭祀・儀礼の道具も多数出土している。

環状列石Aは直径が約32mで、北側だけが2重に造られている。

環状列石Bは、長さ15mの弧状をしており未完成の環状列石だとされる。環状列石Bの土坑墓からは完全な形で復元できる板状土偶が発掘されている。

環状列石Cは、直径が45mで4つの環状列石の中で最大で列石の輪が三重になっている。周囲には6本柱の掘立柱建物跡があり、これは大湯環状列石にも共通するものである。

石を縦横に組み合わせた構造もあり、これは、青森市の小牧野遺跡の小牧野式配石と呼ばれるものと共通する珍しい配石である。

環状列石Dは直径約36mで2重の環状列石である。

環状列石Cと環状列石Dは半分程度発掘調査が終了しており、発掘技術の向上後に残りの部分を発掘する予定である。

立石(日時計様組石)や列石に建物が附属する点では大湯環状列石との共通点があり、また、小牧野式配石もみられる本遺跡は、同一遺跡のなかで異なる文化要素をあわせもっている点で着目される。

大湯環状列石では立石下に死者が埋葬されているが、伊勢堂岱遺跡では丸く配置されている石の中央に死者が埋葬されている。

秋田県鹿角市 世界遺産・大湯環状列石 ④縄文土器 土版 土偶


秋田県鹿角市 世界遺産・大湯環状列石 ④縄文土器 土版 土偶

2023年08月26日 10時56分21秒 | 秋田県

世界遺産・国特別史跡・大湯環状列石。大湯ストーンサークル館。秋田県鹿角市十和田大湯。

2022年10月4日(火)。

土版(どばん)は、粘土板の表面に付けた穴で人間の体と数字を表現しているが、その内部に消化管に似た貫通孔があることがレプリカの制作過程で分かった。縄文人は体内の構造を理解していたとも考えられる。

大湯環状列石が作られた時期には、土偶、キノコ形土製品、動物形土製品、足形付土版などの土製品や、石棒、石刀などの石製品といった祭祀に関係するとみられる道具がたくさん作られた。

土偶や足形付土版は子孫繁栄や子どもの成長を祈り、キノコ形土製品、動物形土製品は豊作を祈り、感謝するマツリに使用されたものと考えられる。

 

 

見学後は道の駅「おおゆ」へ向かった。雨は翌朝には止んでいた。翌朝は最後の見学地である秋田県北秋田市の世界遺産・伊勢堂岱遺跡へ向かった。

秋田県鹿角市 世界遺産・大湯環状列石 ③縄文土器 十腰内式土器 大湯式土器

 


秋田県鹿角市 世界遺産・大湯環状列石 ③縄文土器 十腰内式土器 大湯式土器

2023年08月25日 11時16分22秒 | 秋田県

世界遺産・国特別史跡・大湯環状列石。大湯ストーンサークル館。秋田県鹿角市十和田大湯。

2022年10月4日(火)。

遺跡は1931年(昭和6年)に発見され、約130mの距離をおいて東西に対峙する野中堂と万座の環状列石で構成されている。この遺跡を全国的に有名にしたのは、太平洋戦争終戦直後の1946年(昭和21年)の発掘調査を、『科学朝日』が紹介したことである。そして、1951年(昭和26年)と1952年(昭和27年)には、文化財保護委員会と秋田県教育委員会が主体となって、本格的な学術調査が実施されている。

 

発掘調査では、たくさんの遺構とともに多量の縄文土器、石器、土製品、石製品が出土している。

土器は、縄文時代後期前葉から中葉に作られたもので、一般的には「十腰内(とこしない)式土器」とよばれるが、花弁状の文様や、S字を横に連続して施文したものなどは「大湯式土器」ともよばれている。

十腰内式土器は、縄文時代後期を代表する遺跡の一つ青森県弘前市の十腰内遺跡の出土土器を標式として設定され、東北北部に広い分布をみせる。

沈線(ちんせん)で描かれた入組(いりくみ)・山形・同心円などの文様を主体とするⅠ群(式)土器、器面に疣(いぼ)状の小突起のある十腰内Ⅴ群(式)など特徴的な文様をもつ土器が多く、器面に磨きをかけ光滑を有するもの、施された縄文の上を軽く擦って縄目文様を潰した磨消縄文(すりけしじょうもん)もみられる。また器形では壺の形状を示すものも多く、後半期には土瓶(どびん)形の注口も出現するなど、器形がバラエティに富み、現代人が用いる食器類の根源的様相を抱かせている。

縄文時代後期になると、用途に合わせたさまざまな形の土器が作られるようになる。大湯環状列石で多く出土した「片口土器」もそのひとつで、この遺跡を代表するものである。

 

秋田県鹿角市 世界遺産・大湯環状列石 ②日時計と太陽の運行


秋田県鹿角市 世界遺産・大湯環状列石 ②日時計と太陽の運行

2023年08月24日 11時51分49秒 | 秋田県

世界遺産・国特別史跡・大湯環状列石。大湯ストーンサークル館。秋田県鹿角市十和田大湯。

2022年10月4日(火)。

 

「大湯環状列石発掘調査報告書」鹿角市教育委員会 2017年3月刊より。

野中堂環状列石。

大湯環状列石は、河原石を菱形・円形・楕円形に並べた組石の集合体が外帯と内帯の二重の同心円状(環状)に配置されている配石遺構である。

環状列石の最大径は万座環状列石が52m、野中堂環状列石が44m。配石遺構は万座で100基以上、野中堂は60基以上ある。

その外輪と内輪の中間帯には、一本の立石を中心に細長い石を放射状に並べ、その外側を川原石で三重四重に囲んでいる。その形から「日時計」といわれており、万座と野中の両方の遺跡にある。

野中堂環状列石の中心から万座環状列石の中心を結んだ線は、夏至の日没方向と一致している。

2つの環状列石に使われている川原石の6割は「石英閃緑ヒン岩(せきえいせんりょくひんがん)」とよばれるもので、環状列石から約2~4km離れた大湯川から運ばれてきたものであることが分かっている。

中央の立石は大湯の東方約7~8kmにある安久谷(あくや)川から運んだと推定されている。

環状列石隣接地の発掘調査も行われ、各々の環状列石を取り囲むように掘立柱建物、土坑、貯蔵穴、遺物集中域(遺物が集中的に発見された場所)が同心円状に広がっていることが分かった。

環状列石周辺や台地縁の発掘調査も進んでおり、万座環状列石の北東・北西側台地縁からは竪穴住居、北東50メートル地点からは環状配置の掘立柱建物群、野中堂環状列石南側30メートル地点からは配石遺構群が発見されている。

秋田県鹿角市 世界遺産・大湯環状列石 ①ストーンサークル


秋田県鹿角市 世界遺産・大湯環状列石 ①ストーンサークル

2023年08月23日 13時29分56秒 | 秋田県

世界遺産・国特別史跡・大湯環状列石。野中堂環状列石。秋田県鹿角市十和田大湯字万座・字野中堂。

「日時計状組石」は、各々の環状列石の中心から見て北西側にあり、外帯と内帯の間に位置し、この環状列石中心部から日時計中心部を見た方向が夏至の日に太陽が沈む方向になっている。このような組石は北秋田市の伊勢堂岱遺跡にもある。

2022年10月4日(火)。

岩手県一戸町の世界遺産・御所野遺跡の見学を終え、15時30分ごろ大湯環状列石横の道路を過ぎた。見学者用駐車スペースが見当たらなかったので、そのままガイダンス施設の大湯ストーンサークル館に向かい、受付で尋ねると、野中堂環状列石の横断歩道横に駐車スペースがあると教えられた。このころから、雨が降ってきたので、まず遺跡を見学したのち大湯ストーンサークル館を見学した。

南の野中堂環状列石から北の万座環状列石方向。

湯環状列石は、縄文時代後期(約4,000年前)の遺跡で、秋田県北東部の鹿角市に所在し、米代川の支流である大湯川沿岸、山岳丘陵の末端にのびる舌状台地の先端部、標高約180mの台地上に立地する。食料となるサケ・マスが遡上し、捕獲できる河川の近くであり、後背地には落葉広葉樹の森が広がっていた。

これまでの発掘調査により、それぞれの配石遺構の下から副葬品をともなう土坑が検出されていることにより、環状列石を構成する配石遺構は「配石墓」であり、その集合体である環状列石は「集団墓」である可能性が高いと考えられている。

同時に、隣接する掘立柱建物や周囲から出土した祭祀の遺物などから、葬送儀礼や自然に対する畏敬の念を表す儀式を行った「祭祀施設」であったと考えられている。

万座(まんざ)環状列石(最大径52m)と野中堂(のなかどう)環状列石(最大径44m)の二つの環状列石があり、いずれも大小の川原石を菱形や円形に組み合わせた複数の配石遺構を環状に配置し形成されている。

組石の集合体が外帯と内帯の二重の同心円状(環状)に配置され、その外輪と内輪の中間帯には、日時計状組石といわれる一本の立石を中心に細長い石を放射状に並べ、その外側を川原石で三重四重に囲んでいる。万座と野中の両方の遺跡にある。

二つの環状列石のそれぞれの中心の石と日時計状組石は一直線に並ぶような配置となっていることから、両者を関連づけて構築した可能性は高いと考えられる。また、この直線上は夏至の日没方向ともほぼ一致する。

組石は大きいほうの万座では48基、野中堂のほうは44基ある。中央の立石は大湯の東方約7-8kmにある安久谷(あくや)川から運んだと推定されている。

それぞれの環状列石を取り囲むように、掘立柱建物、貯蔵穴、土坑墓などが同心円状に配置されている。また、環状列石の周辺からは、土偶や土版、動物形土製品、鐸形土製品、石棒、石刀などの祭祀・儀礼の道具が数多く出土している。

 

まず、野中堂環状列石から見学。

横断歩道を渡り、万座環状列石へ向かう。外帯の外に低い展望台がある。

 

万座環状列石の北西外に近接する配石遺構。

このあと、大湯ストーンサークル館へ向かった。

岩手県一戸町 御所野縄文博物館 縄文土偶「縄文ぼいん」