ドドメのぽっこりタイム

趣味の「猫写真」と日々の出来事。(=^・^=)
気ままに生きるおばさんOLの日記です。

自分が死ぬと言う事を考えた日 =東北・関東大地震=

2011年03月12日 | 日記
昨日の午後2時46分に大きな地震がありました。

地震が始まった時は、「またか」という感じだったのですが、だんだん揺れが大きくなり、一昨日の事もあったので、同僚はオフィスのドアを開け、私は社長室のドアを開け、社長に地震であることを告げようと思いました。

しかし、歩いて十歩程度の距離なのに地震は大きくなり、社長室のドアを開けた私は立っている事が出来ずそのままドアとパーテーションを握ったまま座り込む事になり、オフィスの中からは、若い女性社員の叫び声も聞こえてきました。

免震設計のビルの9Fだから揺れが酷いのかとも思いましたが、とにかくそこからは半分記憶が飛んでいます。

遊園地のアトラクションにシートベルト無しで乗っているような激しい揺れで、何かにつかまっていなければ座っている事もままならない状態。

そして、その揺れは長く長く続きました。

途中激しい衝撃と共に、コピー機がぶつかってきたり、エアコンのダクトから水が落ちてきたりしました。

またバンという大きな音とともに壁沿いにあったウォールキャビネが全て倒れて来て、私から見えるオフィスの机の上には、散乱した書類以外何もない状態になりました。

全て揺れで落ちた、いや激しい揺れで飛ばされたと言う感じです。

長い揺れの中で、ニュージーランドの人はこうして亡くなったのかという事を考え、また窓の外の風景をみながら、ココから見えるビルの何処かが倒壊したら、このビルも倒壊する恐れがある。床から落ちるか天井が落ちてくるのか・・・人間死ぬ時はこういう状態なんだ。と色々な事を考えました。

社長が

「今だ、逃げよう!」

と声を掛けて来て、私は地震が止まった事に気付き、立ち上がる事ができました。

幸い、私のいるビルは広域避難所に指定されている横浜公園の隣だったので、すぐ避難する事ができましたが、外に出て振りかえって自分のいたビルをみたら、外壁が半壊しており道路にコンクリート片や金具が落ちていました。

また二つ隣のビルは外壁のほとんどのコンクリートが落ちて、ビル全体にひびが入っており倒壊寸前。

その後、避難所でも大きな地震に見舞わられ、足元のコンクリートと煉瓦に亀裂が走り逆方向に動きだ州のを見て、ぞっとしました。

昨日は私の携帯の状態が悪く、またバッテリーも少なかったので、揺れが収まってから開いているコンビニで電池を買い、速攻で電話。

とりあえず、大阪に出張している旦那に「生きている」と言う事を伝えようたかったのですが、携帯は既に繋がらず、結局携帯が復活したのは夜の11時半過ぎでした。

しばらく横浜公園に避難した後、オフィスビルが立ち入り禁止になっている事が判ったので、歩いて帰宅する事になりました。渋滞している道路を横目に、徒歩で帰る人の群れが長く続いて一種異様な風景でした。

家に帰ってからも、余震が続き怖いというより、漠然と人間って小さい存在なんだとつくづく感じ、夜少し気持ちが落ち着いてから、お風呂に入り、身体の色々な所が痛む事。そして腕に傷がいくつもある事を発見。

改めて地震の恐怖が蘇りました。

地震は怖い。ただそれだけです。

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コンビニに行く途中、どこの局とは言いませんが地震を取材するためのクルーが、怪我人を探す為にちまなこになって走り回り、逃げたり困惑したりしている人を押しのけ、失礼な行動をしている所を見ました。

被災して恐怖におののいている人、傷ついている人がいるという事をもう少し理解して欲しい。

そして人々はニュース映像の為に怪我をしたり、悲しんでいるのではないと言う事を判って欲しいと思いました。

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コメント (7)
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