友ヶ島は無人島ではありますが、
電気は通っていますねえ。
問題は水です。
ところどころにこんな沼はありますが、
まさか飲めないですよねえ。
友ヶ島へキャンプ等で行く人も多いようですが、
まあ問題は水です。
ビールなどはお店がありますので
大丈夫ですけど、食料品も
全く手に入らないので
持参していく必要があります。
あと気にしないといけないのはマムシですね。
今回の歩きの中では3匹の蛇を見ました。
蛇の大嫌いな人もいましたので、
結構そういう刺激は強かったです。
あと、この島で覚えておかなくては
ならないことは、
もともとここは戦争時の砲台跡なんかが
くっきりと残っていることですね。
まるで宮崎駿の天空の城ラピゥタ
のような砲台跡は
何か所かこの島にはあります。
今回のコースを歩きつつ、
最初に到達するところが
「第2砲台跡」です。
うわーと、感動しつつ到着です。
しかし残念ながら、ここは
今後一切使用してはならない
ということで、爆破処理されたところです。
煉瓦の台やでかい石も
破壊されていて、
ごろごろしているが
それでも以前の姿は
何となく想像できるほどで、
結構な迫力です。
残念ながらというか幸せなことに
ここを使用したことは
一度もなかったらしいので、
残骸も負のオーラを
あまり持っていませんね。
ここの砲台にやられたあと言う
怨念もありません。
無意味なものを作ってという意味では、
ある意味負の遺産かもしれませんがね。
まあ使わなくてよかったですよ、本当に。
グルリンと砲台の周りを
まわっていくと海の見える側にも
いくことができます。
ここは眺めがとてもいいですね。
なんか戦争の厳しさと
景色の優雅さがとってもちぐはぐです。
あ、足元に何か標識がありますよ。
見てみると、これが国土地理院が
設置した一等水準点です。
水準点なんで、標高がわかる地点ですね。
そういえば、この友ヶ島には
一等三角点もありますね。
それはこれから登場してきます。
いずれにしても、戦争時は地図では
島の中身が黒く消されていたそうですが、
地理的にはきっちり
測量されていたんですねえ。
以上が第2砲台跡です。
ここから次に友ヶ島灯台を
目指していきましょう。
友ヶ島には昔灯台が二つあったそうですが、
地の島にあった灯台はもう使われていません。
この沖ノ島にある灯台が、
今も使われている灯台です。
明治初期の大坂条約によって
建設された5基の洋式灯台の一つで、
日本で8番目に竣工した西洋式灯台です。
しかも歴史的文化財的価値が高い
Aランクの保存灯台だといわれています。
広い山道を移動していきます。
この辺は道が広く整備されていますねえ。
観光用に広げたのかなと思ったら
それは大間違いです。
砲台をつなぐ山道は、
その建設や物資の補給なんかも考えて
昔から広く作られているわけです。
股関節手術をされた人にとっては、
絶好のリハビリ道ですねえ。
そのコースは途中で
第1砲台跡の横を通ります。
ここの近くには立ち寄れないように
閉鎖されていますので、残念ですねえ。
コース上から写真撮影をしておきましょう。
そしてようやく灯台にたどりつきました。
きれいな白い灯台です。
まだ現役ですからきれいに
整備されているんでしょう。
よく見ると建物にはこんな案内が
張られています。
日にちが二つ書かれていますねえ。
最初に転倒したときの日付と、
(明治5年6月27日)
再点灯の日付です。
(明治23年8月5日)
というのもこの灯台は
第1砲台が作られるときに、
25mほど移動させたそうなんです。
その時の再点灯の日付が
ここに書かれています。
続く。
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