しばらく歩いて行くと、
道にこんな犬の足跡が付けられています。
むむ、これは犬の散歩道にしなさいよ
と言う合図なのかなと一瞬考えたのですが、
すぐにわかりました。
これは「雪丸」という
犬の足跡を模しています。
聖徳太子を語るときに、
二種類の動物がよく出てきます。
ひとつは「黒駒」という馬です。
この馬で飛鳥と法隆寺をつなぐ
太子道を往復したという話があり、
法隆寺にはこの黒駒と太子の人形が
置かれています。
そしてもう一種類が彼が飼っていたという
「雪丸」という名の犬です。
聖徳太子は10人もの話を一度に聞いて、
すべていっきに理解すると
いわれていたりしますが、
彼が飼っていたこの犬も
人の言葉をしゃべるんだそうです。
そしてこの犬もなくなる前に
自らの死を予言し、
葬る先をしていたそうで、
この葬送の道にはその犬の
葬り先も通るようです。
そんな雪丸が今は王寺町のキャラクターになり、
「雪丸ロード」と名付けた道に、
この足跡を配置しているそうです。
で、この足跡をたどってゆけば、
太子と雪丸のゆかりの地に出る
ということですね。
今回はそんな足跡なんかも見ながら、
王子町役場に到着しました。
人口は約24000人、
一般会計予算は135億円。
掲示とかでこの王子町の情報を
確認した後、ひとつだけ
教えてほしいことがありました。
町の情報とか書かれた窓口に行き、
「一つ確認したいことがあるんですが」
というと、女性職員は慌てて
年配そうな男の職員を呼んできました。
え~そんなたいそうなことでは
ないのになあと思いつつ
質問を浴びせます。
「和の鐘はど~こだ?」
「あ、それならここを出て川に向かって進み、
川を渡ったら右手にありますよ」とのこと。
「大儀である」と返事し、
向かうことにしました。
「和の鐘」とは「やわらぎのかね」と読みます。
聖徳太子の十七憲法の
第一に出てくる言葉
「和(やわらぎ)を以て貴しと為し、」
から来ています。
そんな鐘がこの葛下川を渡ったところに
設置されているそうです。
結構大きな鐘を予想していたので
近くに来るまでわかりませんでしたが、
川を渡ってゆくと雪丸の人形が立っており、
その奥に和の鐘がそびえていました。
形はというと和の鐘についての説明文の上で、
リスと男女の子どもがマージャン風に
配置されており、
その上に鐘があって、時計があり、
てっぺんに町のマークが設置されています。
王寺町のマンホールのふたには
この「和の鐘」が刻まれています。
市役所のえらいさんと
雪丸の足跡に導かれて、
この前から気になっていた鐘が
ようやく確認できてよかったです。
ではまたコースを葬送の道に
戻していきましょう。
葛下川に沿って戻ってゆきます。
資料ではこのあたりで、
コースが達磨寺に向かって行くように
なっているので、それっぽい道を
選んで南下してゆきます。
そして右手の奥に達磨寺が
見えてくるあたりで右折して
その寺に入ってゆきます。
この寺には太子のゆかりがあります。
ある時に太子が道端で飢人を見つけ、
その人に食べ物着物をあげたけれど
なくなってしまいました。
でその人を埋葬したのですが、
その人の遺体が数日で亡くなったそうです。
その人というのが、
達磨大師の化身だったそうです。
太子が作った墓の上に
後にお堂が作られて、
それが達磨寺になったというのです。
聖徳太子と達磨大師出会いの場が、
この寺で、葬送の道は
この横を通ってゆくのです。
続く
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