ここでも車を降りたら雨も降っていません。
でもこの先は海に突き出た
岩場かもしれません。
ジダンもかつてそんな話を
していたようにおもいます。
天候を気にしつつ、
車を降りて歩き始めると、
地図のかかれた看板がありました。
ここが瀬戸内海国立公園で
あることが書かれ
その横の地図には「長崎の鼻」
という場所まで地面が
続いていることを書いてありますので、
標識を見ながら進んでいきましょう。
あ、ここにはまた詳しい
地図もありますよ。
この地図を見ると今いる所の
少し南側に「北嶺」といわれる山があり、
その先の「南嶺」に四国八十四番の
屋島寺があることになっています。
ああ、かなり近くまで来ていたのですが、
ツアーなのでこちらにはきませんでしたね。
日本三大名狸といわれる
屋島太三郎狸の人形が面白かったので、
この寺の絵はそれを絵にかいたりしました。
空海さんを導いたと
いわれる狸だそうです。
おっさん一人でこんな海辺の
岩地を歩いていたら
「狸の化身」やといわれないでしょうか。
心配です。
どんどん道を進んでいきますと
急な下り坂が出てきて
その向こうに岩の塊が見えます、
あの辺りかなあ「長崎の鼻」は。
足元に注意し、同行三人のおかげで
雨にも降られず進んでいきますと
こういう砲台跡に出ます。
ん?なんか三角点のような
ものがありますが、違いますよねえ。
さっき言ってた南嶺に
一等三角点292mがあるはずですので、
こんな近くに三角点はないだろう
と思ったらまちがってました。
石に刻んだ文字はわかりませんが、
ここはなんと4等三角点
「長崎の鼻」
なんだそうです。
眺めもいいですよねえ。
なかなか立派な四等三角点です。
そしてこの辺りは長崎の鼻古墳
といわれ、元は古墳だったそうです。
とまあこれだけだったら
ただの岬の鼻なんですが。
岩場の先からちょっと下を
見おろしてみましょう。
すると、おお~下にまだ
岩場があるではないですか。
この時の満ち引きがどうなのか
よくわかりませんが、
もしかしてこれで満ちているなら
引いた時にはもう少し先まで
岩が続いているようです。
そしてこの屋島は昔
源平の戦いがあったところ。
こんな海辺の岩の様子なんかも
戦いに関連したんでしょうねえ。
その時あの那須与一が的の
扇子を打ち抜いたあの戦いの舞台も
この岩場当たりだったかもしれません。
あの京都の即成院に与一の墓が
あったというのも
あちこち歩きまわる
散歩の偶然で驚きます。
さすがに波で湿った岩の上に
降りていくことはできません。
ただ、こうして大型船も
たくさん通る海です。
昔からこの辺りは水運の要所でもありました。
歴史的にも社会的にも
ユニークな半島でなんですねえ。
岩場にはハマゴウの花も咲き、
あまりの気持ちよさや
爽快さに後ろ髪をひかれつつも
戻ってゆきましょう。
同行三人、
ここでも天気は荒れず
いい感じでした。
こんな狭い道も通り抜けて、
次に向かうのはここまで来たら
やはり栗林公園ですね。
一般道に出て車を走らせていると、
ぼちぼちおなかが空いてきました。
時刻ももう正午をまわっています。
では昼食としましょう。
ここ香川に来たらやはり
「うどん」ですね。
讃岐うどんという名前で売り出され、
のどごしの良いコシのある麺で
極上のイリコだし。
なにせ2011年には香川県は
ネットの中で「うどん県」
という名前を命名したほどです。
高松の市街地に入る前に、
ちょっとマニアックな、
と言ってもこっちじゃ普通な構えの
うどん屋があったので入ってみましょう。
続く
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