踊りが盛んになれば、連ができる。
池田のマチ地区にも沢山の連がありました。
現存する連で一番歴史が古いのが「さつき連」
お三味線や、習い事(日舞)の師匠さん達が始めた連で、
所謂、(ええとこの嬢ちゃん)がメンバーでした。
上品さが持ち味だったとか。
次に歴史があるのが、風来坊連。
さつきと風来坊、この2連は格別古いです。
われい神社氏子が中心となり結成されました。
ここは当時、若い衆に人気の連で、
当然、生きの良い若者が中心。
なので鳴り物がどんどんアップテンポになったとか。
今でも、キレのある踊りと音が持ち味ですね。
(いけだ)えびす連は、中通り周辺の方が結成しました。
昔は、個の踊りが売り。
形がないのが特徴でした。
ここの昭和50年代の看板踊り子といえば
Oさんと、Mさん。
小柄なOさんは
印籠の房が1日持たないと言われた低さが売り。
対するMさんは、(何かおくれ)と言わんばかりに
前に手を出す独特の踊り。
細かい団扇捌きの方とか、ホント、バラエティーに富んでました。
マチ地区には、その他多くの連がありましたが、
本拠地(ご当所)が決まっていたようです。
次回は、その辺りのお話を。
池田のマチ地区にも沢山の連がありました。
現存する連で一番歴史が古いのが「さつき連」
お三味線や、習い事(日舞)の師匠さん達が始めた連で、
所謂、(ええとこの嬢ちゃん)がメンバーでした。
上品さが持ち味だったとか。
次に歴史があるのが、風来坊連。
さつきと風来坊、この2連は格別古いです。
われい神社氏子が中心となり結成されました。
ここは当時、若い衆に人気の連で、
当然、生きの良い若者が中心。
なので鳴り物がどんどんアップテンポになったとか。
今でも、キレのある踊りと音が持ち味ですね。
(いけだ)えびす連は、中通り周辺の方が結成しました。
昔は、個の踊りが売り。
形がないのが特徴でした。
ここの昭和50年代の看板踊り子といえば
Oさんと、Mさん。
小柄なOさんは
印籠の房が1日持たないと言われた低さが売り。
対するMさんは、(何かおくれ)と言わんばかりに
前に手を出す独特の踊り。
細かい団扇捌きの方とか、ホント、バラエティーに富んでました。
マチ地区には、その他多くの連がありましたが、
本拠地(ご当所)が決まっていたようです。
次回は、その辺りのお話を。