俳句という物語 序章
二
先にも述べたように、「五七五七七」から「七七」を切断し、俳句という詩が成立した時、「物語性」「完結性」を切断したはずであった。
ところが、成立してから百年経過するうちに、「物語性」も内包するようになったのではなかろうか。
これは例えば、小林一茶の句などに顕著である。
秋の風乞食は我を見くらぶる 一茶
我と来て遊べや親のない雀
散文と短詩は、文体も世界も違うものの、「物語」構築にとって必要な要素をシンプルに述べると、
「いつ」「どこで」「誰(何)が」「どうした(どうなる)」があげられよう。ただし、日本語では、「主語」と「時制」を細かく言及しないことがあるので、「いつ」と「誰(何)が」を省略しても、物語が成立することもある。
(時制に関していえば、古語で細かいニュアンスの違いを示していた、過去「き」「けり」、完了「つ」「ぬ」「たり」「り」を、近代では一語の「た」でまとめてしまったことにも原因がありそうだ。)
この観点で、先ほどの「有名な句」を見ると、どうなるのだろうか。
・柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺
「何を」・・柿を 「どうする」・・食へば
「何が」・・鐘が 「どうなる」・・鳴る
一句全体の主語であり拝啓・・法隆寺
さらに、「なり」という断定の助動詞で、「まさしくその時、鳴るのだ」と際立たせている。
ちなみに講演で坪内氏が述べられていたように、「法隆寺」に「柿」はない。この句は、「物語的」でありながら、「事実ではありえない」光景なのである。
ありえない光景をあり得るかのように思わせてしまう「物語の力」を持っているのかもしれない。
・三月の甘納豆のうふふふふ
「いつ」・・三月 「何が」・・甘納豆
「どうである」・・うふふふふ(擬人化)
「うふふふふ」という擬人化が楽しい句だが、この句も考えてみると、「常識ではありえない」物語である。むしろ、くそ真面目な写生から逸脱した物語が、楽しさを伝えるのではなかろうか。
・じゃんけんで負けて蛍に生まれたの
「何を」・・じゃんけんで 「どうして」・・負けて
「どうなった」・・蛍に生まれ変わった
さらに「の」という助詞に、詠嘆・心情表出が見られる。「何を」「どうして」「どうなった」がそろう「物語性」の高い句だが、これも常識ではありえない光景。
・おおかみに蛍が一つ付いていた
「何に」・・おおかみに 「何が」・・蛍が
「どうした」・・付いていた
滅亡した存在である「おおかみ」を幻視し、現実の「蛍」を付ける。幻と現実の融合の物語を感じる。
この句も「常識ではありえない」光景を物語化している。
・うしろ姿のしぐれてゆくか
「何が」・・うしろ姿が 「どうなる」・・しぐれてゆく
詠嘆の助詞「か」で心情を表出する。
七七リズムの自由律であるが、短い中に物語がある。現実の自画像であるかもしれないし、心象風景を物語化しているのかもしれない。
一般に人気がある山頭火は、一句一句が「物語」と見ることもできる。自由律俳句なので、他の定型俳句と同レベルで論ずることはできないのかもしれないが、物語とそこから引き出される心情が分かりやすい。
こうして見ると、「覚えられる句」に共通して見られる特色は、定型俳句で言えば、「常識や現実ではありえない光景を物語化」しているように思える。山頭火句も、一般の人にはあまり起こらない事象ではある。
また、正岡子規の句を除くと、これらの句は「文語体」ではなく、「口語」(話体)である。これも繰り返される上で、大きな要因になっているのではなかろうか。
なお「物語」は、「作者の思い」の通りに読まれるとは限らないことも付記しておこう。
例えば、「源氏物語」の作者「紫式部の思い」は、今となっては不明である。時代と共に読まれ方がどう変わったかという「受容史」もある。
「甘納豆」の句も、坪内氏によると、「しょぼくれた自分」を表したつもりが、別の読まれ方をされているという。(同氏の「モーロク俳句ますます盛ん」岩波書店等)